新装なった「長野県立美術館」に行った帰りに、千曲市の「長野県立歴史館」に立ち寄りました。途中の田園風景…はぜ掛け(はざ掛け)は昔ながらの様子で和みます。
「長野県立歴史館」は何度か訪れていますが、今回は「全盛期の縄文土器」の企画展に注目でした。
縄文土器はどれも気になるのですが、まずは今回展示されている国宝の土器…いずれも十日町市博物館所蔵の4点です。写真撮影可でしたが、厳重にガラスに囲まれていて上手に撮影できませんでした…
「橋状把手付深鉢」です。
「火焔型土器」です。
「王冠型土器」です。
「橋状把手付深鉢」です。
重要文化財の縄文土器も4点展示されていました。中でも注目は「釈迦堂遺跡博物館」の「水煙文土器」でした。
こちらは「山梨県立考古博物館」の「水煙文系土器」です。
これは長岡市に保存されている重要文化財の「火焔土器」です。
地元岡谷市の遺跡から出た縄文土器も多数展示されていました。「褶曲文土器」が中心でした。
模様の説明から…
複雑な模様が組み合わさった縄文土器の奥深さを知る展示となっていました。この展示を堪能し、外に出ると「森将軍塚古墳」が見えました。博物館のある場所は「科野の里歴史公園」です。そこには縄文時代の住居も復元されています。
帰りの高速道の途中、姨捨SAに立ち寄りました。ここからは善光寺平が望めます。
「田毎の月」で有名な姨捨の棚田はしっかり確認できませんでしたが、ここは山に向かって棚田が多い場所です。
日帰りで2か所のミュージアム巡りはちょっと忙しかったですが、久しぶりにいい時間が過ごせました…
ハードスケジュールでしたネ。
重要文化財の縄文土器が多種展示されていたのですネ。
この土器は日常生活用では無く神事や祭事に使われたのでしょうネ?
石器時代に既にこんな文様の土器がつくられていたなんて・・・
凄い芸術性を感じますネ。
ブラタモリで、諏訪湖周辺に縄文人が集合していた事実に驚きましたが
茅野の尖り石遺跡のビーナス像などを見ても
歴史的な痕跡を身近に感じますネ。
重要文化財の縄文土器・「褶曲文土器」は岡谷市の遺跡から??
岡谷市に遺跡が在る事を始めて知りましたヨ。
諏訪は温泉が在るのに・・・
遺跡の話は聞いたことが在りません。
農耕器具や矢じりの方が重要視されたのでしょうか?
私の知識が無いだけでしょうか??
石器時代は地質も違って温泉は未だ湧出して居無かったのかも・・・
何だかロマンを感じますネ。
確かに2か所のミュージアムをはしごするのはハードでした。
なかなか余裕がなく、自由になる日に目いっぱい詰め込んでしまう…
そんな私のスケジュールです。
この日の長野県立歴史館の企画展は縄文土器!
様々な模様の付いた土器に注目でした。
こうした土器は最初、その形や文様から祭祀用と考えられたようです。
でも多くの土器からオコゲや吹きこぼれの跡が見つかっていて、
今では煮炊きに使われた(鍋!)と考えられているようです。
すごいことですね。
八ヶ岳山麓の縄文遺跡についてはブラタモリで取り上げられていましたね。
茅野市では土偶が2点も国宝になっていますし、
富士見町では井戸尻遺跡が有名…
岡谷でも遺跡が何か所かあって、重要文化財の土器もあります。
そして諏訪にも縄文遺跡がいくつもありますよ。
諏訪湖の湖底の曽根遺跡を始め、二葉高校や清陵高校近くの遺跡、
それに中央道近くの西山方面にも遺跡があります。
たくさんの土器も発見されていて諏訪市博物館で見たことがあります。
諏訪市にも縄文人が多く住んでいたということだと思います。
諏訪湖もその頃はなかったでしょうし、温泉もなかったでしょう…
でも住みやすい場所だったのでしょう!
あれこれロマンを感じることですね。
やはり、日本人は雑穀類を原始の頃から食べていたのでしょうから・・・
どんなメニューを食べていたのでしょうネ。
そう言えば、下諏訪の考古館が開設した時に
湖底に在る遺跡や西山の遺跡の話をお聞きしました。
記憶力と探求心が遠くに行ってしまいました。
タッジマッジ様に紐解いて頂いて居る様です。(笑)
土器からオコゲや吹きこぼれの跡まで見つかるなんてビックリです…
それに穀物も見つかって、いろんなことが分かって来ていますね。
ヒエが最古の穀物だそうですが、縄文末期には米も栽培されたようです。
それに木の実もたくさん食べていたのでしょうね。
以前に尖石考古館でトチの実の調理を体験したことがあります…
下諏訪の博物館にもたくさんの資料が展示されていますね。
私も展示品を見たりお話を聞いたりしても、その時だけになってしまいがち…
いつも資料を検索しては確認してばかりいます。
覚えられず、忘れることが多い日々です…