幸せアップ+α

TVを見ていることが多いし、いろいろ感じることがある。

「新・午前10時の映画祭」 王様と私 など上映

2015-05-08 14:38:42 | 映画

 

コメント欄は閉じておきます。

 

新・午前10時の映画祭 は、年に数回見に行くだけですが、 

今年も是非、見たい映画があった。

地域により上映スケジュールが違いますが、興味があれば検索してください。

入場料金は大人1,000円、学生500円。

学生に安くしているのは、若い人に、多く見てほしいと思っているのでしょうね。

 

特に素晴らしい傑作娯楽映画を選び、

1年間にわたり連続上映する「新・午前十時の映画祭」。

1作品2週間上映を基本としながら、

ゴールデンウィーク、夏休み、冬休みに1作品1週間上映の期間を設定。

より多くの作品をご鑑賞いただけるようにいたしました。

本映画祭としては今回初めて上映する外国映画15本、日本映画5本に、

これまで上映した中で特に人気の高かった外国映画10本を加え合計30本をラインナップ。

もちろんすべて高品質のデジタルシステム(DCP)で上映します。


何度見てもすごい傑作映画を、《映画館》という最高の環境で、

こころゆくまでお楽しみください。

 

私が見たい映画:

ライアンの娘      6・13~

王様と私        8・8~

エデンの東       9・5~

 

 


これらの音楽がとっても好きだし~。

「ショーシャンクの空に」 はTVで見ましたが、ラストで、スカッとして、面白い。

「宗家の三姉妹」も好きでした。他にも良い映画が多いです。

今まで、「南太平洋」@ミュージカルは上映されていないと思うので、

'16年は、上映してほしい。

 


憲法第9条の記事を読みました

2015-05-06 17:00:55 | 社会

憲法9条の意味を考える、記事を読みました。

宝田明さん 俳優 1934年生まれ

 11歳の時、旧満州のハルピンで日本の敗戦を目の当たりにしました。

旧ソ連軍が攻めてきて、関東軍は武装解除され、街は無政府状態に陥りました。

満鉄の社宅に住んでいました。夕食時、略奪した、たくさんの時計を腕に巻き付けたソ連兵が

土足で入って来て、銃をほおに突きつけられました。

じっと我慢しましたが、ガタガタと歯が音をたてて鳴っているのが聞こえました。

 ソ連軍の強制使役で石炭を貨車に積み込む作業をしていた際に、大勢の日本兵を運ぶ車両が見えました。

「2人の兄がいるかもしれない」とそばに行くと、見回り兵に腹を撃たれました。元軍医が

裁ちバサミで腹を切り開いて弾を取り出してくれましたが、麻酔なしです。

握り締めていたベッドの柵が曲がっていました。

こんな経験から、戦後、どんなに素晴らしいロシアの映画やバレーを見ても、

私は感動できませんでした。

 国家の運命を動かすのは一握りの人間ですが、

いつの時代も、戦争で最も苦労するのは無辜(むこ)の民です。

人命尊重の思想を礎に、「二度と愚かな戦争を繰り返してはならない」という、

多くの日本人の反省の思いが刻まれている憲法9条は、時代を超えて引き継がなければなりません。

 それには、日本が無謀な戦争に突き進んでいった歴史を教育現場できちんと教える必要があると思います。

戦国武将の話よりも、近現代史に多くの時間を割いて欲しい。

若い世代に歴史の真実を知ってもらえると思います。

逆に歴史の真実を学ばないと、歴史に殺されてしまいます。

 旧満州から引き上げる歳、可愛がっていた雑種犬を連れて行けない。

「ケリー、優しい飼い主に出会ってね」と願いながら、家を離れ、ハルピン駅での厳しい検査を終えて

汽車に乗り込み、外を見ると、プラットホームにケリーがたたずんでいました。

私たちを見つけると、ケリーは窓に飛びついてきました。

汽車が動き出してもケリーは必死で追いかけてきました。やがて、窓からケリーの姿は見えなくなりました。

この光景は、今も私の脳裏から離れることはありません。

 これが真実です。歴史の真実を伝え、9条を守り抜くことが、戦争を知る世代の責務だと思っています。

9条は無辜の民が戦争に巻き込まれないための最大の防波堤なのですから。

 

あと、2人の意見が載っていましたが、未だ若いので、宝田明さんの内容の迫力、説得力に負けていると思いました。

私たちが学校で、現代史をちゃんと習った記憶もない。← もしかしたら、習ったのかもしれないけれど、

このよなインパクトのある内容ではなかったので、覚えていないし・・・

彼の体験談を読んで思ったことは、彼らの戦争体験談をまとめた教科書を副読本として読めば理解が早いだろう。

戦争の悲惨さ、愚かさが即、分かる。

TVなどでも80代の俳優さんたちが、戦争中の思い出を話しているのを聞いたことが何回かありました。

それを聞いて、事実の重みを感じました。

宝田明さんの、犬の思い出は、読んだだけで、涙、涙でしたが、ご本人の気持ちは想像するしかありません。

これは動物ですが、子どもや親との生き別れも多かったので、どんなだったかと想像したくありません。

どなたかが、歴史を学校で勉強する時、現代史から過去に遡って勉強すればいいと言っていた。

そうしないと、時間切れになり、現代史を学ぶ機会がなくなると。

そういえば、高校で日本史が選択科目で、どうするという議論もあった。ありましたよね!? 

 

 


「日本科学未来館」GWで大賑わい

2015-05-04 09:56:43 | 特別な日

GWは出かけないようにしているけれど、孫がGWの前半に遊びに来るので、

やはり、どこかに連れて行ってあげようと、お台場にある「日本科学未来館」に行った。

後半は親子で出かけるとのこと。

りんかい線の東京テレポート駅で降りて、お台場を巡回している無料シャトルバスで行くことにした。

20分間隔で来る筈のバスが、渋滞で遅れるし、進み具合もノロノロだし、やはり、考えが甘かった^^;

たどり着いたら、もう疲れてしまった。駅から徒歩で15分なので、最初から歩けば早かった~。

娘にこんな感じだったと話したら、GWに、皆がこぞって行くような所に行けば、そんな風でしょうと。

「日本科学未来館」も、以前、平日に行った時は空いていたけれど、

多分、一年中で一番込み合うGWなので、親子連れで賑わっていた。

普段、地味な所なので、関係者は嬉しい悲鳴かも。

一日がかりで回らないと見切れないと思う。

丁度、ボランティアの方が、フロアーの展示されている物などを

30分で解説してくれるツアーに参加できたので分かりやすかった。

種子島のロケットのエンジンや、「深海6000」の模型の説明や、宇宙飛行士の話題などなどです。

宇宙飛行士は延べ人数6,000人だそうで、想像以上の人数だった。

深海に行くのも宇宙に行くのも、なぜなのか? と、ボランティアの方が質問していた。

それは、人間の探究心とのこと。

写真をいっぱい写そうと思って行ったのに、また、カードを忘れていた

これは3回に1回くらいの出来事かもしれない。

孫と一緒に出かけるスケジュールを考えるので頭がいっぱいになっていた。

数日前に、写した写真をPCに取り込んで、カードを取り忘れた。

カメラから直接、PCに取り込むシステムを教えてもらったので、それを実行しないと。

スマホで写した写真をアップします。

クリックすると大きく見えます。

帰りは「ゆりかもめ」に乗り、「汐留」で降りて、「日テレ」を少し見学して帰りました。

このような時計台があったのは知らなかった。宮崎 駿的だったので、

近くに寄ってみたら、やはり、そうだった。面白い~♪

 

以前から、孫をプラネタリウムに連れて行ってあげたいと思っているので、近い内に行こうと思う。

今回もプラネタリウムとも考えたけれど、お台場の魅力の方が強かった。

私が子どもの頃は渋谷の五島プラネタリウムに、よく連れて行ってもらったので、とても好きだった。

孫の所から、そんなに遠くない所にプラネタリウムがあるので、そのドーム型の屋根を車から見た時は、

いつか連れて行ってあげようと思っていた。

プラネタリウムって、なんだか地味な存在なのかも。

 

 

 

 


養老孟司さんのインタビュー記事から

2015-05-02 08:10:06 | 心に響くことば

GWですね~。

昔からGWはどこも込むので、あまり出かけなかった。子どもたちとは夏休みに旅行に行った。

 

養老孟司(東京大学名誉教授・昆虫採集で世界を飛び回る)さんのインタビュー記事から。4月8日。

100年前を生きた夏目漱石の苦悩を通して、現代社会を見つめる。

 

自分とは、漱石も苦悩

『我輩は猫である』と『三四郎』が特に好きで、漱石は若い頃から読み返してきました。

漱石の中で西洋文明の個の感覚と、江戸以来の日本の文化がぶつかり、抜け道がなくなったのだと思う。

漱石が悩んだ問題は、現代の日本社会にそのまま重なります。

僕の生き方はローカルだった。科学者は英語で論文を書き、海外の科学誌に発表する。

完全なグローバル基準。

しかし僕はある時からそれをやめた。日本語しか書かない。論文形式をとらない。

土俗に徹したから『バカの壁』シリーズは600万部を越えました。英語で書いても売れません。

西洋風に教え込まれて、今は世界中で個性を伸ばせという。

自分探しという言葉を聞くたびに、探しているお前は誰なんだよ、と疑問を呈するのですが、

個性は伸びるものではありません。認めるしか、しょうがない。

血液型が生まれながらに決まっていて伸びないようにね。

西洋と日本は言葉の作りから違う。

日本語には主語がなくてもよい。「私」がないから責任者もいません。

書類の決裁で課長、部長と順繰りに判子を押していくでしょう。

僕にはあれが「ここに判子を押した人は、この件について一切の責任を持ちません」と

言っているように見える。

明治維新は人々が信じていたものが全てひっくり返った。敗戦もそれに近い。

僕は、世界はでたらめで動いていると思って生きています。

昭和20年8月15日を知っているから。小学2年生でした。

大人たちは前日まで本土決戦たと言ってバケツリレーや竹やり訓練をしていた。

それを、嘘だなんて思わないでしょう。終戦と聞いて、ひざの力ががっくとぬけた。

先生より権威のあったお国の教科書を墨で塗りました。

そうなると、子どもは、ひとりでに何が信用できるのか考える。

若い人たちは「だまされた」と思うことがあるでしょう。

僕は早めにだまされて良かった。だまされないと大人になれないから。

漱石は晩年、「則転去私」の思想に至る。天に則り私を去る。無我ですね。

最後は日本に戻ってきた。それが漱石の解決だった。

今の日本は、どっしりと落ち着いて、ローカルを本気でやる時期だと思う。

 

さすが、ベストセラー作家は、視点が違うと思った。

「バカの壁」は面白かったけれど、なにも覚えていない

判子を押すって、そういうことだったのね

以前、TVで彼のお母さんのことを見たことがあった。

養老孟司さんのインタビュー番組でお母さんの思い出の中で、放送されたのだったかな。

開業医で高齢になっても亡くなるまで現役だった。

お母さんは、とても忙しかったので、子ども時代は自由に育ったような事を言っていた。

お母さんは、臨床医は命を預かる仕事なので大変なことだと言われたそうで、

解剖医になったと言っていたと思う。お母さんも立派な方だった。

 

 

 

 


コメント

コメント記入