中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

2010-06-12 09:07:19 | 中国のこと
 西安の謝俊麗に「我愛你(ウォアイニィ)と我想你(ウォシャンニィ)とはどう違うのか」とチャットで尋ねると、大笑いの絵文字付きで「どういう目的でそんなことを知りたいの。まず教えて」と返ってきた。

 とくに誰かに使おうとしているわけではないが、好きな相手に自分の気持ちを表すのに意味の違いがあるのかと思っていたからだ。「我愛你」は英語の「アイ・ラブ・ユー」の直訳のような言葉だが、これは少し仰々しいものかと思っていて、では「我想你」はそれよりも軽い意味で使うのか、「アイ・ライク」くらいの意味かと思ったりしていた。

 前に西安に行った時、迎えに来た明明(邵利明)と車に乗って空港から市内に向かう途中で、CDの曲が流れてきた。私の好きな「月亮代表我的心」(月は私の心)で、出だしの2句目に「我愛你」という言葉がある。このときはメロディーだけだったので、私はその部分で「我愛你だね」と明明に言うと、彼女はちょっと慌てたように「そんなことは言わないで。ドライバーが誤解します」と言った。語尾の「・・・・だね」は日本語でドライバーには分からないから、私が明明に「愛しているよ」と言ったのだ、年輩の男が若い女性にはしたないと思われると、明明は気を回したのだろう。そのときに、そうか「我想你」はデリケートな感じのものなのか思った。

 その後、これは前にも書いたことだが、西安や上海の結婚している友人達に、夫婦の間で「我愛你」を使うかと尋ねた。若い恋人同士や結婚して間もない時だったら使うこともあるが、夫婦の間では恥ずかしくて使わないねと皆が言ったからやはり少し仰々しい言葉なのだろうと思った。

 謝俊麗は「想はライクではないよ。会いたいということ」と言った。それで改めて日中辞典を見ると、想には「懐かしむ。会いたいと思う」という意味もある。だがこれをどのような場面で使うのかは分からない。例えばこれを 西安の李真や謝俊麗に使ったらどのようにとられるのだろうか。そう思って李真に聞いてみたら「恋人同士がよく使うよ。会いたいって」と言った。恋人でなくても「おかあさん。我想你」などとも言うようだ。

 では「我愛你」は堅苦しい言葉かというとそうでもないようだ。俊麗は、「撓撓(ナオナオ 俊麗の息子)にママが好き?と聞いたら、大きな声で『愛』と言うのが大好き」と言った。この場合は「好き」ということだろう。ママに好きかと聞かれて、好きと答える撓撓は1歳9ヵ月、どうやら愛の意味は分かっているようで可愛い反応だと思う。俊麗が嬉しがるのは当然だ。今度西安に行ったら、撓撓に「おじいちゃんが好きか」と尋ねてみよう。「撓撓。你愛爺爺嗎?」とでも言えばいいだろうか。「愛」と応えてくれたら大満足だ。

 中国で今使われている漢字は簡体字で、ずいぶん省略された字体のものがあるが、「愛」の字は「心」がなく、その下の「夂」が「友」になった「爱」で何となく落ち着かない。前に中国語教室で一緒だったある高齢の男性は軽妙なところがある人だったが、「心のない愛なんておかしい」と言って皆を笑わせた。


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