世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

3月16日

2005年03月16日 23時29分08秒 | Weblog
3月16日。
今日は父方の祖父の22回忌。

祖父は私達と同居を始めて、2年後に他界。
72歳だった。
生前は警察官だったらしい。
字が上手な人だった。
脳梗塞で倒れ、危篤状態が3日続いた後、息を引き取ったらしい。

祖父が倒れたとき
当時、6歳だった私は
幼稚園の卒園式の練習の中、
迎えに来た母親の手に引かれ
数回、病院にお見舞いに行った。

私が幼く、そして2年しか祖父と生活を共にしていなかったからだろうか。
祖父とのことは、あまり記憶にない。
唯一覚えているのは
晩酌の時に、私は胡座をかいた祖父の膝に座るのが好きだったこと。
…あたたかくて、柔らかかった。
それだけ。
あとは、怒られたこともなく、褒められたこともない。

でも、お葬式の記憶は鮮明だ。
初めて身近な人が「死人」になってしまったことの不思議さを
幼心に覚えている。
亡骸を前に、
「おじちゃんであって、おじちゃんじゃない」という矛盾に困惑していた。

お線香、祭壇、親戚や多くの弔問客、お坊さん、火葬場、マイクロバス、塩。
日常を逸脱した物や重々しい雰囲気。
(火葬場のドアが、エレベーターのドアに似ていたため、火葬されている最中、私はずっと「おじちゃんはエレベーターで上に上がっている」と思い込んでいた。)

一番衝撃的だったは、父の涙である。
父の涙を見たのは初めてだった。
葬式の後、子供部屋に来て
酔っ払いながら、泣いていた。
悲しみを共有するには幼すぎる私は、ただ見ているしかなかった。

あれから幾つかのお葬式にお手伝いや弔問で行き、
若干、「死」を理解したような気もするが、逆に分からなくもなった。
「死」ってなんなんだろう。
死んだらどうなるんだろう。
痛いのかな?苦しいのかな?眠いのかな?
…嗚呼、こんなこと考えていたら、今夜は眠れなくなってしまう。

今夜はお香を一本焚いて、寝ようっと。
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一人上等!! よろぴくぅ~!!

2005年03月16日 00時08分43秒 | Weblog
面倒臭い。
嗚呼、非常に面倒臭い。

会うたびに「彼氏いないの?」とか訊いてくる女子。
今日は「なんで結婚しないの?」ときたもんだ。

大変、面倒なので
「私には吉熊がいるもんで」
と、笑顔で答えておいた。

内心は
「うっせーよ!てめーに関係ねーだろ!ゴルァ!」
である。

彼女には分かるまい。いいえ、分かってたまるもんですか。

世の中には
「一人大好き。休日、一人になれないと情緒不安定になって吐き気を及ぼす人間」
が存在するということを。

彼女の質問は
「鼻毛って、いつもどうやって手入れしてる?」
「貯金いくら?」
と他人に訊くレベルの、他人のプライベートに土足で介入した質問だと思うんだが。
彼女の悪びれていない様子から、価値観の相違をただただ感じた。

私だって「電車男」を読んだ時は、「素敵!」という感想を持った。
が、自分に置き換えると…「いやはや、無理ッス」とご遠慮申し上げてしまう。

父と弟以外の殿方に素顔を露呈したことがない私は、
どうしても家族以外の殿方に素顔を見られることに激しく抵抗を覚えるんである。
(吉熊は別格)
素顔の時、突然宅急便の配達員が来た時は、当然居留守を使う。

この慣習はなおることがないと思われる。
こんな私が他人と住んだら、ノイローゼになるに違いない。

「僕は素の君が好きだよ」と言ってくださる殿方が仮にいたとしても、
私自身がそういう無垢な殿方を愛せない。

このことに付随して、「他人といるときに気をつけなくてはいけないこと」の面々が、
今の私にとって、天文学的な煩わしさへと発展しているんである。

食べたい時に食べたい
寝たい時に寝たい
読みたい時に読みたい
行きたい時に行きたい
吸いたい時に吸いたい

…一人になりたい時に一人になりたい

これらの欲求を勤務時間以外の時間帯に堪えることは、

無理ッス。

我慢できないところを他人に目撃されるのは、
もっと嫌なんである。
結果、一人を選択してしまうのは当然の摂理。
なので、カップルなどを街で見かけると「偉いなあ」と思う。
皆其々「自分との葛藤」を乗り越えて、恋愛や家庭を築いてるんだ…と。


この先、冒頭の質問を投げかけられるピークを迎えるわけだが(特に親戚の集り)、
「一人でいる」ことが惨めに見えない人間になるのが目下の課題である。

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