中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

体罰(2)

2010-06-02 09:49:53 | 身辺雑記
 私が高校の教師になって数年たった頃、同じ理科を担当していた私より少し若いある教師が、よく生徒を殴った。ちょっとしたことでも手を出すようで、本人もさして悪びれずに公言していた。あるとき私は彼に、生徒を殴るのはよくない、教師は生徒より高い位置にあるのだから、自分よりも背が高い生徒を叩く場合でも、心情的には上から叩き下ろすようなものだ、それがいけないと忠告した。彼は特に反論もしないで聴いていたが、その後は止めたかどうかは知らない。

 よく教師や親の体罰は「愛の鞭」だと言われるが、そんな美しいものではないと私は思っている。わが子に対してにせよ、生徒に対してにせよ、愛情があれば叩いたり、殴ったりすることなどはできるとは思われない。そこには無抵抗な者に対する理不尽な怒りがあるだけだ。私は一度だけ長男を叩いたことがあった。長男は利かん気なところがあり、あるとき私や妻に逆らった挙句、「家出する」と言って飛び出していった。まだ5歳くらいの時のことだ。妻は心配して、私が「放っておけ」と言ったが後を追いかけた。しばらくして連れて戻ってきたが、子どものことで、家出するなどとこましゃくれたことは言ったものの遠くに行く勇気はなく、家をちょっと出た道の角で泣いていたそうだ。他愛ないことなのだが、妻に促されて私の前に座った息子は「ごめんなさい」と謝った。できもしないくせに家を飛び出したりして生意気だと思った私は、何かしらひどく腹が立ってきて息子の頬を1つぴしゃりと叩いた。すると息子は幼い顔をきっとさせて私を睨みつけ、にじり寄るようにして「おとうさんはひどい。ぼくが謝ったのに叩いた」と訴えた。その顔を見ると私はひどく恥ずかしくなって、「おまえの言うことはもっともだなあ」と言い、「お父さんが悪かった。ごめんよ」と謝ると、息子はわっと泣き出した。それ以来息子を叩いたこともないし、もちろん生徒に体罰を加えたこともない。このような経験から、子どもや生徒に体罰を加える時は怒りに駆られているもので、むしろ「愛の鞭」だと冷静にいられるほうが気味が悪いし、偽善だと思うようになっている。

 教師も人間だからその時々の感情に支配されることはあるし、むしろそれは人間味があって悪くないことだと思う。しかし体罰はいけない。何かで読んだことがあるが、教師に体罰を受けて恨みが残ったと言う者はかなり多いそうだ。今頃は中高生はもちろん小学生でも憎たらしい言動の者が少なくない。殴ってやりたいという気持ちになるのはよく分かるが、そのような者は殴っても何の効き目もない。かえって反抗心を強くするだけだろう。腹は立つだろうがとにかく教師はプロなのだから、言い聞かせる努力をまずするべきだ。それでも聴かないのならそれまでにしておけばいい。それでは事なかれ主義で、教師の姿勢としては良くないと言われるかも知れないが、怒りに任せて殴るよりはましだ。