今年は建築家「村野藤吾」が気になっています。4月に「藤森照信」先生の「村野藤吾」に関する講演会を聞き、その前に糸魚川市の「谷村美術館」を見学し、講演会では「八ヶ岳美術館」をじっくり見、佐倉市に行った帰りは品川で「村野藤吾」の設計したホテルに泊まりました。「グランドプリンスホテル新高輪」です。まずはエントランスとロビーです。
高輪は江戸時代旧熊本藩細川家をはじめ、西国の諸藩の下屋敷があったそうです。品川が東海道の宿場でもあり、高台の高輪からは海を臨む良い風景が広がっていたようです。明治以降、皇族方や財政界の要人の邸宅が建てられた場所です。その場所にホテルがいくつも建てられています。この建物は「村野藤吾」晩年の作…客室に付けられたレース模様のバルコニーが特徴的です。
江戸時代に大名屋敷があった頃の庭園が残されていてその庭を散策しました。木々の生い茂る中、池の錦鯉や観音堂、雨上がりの太鼓橋や御門など見どころがたくさんありました。
日中の雨も上がり、夕刻が迫ってきましたがこの日は夏至…なかなか暮れません。ビルに夕刻が迫る風景とホテルに明かりがともる頃です。
部屋のバルコニーに出て夕刻の風景を眺めてみました。並ぶレース模様のバルコニーが素敵でしたし、明かりがともるビルの風景も都会ならではでした。
ビルの合間に茜空が垣間見えました。満月を探しましたが見つけられませんでした…
夕刻が迫って日本庭園に明かりがともる「高輪廿六夜」をしていると聞いて見に行きました。江戸時代の「歌川広重」の絵にあるように、高輪の地は月の出を見る人たちが大勢集って賑やかだったようです。
ホテルの隣の国際会議場「パミール」の風景です。ここは旧北白川宮邸があった場所だそうです。「村野藤吾」作の排気口も独特の趣がありました。夜のホテルの外観も注目でした。
ホテルに戻り、フロントのコンシェルジュの方にせっかくなのでこのホテルで「村野藤吾」作を確認できるところをお聞きしました。バルコニーやエレベーターのマド貝の装飾は見ていたので、他をお聞きしたかったのですが、それ以上は話が聞けませんでした。ロビーの様子とここに掲げられている「小山敬三」の「紅浅間」の巨大な絵です。「小山敬三」は長野県出身の画家…小諸にある「小山敬三美術館」も「村野藤吾」作です。エレベーターのドアにも中の天井にもマド貝が貼られていました。
感謝して部屋に戻ろうとしたところ、コンシェルジュの方が上司の方を連れて来てくれて特別な所に案内してくれるというのです。これにはビックリ!建築当時の面影のある大宴会場の建物は入れないけれど、旧宮家の建物を見せて下さるとのことで案内していただきました。再び日本庭園を通って向かいにある「グランドプリンスホテル高輪」に入り、その先にある「貴賓館」まで行きました。「グランドプリンスホテル高輪」のロビーの風景です。
1911年に建てられた旧竹田宮邸をそのまま維持しながらブライダル等に使われているとのことでした。内部には素敵な装飾が施されていました。
各お部屋ごとの装飾がみごとで目を見張りました。維持するのは大変そうですが、こうした建物を気に入って使ってくれる方が多くいるようでそれは嬉しいことでした。
次の日に外観を見に行ってきました。旧宮邸の雰囲気の残る素敵な建物でした。両脇に置かれた車は現役でブライダルなどで使用するとのこと…運転手さんがいらしてお話を伺いましたが、維持するのが大変とのことでした。一台は昭和30年代の「ジャガー」でもう一台はイギリス王室御用達リムジン「デイムラー」だそうです。
気になっていた「村野藤吾」のホテルに泊まることが出来て良かったです。娘と息子からのプレゼントの宿泊だったのも嬉しいことでした。ホスピタリティ溢れるホテルの対応も心に残りました。次の日はホテルの素敵な朝食ビュッフェを堪能して、東京で2か所巡りました。次に続きます…
いやいやいや、存じませんでした。
びっくりです。
形はよく知っております。何度も見ております。
そう言われれば・・・
どことなく原村の「ヤツビ」に似ておりますね。
丸いところが(笑)
品川駅の高輪側は昔から上品なところで
斜面になって豪邸もありホテルもあり、
りっぱなマンションあり華やか。
反対側は、かつて刑場があったりして
まった手つかずでしたが、世紀のかわりめ
あたりからどんどん開発が進みましたね。
最後の2台はきっと私がかつてお世話になった
クルマ屋さんにお世話になっているかも。
神奈川県平塚市にあるんですが、都内ナンバー
の恐ろしく古い英国車がどんどん持ち込まれて
来ます。よくわかっている人でないと
修理できません。
他に「ザ・プリンス箱根芦ノ湖」も手掛けていて、
プリンスホテルと縁があるのでしょうか(笑)
同じ設計者ですから似た雰囲気になるのでしょう…
八ヶ岳美術館も確かに丸いところが共通点ですね。
このホテルのロビーにあった絵の作者、
小山敬三の美術館が小諸にあるので、
今度見てみたいと思っているところです…
品川駅を挟んで高輪側と反対側は雰囲気が違うのですね。
余り駅の反対側に行ったことが無くて…
今は駅自体が変わりつつある時期でしょうか、
大規模な工事中(リニア新幹線の駅のため?)でした。
おかげで駅から乗るはずのホテルバスの乗り場も移動…
駅でウロウロしてしまいました(笑)
貴賓館にあった車…趣あって素敵な車でしたが、
古い車ですし、維持して動かすのが大変と運転手さん…
どこでもメンテナンスができる車ではないでしょうから、
きっとおちゃさんのお世話になっていた車屋さん、
そうした専門家にお願いしているのでしょう。
いつもは車庫にしまわれているようですが、
この日はウエディングがあるのかちょうどお出ましでした。
(素敵なプレゼントでもあるのですね)
タッジーマッジーさんからお聞きするまでは知らない建築家(知っている名前は数少ない)
「村野藤吾」作を確認できるところ・・からの
「特別な所」にまで案内されたと!!
素晴らしい、素敵なことですね。
願えば通じる・・・。
それにしても 今の私には足を踏み入れることも躊躇してしまう異次元の空間。
都市ホテル・・どこも輝てみえます。
「グランドプリンスホテル新高輪」?
ネット情報を見ました。
やはり思い出の地だゎ。
昔、1970年代の「高輪プリンスホテル」・・また「昔の話」です。
友の結婚披露宴に呼ばれたけれど 長女がまだ乳飲み子なので辞退したのですが
「それなりの準備をしてもらうので是非に・・」と。
「それなりの準備」は私の席の隣に椅子と同じ織物の小さな長椅子?小さいカウチ?が用意されていて感激した思い出やOL時代のお庭でのイベント・
ついつい知っているところ懐かしい場所が出てくるとこっちのことを書いてしまう。すみません。
そして見知らぬ場所、花、芸術作品 ま、車まで・・・いろいろ見せていただくとご一緒しているようで楽しいこと。
ありがとうございます。
品川駅の東側は本来の海岸線が近く、埋立地に
倉庫や工場があって、無関係の人が行くところで
はなく、暗かったです。
一方高輪口(西側)は
昔から華やか。高輪はお屋敷街ですしね。
プリンスホテルというのものがあること自体
その土地が以前宮家あるいは大名屋敷だった
ところが多いですね。
品川駅はJR各線が集まるがその各線ホームを
つなぐ地下階段通路が細く、昔は朝夕の乗り
換えとなると人が動かなくて大変でした。
その地下階段通路を止め、各ホームから
エスカレーターで人を上にあげて駅上の空中広場
で自由に移動できるようにしたのが今の状態
です。
新幹線のぞみに乗るのに、東京や新横浜と
比べると、品川は人が少な目で楽ですよ(笑)
品川駅東側は今は様変わりです。
巨大企業の本社ビルがいっぱいですよ。
品川駅からだと何キロも南に行きますが、
刑場跡はこちらです。
https://shinagawa-kanko.or.jp/spot/suzukamorikeijouseki/
良いプレゼント、素晴らしい。
そして、このホテル、多分、数年前に、S夫人と、フランス料理を。
そして、一昨年だったか?
タクシーに間違えて降ろされたホテルだわ。
フロントに覚えが。
そして、暗い中、中庭を突っ切りました。
それにしても、案内して貰えて良かったですね。
素晴らしいです。
母の想いは、我が子たちにも伝わっていたのですね。
このような素敵なホテルに宿泊できて、
それがお子様たちからのプレゼントとは・・・
タッジーマッジーさんのお子様たちは、お誕生日や母の日など、
記念日にはそれぞれのご一家から、毎回素敵なプレゼントをされて、
羨ましく拝見していたのですが・・・
今回はきっと特別なお祝い事のプレゼントなのでしょうか?
それとも、両親への日頃の労いなのでしょうか?
いずれにしても、ご両親想いの素晴らしいお子様たちですね♪
今回の次女さんご夫婦のことといい、本当に素敵なご家族だと思いました。
それにしても、高級感溢れたなんて素敵なホテルなんでしょう!
言葉もありません・・・
コンシェルジュの方やその上司の方にご案内されたことも、すごいですね!
きっとタッジーマッジーさんの強いお気持ちが伝わったのでしょう・・・
おかげでわたしたちも、「特別な所」をご一緒させていただきました。
夜景も美しいですね。
「プリンス」とか「高輪」とか聞けば、
わたしも、その昔宿泊した「高輪プリンスホテル」を思い出しました。
娘のオムツが取れたからということで、初めての家族旅行が東京で、
動物園へ行ったりして・・・
東京へ来たんだからってことで、何が食べたいか子供達に聞いたところ、
結局、娘は枝豆で息子はラーメンを食べました。
そんな笑い話のようなことや、娘が着ていたワンピースは覚えているけれど、
宿泊したホテルは全く記憶にございません(笑)
「藤森照信」先生の講演会でホテルを手掛けていることを知り、
連休に来た息子から「ザ・プリンス箱根芦ノ湖」に泊まった話を聞き、
これは「村野藤吾」の作ったホテルに泊まってみたいと思いました。
思い叶って泊まったホテル…情報をいただこうとお聞きしたところ、
何と特別な場所まで案内していただけました。
上司の方まで出て来られて、
お忙しいでしょうからと一応遠慮はしたのですが(笑)
ホテルの名前も変遷していますね。
1970年代には高輪プリンスホテルと呼ばれていて、
ここがご友人の結婚披露宴で訪れた場所とは、
それは懐かしい場所ですね。
その当時もホスピタリティ溢れる対応!
赤ちゃんのいる方用にちゃんと席が用意されているとは、
何とも素敵な対応でしたね。
これはtakeさんも嬉しかったでしょうし、
出席してもらってお友達も嬉しかったことでしょう。
思いを汲んでくれるホテルだと私も感じました。
当時のtakeさんの思い出をお聞きして私が思い出したのは
品川にあったスケート場とボウリング場です。
ボウリング場は駅近くの品川プリンスホテルに入ったら今もありました!
懐かしかったです…
雰囲気がずいぶん違ったのですね。
その昔の品川はボウリングかスケートを楽しむ時にしか
行ったことが無かったです。
ここで旧竹田宮邸を案内してくださった方が言われたのは、
皇族方の邸宅や土地を使ったホテルが始まりだそうで、
それでプリンスと命名されたとのことでした。
この高輪も赤坂も軽井沢もそのようです…
品川駅はどんどん変遷しているのですね。
細い通路ではラッシュ時とっても大変だったことでしょう!
駅上の空中広場で混雑緩和ですか、
いいろいろ工夫して流れを良くしたのですね。
この日は夕刻に近い時間でしたので駅は結構混雑していました。
でも新幹線の品川は東京や新横浜に比べると人が少なめなのですね。
そういえば東京から新幹線に乗る機会…
このところほとんどありません(笑)
追伸もありがとうございました。
品川駅の東側は大きく変わっているのですね。
ビルの立ち並ぶ風景がホテルからも垣間見えました。
刑場跡は供養塔が立ち並んでいるのですね。
八百屋お七等々、名の知れた人が出てきて実感しました…
ありがたく頂戴してゆっくり泊まってきました。
以前の東京はほとんど日帰りだったのですが、
年を重ねて疲れもたまるので泊りがけが多くなりました。
このホテルでお食事されたのですか、
素敵なレストランがありますから良かったですね。
タクシーでは間違えられてここへ?!
それは災難でしたね。
ここからどこへ行くにも坂道ですもの…
日本庭園も少し傾斜地にありますし、
その後の移動が大変だったことでしょう。
そうなんです、旧宮家の建物を特別に見せていただけ
思いがけないことで、これは感激でした。
気持ちよく丁寧に案内して下さってさすがホテルマン!
そう感じたことでした。
今年はこの建築家のことが気になっていて、
子どもたちと話をする中でプレゼントしてくれることに…
これは嬉しかったです。
わが家の昔からの習慣でしょうか、
こども達も何かと気を使ってくれてありがたいです。
今度は8月の母の誕生日を計画してくれるようです。
高輪の地は皇族方のお屋敷があったところ…
土地柄もあるのでしょうが、ホテルも高級感溢れた雰囲気でした。
少しこの建物を建てた建築家の足跡をお聞きしたかっただけなのですが、
夫に言わせれば私の熱意に圧倒されたのではとのこと(笑)
お話した方が上司の方まで連れてこられ、
結局その方が案内してくださいました。
100年以上前の素敵な建物内部を見せていただけて嬉しかったです。
みさとさんもこの高輪プリンスホテルにご縁があったのですね。
しかも宿泊されたのですか、それは素敵な旅だったことでしょう。
旅の記憶って、ほんのちょっとしたことだったりしますよね。
みさとさんのこの旅のエピソード、
お子さんたちらしくて可愛らしいですね。
大まかなことがすっかり抜け落ちているってこと私もあります(笑)
>この高輪も赤坂も軽井沢もそのようです…
明治時代に入り宮家と旧大名(のちの華族)に
江戸の各藩邸を差し上げちゃったのが、首都の
国土計画の誤りの始まりですね(笑)。差し上げ
るんじゃなくて、貸して期間終了後更新かまたは
返還にすればよかった。←ここ重要。
旧大名は比較的すぐに財政的に行き詰まり、
屋敷を順番に切り売りし、戦後は宮家の範囲が
狭められ、これもまた切り売りにつながる。
それを西武が買う。
高輪はもと薩摩藩ですね。その一部が宮家に行
ってその後西武へ。
赤坂は正確には紀尾井町にあり、紀尾井の一つの
紀州藩の屋敷が李王家の屋敷となりその土地が
やがて西武へ。戦前の、日本占領下時代の話な
ので、やや無理くり、日本の「プリンス」とも
言えなくはないです(笑)。
軽井沢は藩邸とは無関係に、新しい別荘地で
宮家のものでした。
しかしまあ全部、緑地がなくなりましたね。
いずれも、土地にめいっぱいいくつも建物を
建てるので。初めて見た人はわからないから
キレイな開発だと思うのですが、昔の写真と
比べれば、一目瞭然、ズタズタに切り開かれた
なあと思います。民間の手に一度渡したら
もう終わり。順番に劣化します。
赤坂プリンスは、その時代はまだましでしたが、
その後紀尾井町ガーデンテラスとなって、
緑はほとんどなくなりました。そしてなんと他の
プリンスホテル同様、出来てわずか10年ほどの
その建物を、西武は今売却を検討しています。
あぁ~。
年ほど前にできた三井不動産の六本木駅前の
東京ミッドタウンもそうですね。毛利の屋敷を
明治になり軍が占有した。それはそのまま戦後は
防衛庁(のち省)になったが、こともあろうに、
国は民間に売却。それが今のミッドタウンに
なりました。そのうちまた日本のことだから
建替えとなり、その時はさらに緑が減るでしょう
ねえ。
それは明治維新にさかのぼるのですね。
おちゃさんに丁寧な説明をしていただいたおかげで
今に至るこのホテルの経過が分かった気がします。
旧大名も宮家もその土地を切り売りしてしまった結果、
高輪にも赤坂にも緑の庭園はあっても
その規模は縮小されてしまったのですね。
この後、浜離宮庭園に行ったのですが、
ここは江戸時代の将軍の敷地がそのまま残って、
これは本当に良かったことと感じました。
東京ミッドタウンも元は防衛庁があった場所ですね。
大きな塀があった印象が残っていますが、
ここも元は毛利のお屋敷だったのですね。
六本木ヒルズの毛利庭園もビルに囲まれて窮屈そうですし、
ミッドタウンの檜町公園も同じですね。
いろいろお話をお聞きしますと、
これからどうなっていくのか本当に心配になります…