2月に茅野市美術館主催のミュージアムピクニックに参加し、次回3月のイベントにも申し込んでいたのですが、新型コロナウィルスの影響で中止…これは茅野の風土や文化を再発見するということで、茅野市の笹原地区のガイドツアーが計画されていました。笹原地区の方には前回、冬の郷土料理を教えていただきました。残念なので個人的にこの地区を歩いてみることにしました。
笹原地区は古代は縄文人の狩猟場、中世では軍馬の牧場、近世になって開拓がはじまって村ができたようです。開村350年のこの地区…高島藩の役人が声をかけて名字帯刀が許された人たちが集まったそうです。農業用水や碁盤の目の道路設計など奥深い山里に素晴らしい集落を作り上げました。温水溜池を作って冷水を克服し美味しいお米も作れるようになったそうです。その池が東山魁夷画伯の「緑響く」のモデルになった「御射鹿池」です!
この地区には江戸期の小路が残り、古民家が40軒もあります。茅葺屋根の面影を残す造りになっています。
注目は板蔵や土蔵です。この地区に何と96もあるそうです!米や味噌の保存に使われたようです。
家と蔵が合体したような建物も…
そしてその蔵にはさまざまな「鏝絵」が飾られています。「鏝絵」とは、漆喰(しっくい)を使って左官職人が鏝で壁に浮き彫りにした絵のことです。茅野にはこの「鏝絵」が多く残っていて、この笹原地区には21もあるそうです。色鮮やかなおめでたい絵柄や勇壮な絵柄のものがありました。
屋号や家紋の鏝絵もありました。
周囲に描かれた鏝絵もそれぞれに趣がありました。工夫を凝らして描かれていました。
蔵の窓にも工夫が凝らされていて注目でした。
こうした鏝絵もありました。絵のモチーフは山里のものでないような…
この地区にはいくつもの「火の番地蔵」が祀られていました。それぞれにしっかり御柱が建てられていました。
道沿いにはいくつもの道祖神や石仏が祀られていました。
さりげなく使われなくなったであろう、古い農機具が置かれていました。
火の見やぐらも健在です。
どのお家も庭に「いけす」(池)があって、コイやフナを飼っていたようです。今も60もの「いけす」があるそうです。 庭先には福寿草があちこちできれいに花開いていました。
ぽかぽか陽気のこの日、上着がいらない暖かさで気持ちの良い散策ができました。地区は鎮まりかえっていて、遠くで畑仕事をする方を見かけるだけでした…
茅野方面には詳しくありませんがこの火の見櫓は何処かで見たような・・・
確かに茅葺屋根の面影を残す立派な造りの古民家風(?)のお宅を沢山見かけます。ゆみち街道を目にすると「御射鹿池」が脳裏をかすめますヨ。
今は未だ、枯れ木で覆われた静寂の「御射鹿池」でしょうネ。
我が家の周辺は諏訪市の街中ですが、まだ蔵が残って居るお宅が在りますヨ。
中庭を挟んで住宅に改装されているのを見かけました。
住まいとすれば何だか閉鎖的な印象を受けますが、夏涼しく、冬暖かいそうです。
味噌や漬物の保存蔵ですから気温の寒暖差が少ないと言う事でしょうネ。
我が家にも漬物用の蔵が在りましたが、私達がこちらに引っ越してきて住居の敷地が必要で壊しました。
水をかけながらの解体でしたが、かなり近隣にご迷惑をかけたと思います。
分厚い土壁ですからネ・・・
私もこちらの出身ではないので、茅野は詳しくありません。
この笹原地区に行ったのは2回目…
これだけたくさんの鏝絵を見たのは初めてでした。
でも、ここを通ったことは何度もあって…
そうです、「湯みち街道」がここを通っています。
そして「御射鹿池」につながっているのです!
ran1005さんも御射鹿池には行かれたのですね。
私も何度も行きました…
新緑や紅葉の時期には多くの方が訪れる御射鹿池も、今は静寂の時でしょうね。
湯みち街道はその先の明治温泉と渋辰野館に通じています。
昔はこの街道を馬で湯治に行ったのだそうです。
道沿いには道祖神や道標がありましたよ。
それに古民家や火の見やぐらも懐かしい風景でした…
諏訪市の街中でも蔵が残っているのですか!?
それに住宅として使われているお宅もあるのですね。
私はカフェに改造されたところに行ったことがあります。
展示スペースになっていたりもしますね。
住居にすれば確かに夏涼しく、冬暖かい蔵は住みやすいでしょうね。
温度差がないので蔵はあれこれの保存に最適!
野菜や果物でも蔵で保存したものは違い増すもの…
私も実家の蔵で保存したもので実感しています。
ran1005さんのお宅には土蔵があったのですね。
お味噌や漬物の保存には最適だったことでしょう!
その解体…確かに土でできているのですから、その土埃対応が大変だったのですね。
街中の蔵…これから気にして歩いてみたいです!
笹原地区のガイドツアーが中止になって、残念でしたね。
今はあれもこれも中止や自粛で・・・
オリンピックの開催も心配ですねぇ〜
わたしは元々予定もなく、コロナの心配の薄い自然の中で、
天気と相談しながらの草取りが日課です。
今はまだ訪問蝶もない時期なので、お楽しみもご褒美もないけれど・・・
しかし、タッジーマッジーさんにはいつも感心させられます。
「残念なので個人的にこの地区を歩いてみることに…」って・・・
なんという行動力! なんというフットワークの軽さ!
あれこれお忙しいご事情も抱えてらっしゃるでしょうに、
いつも上手にやりくりしながら素敵な時間を過ごされて、
こうしてあれこれ教えていただきながら、
貴重な写真の数々を見せていただけるのですから・・・
本当にありがたいことです♪
御射鹿池が農業用のため池だということは知っていましたが、
今でも笹原地区で利用されていて、
池の周囲も笹原の人たちによって整備されているのですね。
二度行ったけど、御射鹿池の美しい姿や水鏡しか目に入らず、
池の向こう岸を白馬が歩いている、あの絵のことしか頭になかったです。
笹原地区・・・素敵ですね♪
なんだか時代を少しだけタイムスリップしたかのような、
そんな感じがします。
この日は鎮まりかえっていたということですが、
ここも白馬の青鬼集落のように、普段は観光客が歩いているのでしょうか。
最近まで、こちらも蔵をよく見かけていたのですが、だんだんと減ってきました。
体操のお母さんの家も以前は蔵があったんですけれどもねえ。
漆喰で描いた絵ですが、以前から知ってはいたのですが、それが台湾に行くと、台湾の台中のお寺にそのようなものと似たのがたくさんあって驚きましたよ。
台中で1番古いお寺と聞いたので、あちらの方が歴史的には早いのかもしれません。
今月は予定していたほとんどが中止…
この状況では致し方無いことですね。
自分でも自粛しているつもりですが、
あれこれ見極めて動くようにしています。
集団でなく、自然の中へとか…
今回は山里なので良いかなと出かけてみました。
ガイドさんがいないので、公民館で聞こうと出かけたのですが…
公民館は閉まっていて、道行く人もいない…
公民館の駐車場にあった看板(最初の写真!)を頼りに歩いてみました。
そうなんです、御射鹿池は笹原地区の方にとっては大事な溜池…
山からの冷たい水を溜め置いて温めて田んぼへ入れるようです。
で、ここの独自ブランド米の名前は「御射鹿池の恵み」です!
私も御射鹿池はあの絵のイメージでした…
でも、この地元の方にとっては大事な恵みをもたらしてくれる池!
今では整備して観光にも力を入れているようですが…
そうなんです、この日はひっそりとしていて…
みさとさんの言われるように、時代を少しだけタイムスリップしたような…
本当にそんな感じがしました。
でも笹原の方は観光にも力を入れていて(御射鹿池だけでなく)…
蔵やいけすを見てもらう「まち歩きツアー」もやっているようです。
白馬の青鬼集落のように季節ならではの人が歩くのかも知れません…
この集落、よくこんなに蔵が残っていますよね。
いけす(池)がたくさんあって、地下水路も発達していて…
火事がなかったからかしらと思ってみたりしました。
そういえば「火の番地蔵」があちこちにあって…
防火意識も皆さんきちんと持っていたのかもしれません。
蔵を大切にする気持ちもあったのでしょうが…
それにしても時間がゆったり流れているような雰囲気の地区でした。
漆喰の絵は大昔から(法隆寺にも!)あったようですが…
鏝絵として盛んになったのは江戸時代のようです。
この地区の鏝絵も江戸から明治期のもの、そしてそれ以降のものだそうです。
台湾にも漆喰の絵があるのですね。
きっと歴史的価値のあるものなのでしょう!
たくさん飾られているお寺さん、きっと見事なことでしょうね。
色鮮やかな漆喰の絵のイメージが浮かんできます…
https://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/4ce1e3345b21f9c055af43807ab4b76e
実際には、もっと写真を撮っているのですが・・・
台湾とも繋がっているのかしらね。
台湾の漆喰芸術を見せていただいてありがとうございました!
やはり豪華な色鮮やかな漆喰の作品ですね。
それにどれも手の込んだものばかり…
じっくりと見せていただきました!
同じ漆喰の作品でも台湾らしさ、日本らしさがあるような…
どちらも風土にあっているような感じで良いですね。
漆喰芸術は日本へどこから来たのでしょう…
台湾とも繋がっているのかもしれませんね。
いろいろ思いを巡らすことができました。
それにブログを通して再度、台湾観光も楽しめ…
ありがとうございました。
おはようございます!
笹原地区・・ガイド先生なしで自力で散策なされたのですね~。
「開村350年 笹原地区は古代は縄文人の狩猟場・・・」と。
石碑が立てられたのは平成7年・・あれから早や・・(計算していません(・∀・))
先を急ぎます。
「開村」・・興味あふれる集落ですね。
鏝絵が施された土蔵・・どんだけ余裕のある(裕福)な地区なのでしょう、
信州にもこういう文化があったのですね~
そしてどんな左官さんが住んでいたのか。どこで学んだ?
などと気になりました。
いえね、大分の鏝絵を「鶴瓶の家族に乾杯」で見ていたり 、大分旅行旅行の時別府で見たりして 伊豆の長八さんとの繋がりを知ったばかりですので。
気になるままにネット検索していて あちこちの鏝絵に会ってきました。
(そうこうしていて コメントが遅っていました・・)
ん?↓の方の一文が気になりました。
http://susuki.chips.jp/?p=8492
「ここのご主人さんにはおはなしを伺うことが出来ました。この集落は鏝絵だけでなく、多くの家に水が引かれ池をもった庭が作られています。これらの多くはバブルの時期に作られたのだそうです、新しい鏝絵のようです」
って
笹原の鏝絵はバブル期のもの?
でも池は昔からあった?
あくまでも「多くは・・」の範疇??などと PCに問いかけながらね。
タッジーマッジーさんがが歩いてくださったおかげで
ずい分たのしむことができました。
ほんとは 自分の足で実物を観て歩きたいところなのですが・・
足が痛い・・昔 祖母が「お天気が悪いと足が痛い」と言っていましたが
一昨日(寒い日)は痛く、昨日なんかは(25℃)痛くない・・このことかなぁと
余計なことを書きながら送信!
あ、ついでに見てくださいな
↓と、勝手にリンクをはります。
http://susuki.chips.jp/?page_id=11416
~ 八ヶ岳山麓の鏝絵 ~ ですって。
そうか 山梨県でも見ることができるのですね~。
ガイドなしでの散策…
公民館で資料をいただいたり、聞き込みをする予定だったのですが…
どこもシーンと静まりかえっていて、情報は看板だけでした。
ガイドツアーでしたらもっと沢山の鏝絵を見られたかと思います。
takeさんの紹介して下さったブログの方のように…
そして、takeさんのようにネット検索しておけば良かったのに…ですよね。
どうも準備が足らなかったかもしれません。
鏝絵は全国あちこちにあるのですね。
takeさんが見られたのは九州!
私は今まであまり気に留めてなかったので記憶なし…
これからは旅先の蔵や鏝絵も注目してみたいです。
伊豆の長八は鏝絵の名人ですよね。
美術館もあるのですね、知りませんでした。
茅野にも地元出身の鏝絵職人の小さな美術館があります…
行ったことはないのですが。
鏝絵の作られた時期…
私はてっきり昔のものだと思ったのですが…
気になるので、今度機会を見つけて調べてみたいです。
この笹原地区のお家はどこも立派…
池のある庭もあったりしますし、それに蔵!
余裕のある集落の感じでした。
何故余裕があったのか…その疑問も解きたいです。
養蚕が盛んで製糸工場が4つもあった、奥蓼科温泉への中継地だった…
それに江戸では寺子屋、明治初めに笹原学校を作った気風…
あれこれ思いめぐらせます。
山梨県でも鏝絵が見られるのですね。
北杜市には多いようですからtakeさんもぜひ…
と言ってもそちらからより私の方が近いかもしれませんね。
それにtakeさんは足の痛みが!
寒い日は痛みが出やすいですよね。
くれぐれもお大事になさってください!
機会あれば、代わりに行って見てきたいと思います…