3月16日。
今日は父方の祖父の22回忌。
祖父は私達と同居を始めて、2年後に他界。
72歳だった。
生前は警察官だったらしい。
字が上手な人だった。
脳梗塞で倒れ、危篤状態が3日続いた後、息を引き取ったらしい。
祖父が倒れたとき
当時、6歳だった私は
幼稚園の卒園式の練習の中、
迎えに来た母親の手に引かれ
数回、病院にお見舞いに行った。
私が幼く、そして2年しか祖父と生活を共にしていなかったからだろうか。
祖父とのことは、あまり記憶にない。
唯一覚えているのは
晩酌の時に、私は胡座をかいた祖父の膝に座るのが好きだったこと。
…あたたかくて、柔らかかった。
それだけ。
あとは、怒られたこともなく、褒められたこともない。
でも、お葬式の記憶は鮮明だ。
初めて身近な人が「死人」になってしまったことの不思議さを
幼心に覚えている。
亡骸を前に、
「おじちゃんであって、おじちゃんじゃない」という矛盾に困惑していた。
お線香、祭壇、親戚や多くの弔問客、お坊さん、火葬場、マイクロバス、塩。
日常を逸脱した物や重々しい雰囲気。
(火葬場のドアが、エレベーターのドアに似ていたため、火葬されている最中、私はずっと「おじちゃんはエレベーターで上に上がっている」と思い込んでいた。)
一番衝撃的だったは、父の涙である。
父の涙を見たのは初めてだった。
葬式の後、子供部屋に来て
酔っ払いながら、泣いていた。
悲しみを共有するには幼すぎる私は、ただ見ているしかなかった。
あれから幾つかのお葬式にお手伝いや弔問で行き、
若干、「死」を理解したような気もするが、逆に分からなくもなった。
「死」ってなんなんだろう。
死んだらどうなるんだろう。
痛いのかな?苦しいのかな?眠いのかな?
…嗚呼、こんなこと考えていたら、今夜は眠れなくなってしまう。
今夜はお香を一本焚いて、寝ようっと。
今日は父方の祖父の22回忌。
祖父は私達と同居を始めて、2年後に他界。
72歳だった。
生前は警察官だったらしい。
字が上手な人だった。
脳梗塞で倒れ、危篤状態が3日続いた後、息を引き取ったらしい。
祖父が倒れたとき
当時、6歳だった私は
幼稚園の卒園式の練習の中、
迎えに来た母親の手に引かれ
数回、病院にお見舞いに行った。
私が幼く、そして2年しか祖父と生活を共にしていなかったからだろうか。
祖父とのことは、あまり記憶にない。
唯一覚えているのは
晩酌の時に、私は胡座をかいた祖父の膝に座るのが好きだったこと。
…あたたかくて、柔らかかった。
それだけ。
あとは、怒られたこともなく、褒められたこともない。
でも、お葬式の記憶は鮮明だ。
初めて身近な人が「死人」になってしまったことの不思議さを
幼心に覚えている。
亡骸を前に、
「おじちゃんであって、おじちゃんじゃない」という矛盾に困惑していた。
お線香、祭壇、親戚や多くの弔問客、お坊さん、火葬場、マイクロバス、塩。
日常を逸脱した物や重々しい雰囲気。
(火葬場のドアが、エレベーターのドアに似ていたため、火葬されている最中、私はずっと「おじちゃんはエレベーターで上に上がっている」と思い込んでいた。)
一番衝撃的だったは、父の涙である。
父の涙を見たのは初めてだった。
葬式の後、子供部屋に来て
酔っ払いながら、泣いていた。
悲しみを共有するには幼すぎる私は、ただ見ているしかなかった。
あれから幾つかのお葬式にお手伝いや弔問で行き、
若干、「死」を理解したような気もするが、逆に分からなくもなった。
「死」ってなんなんだろう。
死んだらどうなるんだろう。
痛いのかな?苦しいのかな?眠いのかな?
…嗚呼、こんなこと考えていたら、今夜は眠れなくなってしまう。
今夜はお香を一本焚いて、寝ようっと。