西安の謝俊麗の息子の愛称麦豆(マイトウ)(または撓撓ナオナオ)が、川崎病で入院した。最初は熱が出て医師の診断を受けたが、初期の診断が誤っていて、後になって川崎病と分かった。
川崎病は1967年に川崎富作博士が発表したことから、このように呼ばれていて、「急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群」とも言われる。川崎病にかかるのは90%が4歳以下で、男児が少し多いようだ。幼若児ほど重症になりやすく、春と冬とやや多く発症する傾向があるという。京浜工業地帯にある川崎市は公害で有名になったが、川崎病は公害とは無関係だ。
発見されてから30年以上たっているのに、この病気については未知の部分が多いようだ。第1に原因が分かっていない。何らかの微生物が関係していることは間違いないようだが確定されていない。発病すると発熱以外にいくつかの症状が出るが、これらの症状はいずれ軽快するから治癒したかに見える。しかし冠動脈病変という合併症が出ることがあるという。心臓に血液を送る細い血管である冠動脈が炎症のため弱くなって、そこに血圧が加わると冠動脈瘤と言う膨らみができる。そして、成人の狭心症や心筋梗塞と同じような病態となるから怖いようだ。
この病気に罹る前の麦豆はとても元気な子で、俊麗は写真や動画を送ってくれていたが、とても活発で、ハイハイも始めていたから俊麗も寝耳に水の驚きだったらしい。私も知らせを受けた時には驚いた。心配で落ち着かないので、病院で付き添っている俊麗に毎日のように電話して容態を尋ねていたが、一度は苦しそうな麦豆の泣き声が聞こえてきて、可哀そうで涙が出た。ただただ何事も無く治るようにと願うばかりだった。
幸い予想より早く退院できたが、医師からは当分は要注意と言われたようで、俊麗の心は休まらないようだ。中国では適当な本が無いのか、日本のインタネットで探した本を注文してほしいと言ってきた。鎌倉市の「川崎病の子供をもつ親の会」が扱っている本で、俊麗にはこの会も紹介し、相談があればメールするように言っておいた。どのような原因で川崎病などという病気に罹ったのか、この先はどうなのかと心配は多いが、遠く離れていては何もできないのがもどかしい
元気な時の麦豆。俊麗は私を麦豆爺爺(麦豆のおじいちゃん)と呼んでいる。前にもブログに書いたが、私にとって麦豆や李真の息子の宸宸(チェンチェン)は、中国のひ孫のような愛おしい存在だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/fc/ce5ef99af728445652dcc358e676d631.jpg)
病室で離乳食を食べさせてもらって嬉しそうに笑う麦豆。顔が腫れている。この写真を見ると俊麗は涙が止まらないそうだが、私もいじらしくて涙ぐんでしまったからその気持ちはよく分かる。麦豆の入院中に俊麗は、麦豆が生れてからの間に出したと同じくらいの涙を出したと李真に言ったそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ab/3828f76b433d45b1939adc736a2e98d3.jpg)
川崎病は1967年に川崎富作博士が発表したことから、このように呼ばれていて、「急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群」とも言われる。川崎病にかかるのは90%が4歳以下で、男児が少し多いようだ。幼若児ほど重症になりやすく、春と冬とやや多く発症する傾向があるという。京浜工業地帯にある川崎市は公害で有名になったが、川崎病は公害とは無関係だ。
発見されてから30年以上たっているのに、この病気については未知の部分が多いようだ。第1に原因が分かっていない。何らかの微生物が関係していることは間違いないようだが確定されていない。発病すると発熱以外にいくつかの症状が出るが、これらの症状はいずれ軽快するから治癒したかに見える。しかし冠動脈病変という合併症が出ることがあるという。心臓に血液を送る細い血管である冠動脈が炎症のため弱くなって、そこに血圧が加わると冠動脈瘤と言う膨らみができる。そして、成人の狭心症や心筋梗塞と同じような病態となるから怖いようだ。
この病気に罹る前の麦豆はとても元気な子で、俊麗は写真や動画を送ってくれていたが、とても活発で、ハイハイも始めていたから俊麗も寝耳に水の驚きだったらしい。私も知らせを受けた時には驚いた。心配で落ち着かないので、病院で付き添っている俊麗に毎日のように電話して容態を尋ねていたが、一度は苦しそうな麦豆の泣き声が聞こえてきて、可哀そうで涙が出た。ただただ何事も無く治るようにと願うばかりだった。
幸い予想より早く退院できたが、医師からは当分は要注意と言われたようで、俊麗の心は休まらないようだ。中国では適当な本が無いのか、日本のインタネットで探した本を注文してほしいと言ってきた。鎌倉市の「川崎病の子供をもつ親の会」が扱っている本で、俊麗にはこの会も紹介し、相談があればメールするように言っておいた。どのような原因で川崎病などという病気に罹ったのか、この先はどうなのかと心配は多いが、遠く離れていては何もできないのがもどかしい
元気な時の麦豆。俊麗は私を麦豆爺爺(麦豆のおじいちゃん)と呼んでいる。前にもブログに書いたが、私にとって麦豆や李真の息子の宸宸(チェンチェン)は、中国のひ孫のような愛おしい存在だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/fc/ce5ef99af728445652dcc358e676d631.jpg)
病室で離乳食を食べさせてもらって嬉しそうに笑う麦豆。顔が腫れている。この写真を見ると俊麗は涙が止まらないそうだが、私もいじらしくて涙ぐんでしまったからその気持ちはよく分かる。麦豆の入院中に俊麗は、麦豆が生れてからの間に出したと同じくらいの涙を出したと李真に言ったそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ab/3828f76b433d45b1939adc736a2e98d3.jpg)