近所のOさんが引っ越すことになった。東京の息子のところに行くと言う。Oさんは10年ほど前に連れ合いを亡くした独り住まいの婦人で80半ば近い。最近はデイ・サービスに行ったりしているし、生協の共同購入の時などは物資の前でよくしゃがんだりしていたから、だいぶ体も疲れてきたのだろうと思っていた。それでも毎日のように手押し車を押しながら街に買い物に出てはいたが、さすがに寄る年波には抗しきれなくなったのだろう。
街からの帰り道に、買い物に出るというOさんに出会った。息子が自宅から15分くらいの所にマンションを見つけてくれたそうで、やれ嬉しやと思ったら、「はい、お金」と言われて、何や、買ってくれるのじゃなかったのかいなと思ったと笑った。親子の関係もそう甘くはないということだろう。「息子さんと一緒に住むのじゃなかったの」と聞いたら、「とんでもない。嫁がいますがな」と言い、「一緒に住んだらケンカせんとあかんでしょ」と付け加えた。喧嘩すると決めているような口ぶりがおかしかったので、「年寄りが辛抱しなくちゃ」と言ったら「あなたは知らないだろうけれど、東京の女は強いんよ」と言う。そう言うOさんも結構強い感じで、これでは同居は無理だなと、嫁と姑の関係はこんなものなのかと改めて思った。
私の幼い頃、家族は一時期、東京の祖父の家に住んだことがある。祖母はしっかりした明治女で、母はおとなしい性格であったが、2人の間に確執のようなものはなかっと思う。戦争末期のごく短い期間であったから、姑と嫁としてはまずまず平和な関係だったのではないか。私の妻は母と同居したことはなく、どちらもおとなしい性格だったから、ここでもいわゆる嫁姑の問題はなかった。その妻も結婚した息子達とは同居したことはないから、嫁達との関係は良好だった。私が見ても妻はいつも嫁達には穏やかで優しく接していた。だから、世間でよく言われる嫁と姑の厳しい関係は我が家にはなかったのは幸いだった。もし妻と母や嫁達との間に感情の行き違いがあったりしたら、私や息子達は気苦労したかも知れない。
一緒に住んでいると実の母娘であっても不満や腹を立てることがあるのは当然だが、そこは血の通った者同士で気心が知れているから、あまりバトル状態にはならないで収まると言われる。それが姑と嫁となるとちょっとした行き違いがあっても縺れてしまうようだ。皆が皆そうではないだろうが、やはり我を張り合うのはいけない。辛抱することも必要ではないか。
見知らぬ土地で何かと苦労は多いだろうし、嫁との関係はどうなるかは分からないが、Oさんの余生が平穏なものであるように願う。
街からの帰り道に、買い物に出るというOさんに出会った。息子が自宅から15分くらいの所にマンションを見つけてくれたそうで、やれ嬉しやと思ったら、「はい、お金」と言われて、何や、買ってくれるのじゃなかったのかいなと思ったと笑った。親子の関係もそう甘くはないということだろう。「息子さんと一緒に住むのじゃなかったの」と聞いたら、「とんでもない。嫁がいますがな」と言い、「一緒に住んだらケンカせんとあかんでしょ」と付け加えた。喧嘩すると決めているような口ぶりがおかしかったので、「年寄りが辛抱しなくちゃ」と言ったら「あなたは知らないだろうけれど、東京の女は強いんよ」と言う。そう言うOさんも結構強い感じで、これでは同居は無理だなと、嫁と姑の関係はこんなものなのかと改めて思った。
私の幼い頃、家族は一時期、東京の祖父の家に住んだことがある。祖母はしっかりした明治女で、母はおとなしい性格であったが、2人の間に確執のようなものはなかっと思う。戦争末期のごく短い期間であったから、姑と嫁としてはまずまず平和な関係だったのではないか。私の妻は母と同居したことはなく、どちらもおとなしい性格だったから、ここでもいわゆる嫁姑の問題はなかった。その妻も結婚した息子達とは同居したことはないから、嫁達との関係は良好だった。私が見ても妻はいつも嫁達には穏やかで優しく接していた。だから、世間でよく言われる嫁と姑の厳しい関係は我が家にはなかったのは幸いだった。もし妻と母や嫁達との間に感情の行き違いがあったりしたら、私や息子達は気苦労したかも知れない。
一緒に住んでいると実の母娘であっても不満や腹を立てることがあるのは当然だが、そこは血の通った者同士で気心が知れているから、あまりバトル状態にはならないで収まると言われる。それが姑と嫁となるとちょっとした行き違いがあっても縺れてしまうようだ。皆が皆そうではないだろうが、やはり我を張り合うのはいけない。辛抱することも必要ではないか。
見知らぬ土地で何かと苦労は多いだろうし、嫁との関係はどうなるかは分からないが、Oさんの余生が平穏なものであるように願う。