中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

秒刻み

2009-05-21 09:38:52 | 身辺雑記
 毎週火曜日は、所属している会の事務局の当番で、JRと地下鉄を利用して大阪に出るが、降りる駅の出口に近いのでいつも最後尾の車両に乗る。その時には車掌の行動がよく分かるので、子どものように興味深くその動作を観察することがある。

 運転士の仕事は緊張感があって神経が疲れるだろうと思っていたが、車掌の仕事もなかなか大変なようだ。ドアの開閉はもちろん、車内放送をする、駅に着いたらホームへの放送をするなど結構忙しい。そのような動きの中で、ちょっと興味を惹かれたことがある。

 新任らしい車掌だったが、電車が駅に着くと、ドアを開いてから車掌室のドアを開けてホームに降り立ち前方を注目する。その時に手に持っている運行表のようなものに目を遣って「○○駅発車○分○秒」と言う。そして前方を指差してから車掌室に入り、ドアを閉めて窓から少し体を出して前方を確認する。電車が発車すると窓からホームを監視し、駅を離れると振り向いて遠ざかって行くホームに向かって指差す。それからマイクを手にして次の停車駅の駅名を放送する。

 このような一連の動作はマニュアル通りなのだろうが、私が興味を持ったのは「○○駅発車○分○秒」と言うことだ。これは停車時間を確認しているのだろうが、発車時刻が秒単位で決められているらしいことに少々驚いた。一応はそうなっているのか、それとも実際に秒単位で出発しているのだろうか。私には確かめようがないのだが、もしそうなら驚異的に思える。もっとも別の日に乗ったときの車掌はもう何回も乗務したようで、かなり要領よくやっているようだった。運行表を手に持つことはなく、ホームに降り立つ前に指で押さえるだけだし、几帳面に「○○駅発車○分○秒」と言うこともなかった。本来は言うことにはなっているのだろう。

 「○○駅発車○分○秒」を聞いて、なるほど、だからだなと合点したことがある。以前ホームへ向かう階段を下りていると電車が来た。急ごうとしたが足がよくないのでもたもたし、どうにか開いているドアの前にたどり着いた途端にドアが閉じられ、そのまま発車してしまった。他の私鉄のようにもう1度ドアを開いてくれることもない。実にドライな感じだったが、なるほど秒単位の運行ではそのようなことはできないだろう。もし開けば何秒かの遅れになり、これは車掌の責任なのだろう。要するに正確な運行が至上で、乗客のことは二の次ということなのか。

 ある私鉄の運転席を見ると、運転士の前に運行表と時計が置いてある。運行表にはやはり秒単位で示されていて、例えば「○○駅到着時刻17:51:10 停車時間00:30 発車時刻17:51:40」となっている。おそらくJRでも同じだろう。確かに秒まで示されてはいるが、運転士が果たして時計を見ながら厳密に運転しているのかどうかは分からない。目安程度なのかと思った。JRではどうしているのかは分からないが、いずれにしても分どころか秒単位で運行が決められていれば、運転士にかかるストレスはより大きいものだろう。4年前の福知山線の脱線転覆事故は、運転士が事故を起こした地点の前の停車駅で、停車位置をオーバーランしたために出発に2分の遅れを生じ、それを取り戻そうとして焦ってスピードを上げたために起こった大事故だった。日常生活ではほとんど問題にならない僅か2分のために107人もの人が死んだ。

 「○○駅発車○分○秒」それ自体は国鉄以来のJRの、世界に冠たる正確な運行の象徴なのだろう。ある意味ではそれは非現実的とも言えることだが、現実にはそれに縛られて乗務員がストレスを強いられる結果として、乗客の目前でドアを閉めるような機械的な行動をとらせ、場合によっては正確な運行どころか、大事故につながるようなこともあると考えると、笑って済ませられないものを感じる。

マスク

2009-05-20 10:35:13 | 身辺雑記
 所属している会の事務局の当番のために大阪に出た。大阪では神戸についで多くの新型インフルエンザの感染者が発生している。テレビのニュースでは、大阪のある交差点の端に立ったレポーターが「見渡す限りマスク、マスク・・・マスクです」と言い、通行人のほとんどがマスクをしている場面が映し出されていたので、そのような情景を予想していた。

 まず乗ったJRの車内はラッシュの時間帯を過ぎていたこともあって乗客は少なかったが、マスクをつけている人は半数以下に見えた。次に乗った地下鉄ではマスク着用者は半数を少し上回るくらいだった。JRでも地下鉄でも乗務員や駅の職員は皆マスクをしていた。地下鉄を降りて街に出て事務局に向かったが、マスク姿は非常に少なく少々拍子抜けした。私はと言うとどこでもマスクは売り切れということもあって着用しなかったし、非難されることを承知で言えば、マスクをつけることにはどうも消極的だ。これまでマスクをつけた経験と言えば、幼い時にしたように思うという程度だ。

 昔からそうだったが、日本ではマスクはよく使われていて、外国人には奇異に思われてもいたようだ。それでもSARS流行の時には、さすがに欧米人もマスクをつけたようで、その頃私は中国に行ったが、往復の機内での欧米人のマスク姿は多かった。テレビを見ると今回の新型インフルエンザの発生地のメキシコではほとんどがマスクをつけていた。しかし、ある新聞のコラムによると、メキシコに次いで感染者が多い米国のニューヨークでは、マスク着用者はほとんど見かけないそうだ。「なぜしないのかと問えば『なぜするのか』と返ってくる」とあった。そして「文化や風習の差か、行政の指導の有無か」と言い、さらに「欧米の当局は『感染防止に科学的根拠はない』とも」と書いている。マスクは感染防止に対して万能ではないだろうが、かと言って科学的根拠がなく有効ではないとは思えないのだがどうなのだろうか。

 マスクは何のためにつけるのか。感染者が増えたからということでマスクが爆発的に売れているということは、感染予防を期待しているからだろう。しかしテレビでは、ウイルスに感染するのは感染者のくしゃみや咳の際の飛沫によるもので、2メートルも飛ぶようだが、マスクをつけるとかなり抑えられると言っていたから、これは感染者から感染が広がることを防止するものだろう。入ってくるのを防ぐのか出て行くのを防ぐのか、市販されているマスクにはウイルスを濾し取ると謳っているものもあるが、ウイルスのような超微細な病原体にはどの程度効果があるものなのか。マスクをつけるとマスク内は呼気のために湿度が高まって、湿気に弱いウイルスには効果があるとも言われる。街で見かけたマスク着用者の中には、口だけを覆って鼻は出しているものも見かけたし、顎に引っ掛けているだけのものもあった。もちろんこれでは何の意味もないのだが、やはり慣れないものをつけると煩わしいのか、息苦しくなるので「新鮮な」空気を吸いたくなるのかも知れない。

 感染者はますます増えるだろうと予想されている。大阪や神戸などの自治体ではこれまでの感染防止基準では感染者の受け入れは困難になると、政府に基準の緩和を求めているし、そのようになるようだ。もともとこれまでの感染拡大防止策は、強毒性の鳥インフルエンザを想定したものだが、今回のウイルスは弱毒性のもののようで、通常の季節性のインフルエンザへの対応でよいとも言われている。しかしそうであっても、いったん火がついてしまった以上はマスク姿はなかなかなくならないだろう。

平安神宮

2009-05-19 08:40:43 | 身辺雑記
 葵祭を見終わって、平安神宮に行った。平安神宮は明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して創祀された。祭神は平安京遷都当時の天皇であった第50代桓武天皇と第121代孝明天皇である。社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小して復元したもの。

 正面の門。朝堂院の應天門を模したものである。


 拝殿。朝堂院の正殿である大極殿を模している。


 拝殿の向かって左に付属する白虎楼。ここから神苑に入る。右側には同型の蒼龍楼があり、白虎楼と対をなしている。


 神苑は敷地面積は約1万坪で、平安神宮の社殿を取り囲むようにして造られ、東・中・西・南の四つの庭からなっている。明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。
平安神宮ホームページより

 南神苑内の翔鸞池(ショウランイケ)。


 西神苑の白虎池。この池には2000株200種の花菖蒲が植えられているようだが、開花期は来月。






 中神苑の蒼龍池には杜若(かきつばた)が群生している。前方に見える飛び石は臥龍橋。天正年間に豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられていると言う。










 東神苑の栖鳳池(セイホウイケ)と釣殿の泰平閣。


 東山連山の一つ華頂山を借景している。前方の2つの島は中国の伝説の仙郷蓬莱山をあらわした鶴島と亀島。






葵祭

2009-05-18 09:37:58 | 身辺雑記
 Hr君、Hg君夫妻のいつものメンバーで、京都の葵祭を観に行った。葵祭は5月の15日に催され、8月の祇園祭、10月の時代祭りとともに京都三大祭とされている。

 葵祭は上賀茂、下鴨神社の例祭で、京都御所を出発して下鴨神社到着し、社頭の儀をおえてから上賀茂神社に向かうというイベントである、五穀豊穰を祈って6世紀中頃から始まったと言われる、平安王朝時代の貴族の華やかな風俗の行列である。応仁の乱で中断したが元禄7年に再興され、明治維新で廃れ、明治17年に復活されて現在に至っていると言う。

 下鴨神社前には行列の到着時刻に遅れて着いたが、下鴨神社のそばを流れる加茂川にかかる橋の上は人でいっぱいだった。あまり広くない行列の通り道の両側には三重四重に人が詰め掛けていて、背が高くない私にはとても見物できるものではなかった。そうこうしているうちに行列がやって来たが、行列の上のほうのごく一部が見えるだけだった。


 この行列は京都御所を出発するが、平安貴族の姿そのままの総勢500余名が馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台を連ねて下鴨神社に向かう。

 警護の武士。検非違使と衛士があるようだが、上半身が少し見える程度で見分けがつかなかった。




 風流傘。傘の上に色とりどりの造花が飾られているが、下のほうが見えればもっと華やかだったのではないだろうか。
 

 

 馬に乗った女人達。騎女(うまのりのおんな)と言う。当時の女性もこのような装束で馬に跨ったのか。


 御所車。これは牛車(ぎっしゃ)で、牛が引いているのだが、牛の姿は見えなかった。


 インタネットより 

 最後には祭の主役の十二単(ひとえ)姿の斎王代を乗せた腰輿(およよ)が続いているはずだが見過ごしたようだった。斎王は賀茂神社に仕えるために皇室から差し出される内親王または女王のことだが、今では一般の今日と市民の若い女性から選ばれるので斎王代と言う。

 やがてパトカーが来て行列が終わったことが分かり観衆は解散していった。行列よりも群集を見に来たようであった。

 下鴨神社。ここで社頭の儀が行われた後いったん休憩し、再び上賀茂神社に向かって出発する。





 せっかく来てみたが消化不良に終わった。帰ってインタネットで見ると、なるほど華麗な行列のようで、来年はもう一度行ってゆっくり観賞したいと思っている。

全員野球

2009-05-17 10:04:02 | 身辺雑記
 民主党の新しい代表が決まった。前代表が突然辞任してから数日後のことで、何となく慌しい感無きにしも非ずだが、一時とは違って違法献金問題とやらで逆風が吹き始めている時でもあって、何としても局面を変えたいということなのだろう。

 自民党の総裁選挙の時ほどではないが、相変わらずマスコミの取り上げ方は大きいが、マスコミの思惑はどのあたりにあるのだろう。与党の中には前代表の傀儡だとか、院政だとか、何も変化は無いとか、高いところから見下ろしたように評している向きがあるが本心はどうなのか。言わば「敵失」で最近の内閣支持率は上向きらしいが、本気ではしゃいでいるわけではあるまい。

 新代表はしきりに挙党体制という、言わば当たり前のことを強調していた。そして「全員野球でいく」ということを何度も言った。「全員野球」とは何なのか。『YAHOO 知恵袋』というサイトを見ると、次のような問答があった。

 Q:よく高校野球の主将の人が、「全員野球で頑張ります。」と言ってますが、全員野球って具体的に、どのようなスタイルの野球なのでしょうか?

 A:野球はチームプレーなので、誰か一人でも気が抜けてる奴がいたらダメみたいな意味だと思います。高校野球では、ベンチの控え選手も、声出し(?)とかしてますよね。プロ野球では、ベンチでのんきにダラーって座ってる奴とかいるけど。
 駒大苫小牧の香田監督が言っていましたがベンチ入りできなかったスタンドにいる野球部員も一緒に闘っている気持ちになってこそ、全員野球だとか。

 この言葉は、これまでにも自民党内でも使われたことがあるようで、政治の世界と野球とは感覚的に何となく結びつかないのだが、彼らには分かりやすいことなのだろうか。高校野球で「全員野球」と言えば、上の問答にもあるようなことで一応理解はできるが、政党で「全員野球」すると言うのは具体的にはどういうことか。役職についている者もいない者も、あるいは当選回数に関わらず一致団結してやるということなら、これも当たり前のことで、わざわざ言うほどのことでもあるまい。

 それにしても「全員野球」とは言うが、「全員サッカー」とか「全員ラグビー」、「全員バレー」、「全員バスケット」などと言うのは聞いたことがないように思う。これらの競技は控えの選手は少なく、それもいつでも交代できるように心準備をしているから、わざわざ「全員」という必要はないのかも知れない。そうすると政党のあり方はやはり野球のようなものなのか。


いのち

2009-05-16 10:47:33 | 身辺雑記
 パソコンの画面に小さな虫が止まった。体長2ミリくらいで、明るさに惹かれて飛んできたのだろうが、せわしなく画面を動きまわり、やがて飛び去って行った。

 
 撮った写真を拡大してみると、長い翅が2枚あるように見え、蝿などと同じ双翅類の昆虫のようでもあるし、胴部が細く膜状の翅なので蜂の仲間かも知れないが、専門家でもない私には分からない。ごく微小なのに、大きな複眼と6本の肢、細い胴、長い翅など、昆虫としてきちんと整った体つきをしているのに何となく感心してしまった。何という名前の虫なのかは分からない。こんな雑草ならぬ雑虫でも、専門家はおそらく調べて学名や和名をつけているのだろう。そうであるならば、他のよく知られている昆虫と同じで、ちゃんとした「戸籍」を持っていることになる。


 しばらく動きを見ていると、ふと「ああ、これも生きているのだなあ」と当たり前のことを考え、このような小さな虫にもいのちがあることが改めて何か不思議なことのようにも思えてきた。いのちがあるがゆえに、こうやってせわしなく動き回り飛ぶためには、この虫としては大きなエネルギーを費やしているはずだ。どこでどのようにして生まれ、何を食しているのだろう。オスかメスかは分からないが、この虫としては広大な空間に配偶の相手がいるのだろうか。どうやってそれにめぐり逢えるのか。そのような機会には恵まれないままに短い一生を終えるのか。このごく小さな虫にはこの世界はどのように見えているのだろう。とり止めもなくあれこれと考えてしまう。

 この世界には実にさまざまな生物が存在する。中にはなぜこのようなものが存在するのだろうかと思ってしまうような奇妙な生物もいる。かつての若い同僚はクマムシという動物を研究していた。これは陸地にも海中にも生息しているものらしいのだが、体長0.5~1ミリの微小動物で、他の動物との類縁関係ははっきりしないそうだ。
 インタネットより

 また他の同僚は淡路島の海に潜って、海草に付着しているワレカラという動物を研究していた。体長1~3センチの小さな節足動物で、ごく普通の動物というが、一般人には無縁のものだ。
 インタネットより

 クマムシもワレカラも、我々のように思考したりすることはなく、感情もない。それでもいのちを持ちさまざまな生命活動を営んでいる。他にも我々の日常生活にはまったく無縁の生物は無数に存在していて、いのちという少々抽象的なものは、実にさまざまな様態を表わしている。我々人間という動物種も、一見するとわけの分からないような動物ともいのちの連続性によって結ばれているわけで、あらためていのちの神秘さを思ってしまう。



静か

2009-05-15 08:29:00 | 身辺雑記
 先日、牡丹と芝桜を観に行ったときのこと、どちらの園内にも人は多かったが、ふとあたりが静かなことに気づいた。園内が広いだけではない、大声を出す者がいない。みな静かな声で話しているし、子どももいたが騒ぐことはなかった。Hg君夫妻に「静かだなあ」と言い、「中国ではこうはいかないな」と笑った。

 西安の邵利明(明明)の両親が1月から3ヶ月間、大阪の明明の家に滞在した。初めてだったので日本の印象を尋ねると、街はきれいで静か、人は親切だと言った。それに警官の姿をほとんど見かけないので治安は良いのだろうとも言った。日本の街が静かということは印象的だったようで、Hg君の家で夫妻が桂林に行ったときのVTRを見たときに、桂林の街の場面で父親は、こうやって見ると中国はやかましいと思うと言った。大阪も街中に出ると結構やかましいと思うのだが、中国の街中に比べると車のクラクションの音は少ないようだ。何よりも人声が小さい。10年ほど前に、新聞のコラムで、中国四川省から来た人が、東京の街が静かで怖いと言ったということを読んだことがある。

 国民性の違いか、どうも中国人は声が大きいようだ。時には喧嘩でもしているのかと思うことがある。山西省大同の雲崗石窟を観に行った時に、入り口前の広場で後ろから大声で話しながら来る一行があった。広東語でまくし立てていたが、広い場所でも響くような大声だった。広州のホテルの売店にいた時、背後でとてつもなく大きな声が聞こえてびっくりしたことがある。これも広東語だった。どうも屋内でも声量を調節することがないように思えた。広東人が特に地声が大きいということはないようで、洛陽に行った時、その帰りに西安駅の改札口に向かう地下道を移動する乗客達の声もものすごかった。地下道だからそれぞれの大声が天井に反響して何とも言えないほどの大音響だった。西安の副食市場などで、それはそれなりに活気があるのだが喧騒もかなりのものだった。

 これに比べると、確かに我々日本人の声は概して小さい。先日も昼食するためにあるファミリーレストランに入ったが、子ども連れが多かったのに店内は静かだった。皆ささやき声に近い低い声で話していた。電車内でも実に静かで、時折携帯電話で話す声が聞こえることもあるが、さして大声ではないのに少し眉をひそめることもある。かつては人前で大声を出すのは下品だと言われたこともあったものだ。

 しかし日本は静かだとはとても言えないのが、最近のテレビ番組だ。お笑い番組やバライティーショウなどは騒がしさの極致だ。CMでも絶叫調のものがある。このような番組をずっと見ることはないが、ちょっとチャンネルを合わせただけで、鼻白むほどやかましい場面が出てくる。相手を指差して大げさな表情でがなりたてたり、さしておかしくないことにも手を叩いて馬鹿笑いをする。観客も観客で、特に若い女性達はよくあれほど笑えると思うほど嬌声を上げる。少しは抑制の効いた笑いを楽しめないものだろうか。まるで大きな笑いのない番組はつまらないとでも言うようだ。

 また行楽地に行くと売店などがスピーカーで大きな音量の音楽を鳴らしている所もあるが、どんなに景色が良くても品が悪く思われて興ざめしてしまう。大阪の街の陸橋の上で、大音響で演奏しているストリートミュージシャンのグループがあったが、公共の場で自己陶酔しているような若者の姿が疎ましかった。たいした大きさの音ではないが、エスカレーターによっては、手すりを持て、足元の黄色の線の中に立て、ゴム靴は注意、坊ちゃんお嬢ちゃん危ないですよなど、うるさいことこの上ないのもある。都市騒音の一種だろう。こうやってみると、日本も結構うるさい、やかましいとも言える。

 このように言うのは、私が年を取ってきたためかも知れないと思ったりするが、やはり騒がしいのよりも静かなほうがいい。私の家の近辺はさしたる住宅街ではないが、幸い道路が袋小路になっていて車が通り抜けることはないので静かなのが取り柄だ。人声もほとんどしない。静かなのはいいことだ。


メタボ

2009-05-14 09:49:51 | 身辺雑記
 近くのデパートの食料品売り場で旧い卒業生の女性に出会った。やあと声をかけた途端に彼女は私の腹の辺りを指差して、「先生メタボよ。あかんよ」と言った。そんなことはないよと言うと「あかん。あかん。カッターのボタンの辺がゆがんでいる」と言う。 暑いので上着を着ずにカッターシャツ姿だったが、そのカッターはやや縮んで少々窮屈だったので、腹に押されて前の合わせ目がゆがんでいた。それに私は姿勢が悪く、少し腰を落として立ったり歩いたりするので腹の辺りがだぶついている。

 医者は心配ないと言ったよと言うと「いいや、そんなことはない」と首を振って断言的に言う。どうにも埒が明きそうにもないから、あまり人が嫌がることは言わないほうがいいよと言ったが、「いいや、先生だから言ってあげるんよ」と取り付く島もない。少々辟易して早々に別れたが、どうも60歳も半ばを過ぎた口達者な女性にはかなわないなと思った。

 確かに私は痩せ型ではないが、あまり背は高くないのに体重は少々あっても肥満型でもない。ましてメタボの症状としてよく写真などで示されるような太鼓腹ではない。立って腹を掴もうとしても掴めないが、座って掴むと皮下脂肪の厚さは2センチほどだ。これで皮下脂肪が多いのか少ないのか普通なのかは分からないが、やや太り気味かも知れない。

 メタボとは何か。卒業生に言われた機会に改めて調べてみると、メタボすなわち「メタボリック症候群」とは、「内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態をいう」とある。私は内臓脂肪を測ったことがないから知らないけれども、腹囲は85センチくらいあるからこれには該当するようだが、これも90センチ以上とする基準もあるようだ。それに先日の血液検査の結果では高血糖でも高脂血でもないし、血圧は最近ずっと正常だ。

 どうも、メタボという言葉は独り歩きしているように思う。メタボは「症候群」だと正しく認識することなく、「腹が出ている→メタボ→不健康・危険」と短絡的に捉えてしまう傾向はないか。少なくとも私の場合は、仮に内臓脂肪型肥満だとしても、他の要件には合致しないから、メタボとは言えないのではないだろうか。もちろん、少々でも体重が多いのは感心しないから減らそうとは思うが、特に脂肪分を多く摂っているわけでもないし、最近は食べる量が減っているので、それ以上無理にダイエットとやらを心がけようとは思わない。ましてサプリメントに頼る気などはさらさらない。

 それにしても卒業生の女性は、私をメタボと指摘して、だからどうしろと言いたかったのだろうか。ただ「あかんよ」ではどうしようもない。応対に困って切り上げたが、もう少し話を聞けばよかったのかも知れない。

中国での想い出(3) 友好の歌声

2009-05-13 08:34:22 | 中国のこと
 2001年6月に中国の広西壮(チュワン)族自治区の西南部、ベトナム国境に近い地方を訪れた。旅行社のツアーコースなどには入っていない辺境の地だ。区都の南寧から車で6時間以上行くと徳保という小さな町に着く。この町には毎晩チュワン族の老人達が公園に集まってグループごとに合唱し合う「夜歌墟」という風習がある。この町出身のガイドの廖さんという青年の案内で出かけると、もう200人程が集まっていたが、日本人だと知れるとたちまち興味の的になってしまった。日本人は初めて見たと言う人もいた。

 やがて10人くらいの男性達が輪を作って歌い始めた。まだ始まる時刻ではなかったようだったが、日本人が来てくれたということで歌ってくれたようだった。どの歌も短く、同じメロディーだが、その何部合唱かのハーモニーはとても力強く美しいものだった。男性達に続いて女性達が歌い始めたが、廖さんの通訳で、すべて中国と日本の友好を願う歌だと知った。例えば「日本と中国は一衣帯水の国です。一緒に力を合わせていきましょう」とか「過去の戦争は忘れて平和な未来を作りましよう」、「日本は科学技術の進んだ国です。いろいろと中国にしてくれて有難う」など10曲くらいも歌われ、感動してしまった。驚くのはその歌詞で、すべて即興で、しかも複雑な韻を踏んでいるとのことだ。

 夜歌墟は真夜中近くまで続くが、本当にのどかで美しい風俗、文化だと思った。翌日は徳保の西の靖西という町を訪れたが、夜ベッドで横になっていると、どこからともなく歌声が聞こえてきた。ここでも夜歌墟があるのだ。その歌声を聴いていると、何か郷愁を誘われるようであった。

 *壮族:少数民族中最も人口が多く、約1500万人。主に広西壮族自治区に居住。歌が好き。チュワン錦織は伝統的な工芸品で美しく、内外に知られている。

            


中国での想い出(2) ウイグルの少女達との出会い

2009-05-12 08:38:12 | 中国のこと
 中国の最西端、新疆ウイグル自治区のトルファンの東南に、唐代より後にあったウイグル高昌国時代の高昌故城と言う遺跡がある。広大な場所に日干し煉瓦で作られた寺院や塔、宮殿などが風化して残骸になって遺されている。




 2001年の9月にここを訪れて遺跡の中を歩いていると、3人のウイグル族の少女達が近づいて来て、おみやげの鈴を買ってくれと言った。要らないと断ったが、様子がかわいかったので、インスタントカメラで撮って1枚ずつ渡すと大喜びして、「プレゼント」と言って鈴を1つくれた。それで甘くなってしまい、それぞれから鈴を買ってやると少女達は喜んで、その後はすっかり商売を忘れたように、私の傍について歩き、「日本のどこから来ましたか」とか「いくつですか」などと尋ねたりした。年齢を聞くと「12歳です」とか「学校に行っています」と答える。日本人の観光客を相手にしているうちに覚えたのだろうが、その日本語がとても上手で滑らかなのには驚いた。12歳というと私のその頃の一番上の孫娘と同い年だから、いっそうかわいく思った。


 故城への入り口の所に戻ると、先程の少女達が仲間を連れて来て、それぞれ柘榴や葡萄、玉石の飾り物などを「プレゼント」と言いながら差し出した。帰る時には車の窓の傍に寄って来て「さよなら。また来てください」と口々に言いながら手を振って見送ってくれた。


 国や民族は違っても子ども達は本当に無邪気でかわいいものだ。この少女達との短い出会いを思い出すと、今でも何かほのぼのとした気持ちになる。
 
 *ウイグル族:中国全土に約860万人。主に新疆ウイグル自治区に居住。イスラム教を信仰。「客好きで礼儀正しく、目上を敬い目下を愛する。明るい」と言われている。