中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

秒刻み

2009-05-21 09:38:52 | 身辺雑記
 毎週火曜日は、所属している会の事務局の当番で、JRと地下鉄を利用して大阪に出るが、降りる駅の出口に近いのでいつも最後尾の車両に乗る。その時には車掌の行動がよく分かるので、子どものように興味深くその動作を観察することがある。

 運転士の仕事は緊張感があって神経が疲れるだろうと思っていたが、車掌の仕事もなかなか大変なようだ。ドアの開閉はもちろん、車内放送をする、駅に着いたらホームへの放送をするなど結構忙しい。そのような動きの中で、ちょっと興味を惹かれたことがある。

 新任らしい車掌だったが、電車が駅に着くと、ドアを開いてから車掌室のドアを開けてホームに降り立ち前方を注目する。その時に手に持っている運行表のようなものに目を遣って「○○駅発車○分○秒」と言う。そして前方を指差してから車掌室に入り、ドアを閉めて窓から少し体を出して前方を確認する。電車が発車すると窓からホームを監視し、駅を離れると振り向いて遠ざかって行くホームに向かって指差す。それからマイクを手にして次の停車駅の駅名を放送する。

 このような一連の動作はマニュアル通りなのだろうが、私が興味を持ったのは「○○駅発車○分○秒」と言うことだ。これは停車時間を確認しているのだろうが、発車時刻が秒単位で決められているらしいことに少々驚いた。一応はそうなっているのか、それとも実際に秒単位で出発しているのだろうか。私には確かめようがないのだが、もしそうなら驚異的に思える。もっとも別の日に乗ったときの車掌はもう何回も乗務したようで、かなり要領よくやっているようだった。運行表を手に持つことはなく、ホームに降り立つ前に指で押さえるだけだし、几帳面に「○○駅発車○分○秒」と言うこともなかった。本来は言うことにはなっているのだろう。

 「○○駅発車○分○秒」を聞いて、なるほど、だからだなと合点したことがある。以前ホームへ向かう階段を下りていると電車が来た。急ごうとしたが足がよくないのでもたもたし、どうにか開いているドアの前にたどり着いた途端にドアが閉じられ、そのまま発車してしまった。他の私鉄のようにもう1度ドアを開いてくれることもない。実にドライな感じだったが、なるほど秒単位の運行ではそのようなことはできないだろう。もし開けば何秒かの遅れになり、これは車掌の責任なのだろう。要するに正確な運行が至上で、乗客のことは二の次ということなのか。

 ある私鉄の運転席を見ると、運転士の前に運行表と時計が置いてある。運行表にはやはり秒単位で示されていて、例えば「○○駅到着時刻17:51:10 停車時間00:30 発車時刻17:51:40」となっている。おそらくJRでも同じだろう。確かに秒まで示されてはいるが、運転士が果たして時計を見ながら厳密に運転しているのかどうかは分からない。目安程度なのかと思った。JRではどうしているのかは分からないが、いずれにしても分どころか秒単位で運行が決められていれば、運転士にかかるストレスはより大きいものだろう。4年前の福知山線の脱線転覆事故は、運転士が事故を起こした地点の前の停車駅で、停車位置をオーバーランしたために出発に2分の遅れを生じ、それを取り戻そうとして焦ってスピードを上げたために起こった大事故だった。日常生活ではほとんど問題にならない僅か2分のために107人もの人が死んだ。

 「○○駅発車○分○秒」それ自体は国鉄以来のJRの、世界に冠たる正確な運行の象徴なのだろう。ある意味ではそれは非現実的とも言えることだが、現実にはそれに縛られて乗務員がストレスを強いられる結果として、乗客の目前でドアを閉めるような機械的な行動をとらせ、場合によっては正確な運行どころか、大事故につながるようなこともあると考えると、笑って済ませられないものを感じる。