パソコンの画面に小さな虫が止まった。体長2ミリくらいで、明るさに惹かれて飛んできたのだろうが、せわしなく画面を動きまわり、やがて飛び去って行った。
撮った写真を拡大してみると、長い翅が2枚あるように見え、蝿などと同じ双翅類の昆虫のようでもあるし、胴部が細く膜状の翅なので蜂の仲間かも知れないが、専門家でもない私には分からない。ごく微小なのに、大きな複眼と6本の肢、細い胴、長い翅など、昆虫としてきちんと整った体つきをしているのに何となく感心してしまった。何という名前の虫なのかは分からない。こんな雑草ならぬ雑虫でも、専門家はおそらく調べて学名や和名をつけているのだろう。そうであるならば、他のよく知られている昆虫と同じで、ちゃんとした「戸籍」を持っていることになる。
しばらく動きを見ていると、ふと「ああ、これも生きているのだなあ」と当たり前のことを考え、このような小さな虫にもいのちがあることが改めて何か不思議なことのようにも思えてきた。いのちがあるがゆえに、こうやってせわしなく動き回り飛ぶためには、この虫としては大きなエネルギーを費やしているはずだ。どこでどのようにして生まれ、何を食しているのだろう。オスかメスかは分からないが、この虫としては広大な空間に配偶の相手がいるのだろうか。どうやってそれにめぐり逢えるのか。そのような機会には恵まれないままに短い一生を終えるのか。このごく小さな虫にはこの世界はどのように見えているのだろう。とり止めもなくあれこれと考えてしまう。
この世界には実にさまざまな生物が存在する。中にはなぜこのようなものが存在するのだろうかと思ってしまうような奇妙な生物もいる。かつての若い同僚はクマムシという動物を研究していた。これは陸地にも海中にも生息しているものらしいのだが、体長0.5~1ミリの微小動物で、他の動物との類縁関係ははっきりしないそうだ。
インタネットより
また他の同僚は淡路島の海に潜って、海草に付着しているワレカラという動物を研究していた。体長1~3センチの小さな節足動物で、ごく普通の動物というが、一般人には無縁のものだ。
インタネットより
クマムシもワレカラも、我々のように思考したりすることはなく、感情もない。それでもいのちを持ちさまざまな生命活動を営んでいる。他にも我々の日常生活にはまったく無縁の生物は無数に存在していて、いのちという少々抽象的なものは、実にさまざまな様態を表わしている。我々人間という動物種も、一見するとわけの分からないような動物ともいのちの連続性によって結ばれているわけで、あらためていのちの神秘さを思ってしまう。
撮った写真を拡大してみると、長い翅が2枚あるように見え、蝿などと同じ双翅類の昆虫のようでもあるし、胴部が細く膜状の翅なので蜂の仲間かも知れないが、専門家でもない私には分からない。ごく微小なのに、大きな複眼と6本の肢、細い胴、長い翅など、昆虫としてきちんと整った体つきをしているのに何となく感心してしまった。何という名前の虫なのかは分からない。こんな雑草ならぬ雑虫でも、専門家はおそらく調べて学名や和名をつけているのだろう。そうであるならば、他のよく知られている昆虫と同じで、ちゃんとした「戸籍」を持っていることになる。
しばらく動きを見ていると、ふと「ああ、これも生きているのだなあ」と当たり前のことを考え、このような小さな虫にもいのちがあることが改めて何か不思議なことのようにも思えてきた。いのちがあるがゆえに、こうやってせわしなく動き回り飛ぶためには、この虫としては大きなエネルギーを費やしているはずだ。どこでどのようにして生まれ、何を食しているのだろう。オスかメスかは分からないが、この虫としては広大な空間に配偶の相手がいるのだろうか。どうやってそれにめぐり逢えるのか。そのような機会には恵まれないままに短い一生を終えるのか。このごく小さな虫にはこの世界はどのように見えているのだろう。とり止めもなくあれこれと考えてしまう。
この世界には実にさまざまな生物が存在する。中にはなぜこのようなものが存在するのだろうかと思ってしまうような奇妙な生物もいる。かつての若い同僚はクマムシという動物を研究していた。これは陸地にも海中にも生息しているものらしいのだが、体長0.5~1ミリの微小動物で、他の動物との類縁関係ははっきりしないそうだ。
インタネットより
また他の同僚は淡路島の海に潜って、海草に付着しているワレカラという動物を研究していた。体長1~3センチの小さな節足動物で、ごく普通の動物というが、一般人には無縁のものだ。
インタネットより
クマムシもワレカラも、我々のように思考したりすることはなく、感情もない。それでもいのちを持ちさまざまな生命活動を営んでいる。他にも我々の日常生活にはまったく無縁の生物は無数に存在していて、いのちという少々抽象的なものは、実にさまざまな様態を表わしている。我々人間という動物種も、一見するとわけの分からないような動物ともいのちの連続性によって結ばれているわけで、あらためていのちの神秘さを思ってしまう。