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今年で漂泊の詩人・石川啄木没後100年を迎えた。函館だけでなく、あちこちの啄木ゆかりの地でいろいろなイベントが行われている。
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昨日は、今年から理事長を仰せつかっている退職組織の講演会・研修会が48名の参加のもと開催された。
まずは、函館市民生事業協会「明和園」を会場にして講演会、その後、「函館市文学館」と「弥生小学校」へ移動しての研修会と盛りたくさんの内容だった。
講演会の演題は「帰ってきた啄木」、講師は、八雲啄木会 会長 長江隆一氏。
講演の内容は、「没後100年、もしも啄木がこの世に舞い戻って来たら、ゆかりの各地で何を語り、何を懐かしみ、何を歌うのだろうか?人生を振り返りながら、時には詫び、さらには、現世の状況変化に驚きながらも、こんな心境を詠うのではないだろうか・・・?」と言う視点から講師自らが詠んだ短歌をもとに、啄木の短いながらも波乱に富んだ人生を語ってくれた。
講師は、「函館で生まれたわけでも、死んだわけでもないのに、しかも、わずか132日しか滞在しなかった函館になぜ墓があるのか?」という疑問から啄木研究に入ったとのこと。わずか26歳でこの世を去り、今なお、日本だけでなく国際啄木学会なるものまで存在し、100年経っても色あせることなく生き続けている啄木の魅力はどこにあるのだろうか・・・・ということにも触れてくれた。
10年前のある新聞社のアンケートで、「思い出す文学者のワンフレーズ」を募ったところ、90%が啄木の歌だったそうだ。大衆とともに生きてきた大衆性・庶民性がその背景にあるのだろうとのこと。
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そこには、自筆原稿や復刻版、函館の友人宮崎郁雨に送った手紙等、貴重な資料250点が展示されている。手紙や日記なども長文で、しかも、達筆と来ている。とにかく書くことにマメな青年だったようだ。担当者は、「啄木の人生は、妻節子の存在なくして存在はしなかった」と断言していた。その節子も後を追うようにわずか1年後函館でこの世を去っている。
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2010年に一部を除いて解体され、2012年に新校舎を建造。旧校舎の北東角、特徴的な曲面仕上げの正面入口の外壁を保存して、道路に面した外観デザインのイメージを継承している。自分も建て替え前の校舎には何度も足を踏み入れているが、新校舎になってからは初めてだった。昔の歴史の重みや面影を残しながらの校舎建築は大変だったろうと思われた。