少しは減ったような感じはするが、街や電車内などではマスク姿をかなり見かける。ラッシュアワーのときなどはほとんどが着用していると聞いた。今も薬局などの店頭ではマスクは手に入りにくいようだし、地方でも大阪や神戸の親戚などに送る人が多くて、やはり品切れになっていることもあるそうだ。ネットオークションなどでは消費者が殺到し、医療用マスクは50枚入りで1200円程度のものに、1万4000円の値がついたケースもあったそうだ。どうしてそれほどマスクに拘るのかと不思議に思うほどだ。
ある新聞記事を見ると、洗濯して再生している例もあるようだ。ある50代の女性は軽く水洗いした後に、市販の100円ショップで買ったスプレーでマスクの両側にアルコール消毒液を噴霧し、室内干しして再利用しているという。「もったいない」と言うよりは、新品は入手できないからのようだ。その女性の言葉。「だってマスクは売っていないし、着けていないと肩身狭いし、天日干しだとウイルスが飛んでくるかもしれへんけど、室内なら大丈夫やろ」。
涙ぐましい努力だが、これを読んでその女性には悪いけれども笑ってしまい、「着けていないと肩身が狭い」というのは大勢順応の、皆がするからという傾向が強い日本人の心情をよく表わしているように思った。それにどうやらこの女性は、インフルエンザウイルスが空気中を飛び回っているように思ったようだ。空気中ではこのウイルスはそれほど長くは生きてはいない。
感染制御学のある専門家は、あくまでも「理論上」はアルコールでウイルスは死滅するが、「でもお勧めできません」と言っている。マスクは顔の表面にフィットして隙間がないようでなくてはならない。洗うと形崩れしてしまうから効果はあまりない。それに手でもみ洗いすると布の表面を損傷して機能を維持するのは難しいようだ。この専門家は「洗ったり消毒したりしてマスク機能に影響を与えるなら本末転倒でしょう」と言っている。
この記事を書いた記者はここで、「だがそもそも、そこまでしてマスクをしなければいけないのか」と疑問を呈している。そして新型インフルエンザ対策に詳しい元小樽市保健所長の外岡立人氏が、[マスクにこだわるのは日本特有の習慣」と指摘していることを紹介している。今回もメキシコでは政府がマスク着用を推奨したが、アメリカではマスク姿はほとんど見られなかったと言う。外岡氏は「マスクで感染を防ぐなら、顔に完璧にフィットさせ、ずれを直すときも表面に触ってはいけない。食事などで外すたびに捨てなければいけない。現実にそんなことができますか」と言っている。それに、そこまでしたとしてもマスクの感染防止効果には専門家の間でも意見が分かれているようだ。
また外岡氏は「まるで大阪や神戸では新型ウイルスが空気中にたくさん浮遊しているように受け止められているが、もしそうならもっと多くの人が感染している」と言い、関西への修学旅行や出張の中止、関西を訪問した場合の出席停止などが相次いでいるのは「科学的でない。ちょっと行き過ぎ」と批判している。私は専門家ではないが、発生以来の反応のありようには疑問を持ち、ブログにも書いてきたからその通りだと思う。
東京にいる上海人の施路敏(敏敏)は会社への行き帰りにはマスクをしていると言った。毎日は換えないと言うから、それでは効果はないだろうと言ったら「気休め、気休め」と笑っていた。巷でも隙間だらけのマスクを着けている人を見るが、効果への期待の程はともかくとして、気休めなのだろうと思う。そういう人は多いのかも知れない。
私の次男は、家の近くにある川の土手を朝犬を連れて散歩している人がマスクをしていたと笑っていた。次男の住んでいる所は神戸市からは離れていて感染者は出ていないし、家のあるのは市街地ではなく鄙びた所がまだ残っている。そんな所で人の少ない朝、どう考えてもマスクは要らないだろう。私も近所の人通りのほとんどない時間帯や場所でマスク姿をよく見かけるが、そこまでする必要があるのかと疑問に思う。マスク姿は何か風俗のようになってしまっているような気さえする。もうそろそろ、感染の恐れがある特定の場所以外では、マスクの呪縛から解放されてもよいのではないだろうか。
ある新聞記事を見ると、洗濯して再生している例もあるようだ。ある50代の女性は軽く水洗いした後に、市販の100円ショップで買ったスプレーでマスクの両側にアルコール消毒液を噴霧し、室内干しして再利用しているという。「もったいない」と言うよりは、新品は入手できないからのようだ。その女性の言葉。「だってマスクは売っていないし、着けていないと肩身狭いし、天日干しだとウイルスが飛んでくるかもしれへんけど、室内なら大丈夫やろ」。
涙ぐましい努力だが、これを読んでその女性には悪いけれども笑ってしまい、「着けていないと肩身が狭い」というのは大勢順応の、皆がするからという傾向が強い日本人の心情をよく表わしているように思った。それにどうやらこの女性は、インフルエンザウイルスが空気中を飛び回っているように思ったようだ。空気中ではこのウイルスはそれほど長くは生きてはいない。
感染制御学のある専門家は、あくまでも「理論上」はアルコールでウイルスは死滅するが、「でもお勧めできません」と言っている。マスクは顔の表面にフィットして隙間がないようでなくてはならない。洗うと形崩れしてしまうから効果はあまりない。それに手でもみ洗いすると布の表面を損傷して機能を維持するのは難しいようだ。この専門家は「洗ったり消毒したりしてマスク機能に影響を与えるなら本末転倒でしょう」と言っている。
この記事を書いた記者はここで、「だがそもそも、そこまでしてマスクをしなければいけないのか」と疑問を呈している。そして新型インフルエンザ対策に詳しい元小樽市保健所長の外岡立人氏が、[マスクにこだわるのは日本特有の習慣」と指摘していることを紹介している。今回もメキシコでは政府がマスク着用を推奨したが、アメリカではマスク姿はほとんど見られなかったと言う。外岡氏は「マスクで感染を防ぐなら、顔に完璧にフィットさせ、ずれを直すときも表面に触ってはいけない。食事などで外すたびに捨てなければいけない。現実にそんなことができますか」と言っている。それに、そこまでしたとしてもマスクの感染防止効果には専門家の間でも意見が分かれているようだ。
また外岡氏は「まるで大阪や神戸では新型ウイルスが空気中にたくさん浮遊しているように受け止められているが、もしそうならもっと多くの人が感染している」と言い、関西への修学旅行や出張の中止、関西を訪問した場合の出席停止などが相次いでいるのは「科学的でない。ちょっと行き過ぎ」と批判している。私は専門家ではないが、発生以来の反応のありようには疑問を持ち、ブログにも書いてきたからその通りだと思う。
東京にいる上海人の施路敏(敏敏)は会社への行き帰りにはマスクをしていると言った。毎日は換えないと言うから、それでは効果はないだろうと言ったら「気休め、気休め」と笑っていた。巷でも隙間だらけのマスクを着けている人を見るが、効果への期待の程はともかくとして、気休めなのだろうと思う。そういう人は多いのかも知れない。
私の次男は、家の近くにある川の土手を朝犬を連れて散歩している人がマスクをしていたと笑っていた。次男の住んでいる所は神戸市からは離れていて感染者は出ていないし、家のあるのは市街地ではなく鄙びた所がまだ残っている。そんな所で人の少ない朝、どう考えてもマスクは要らないだろう。私も近所の人通りのほとんどない時間帯や場所でマスク姿をよく見かけるが、そこまでする必要があるのかと疑問に思う。マスク姿は何か風俗のようになってしまっているような気さえする。もうそろそろ、感染の恐れがある特定の場所以外では、マスクの呪縛から解放されてもよいのではないだろうか。