本日の午後、八雲町のはぴあ八雲で開催された徳川黎明会徳川林政史研究所(東京)の第2回公開講座に参加してきた。
平成5年から3年間勤務したことのある八雲町は、徳川御三家である尾張藩の士族開拓の町である。その独特の歴史に非常に興味があり、勤務当時もいろいろ書物を読みあさったことがある。
第1回の2010年8月にも参加したが、今回もこの企画・運営に当たった八雲産業八雲事業所長のO氏(スキー指導員仲間)から、案内をいただき楽しみにしていた。ちなみに、八雲産業株式会社は、尾張徳川家の資産管理運営を目的として、1948年に設立された会社で、尾張徳川家が運営していた旧徳川農場を引き継いだ八雲事業所があり、植林事業を行なっている。
○講座名・・・「徳川義親 八雲への想い」~山と緑に囲まれた理想郷をめざして~
○会場/日程・・・はぴあ八雲 コミセン・ホール/13:00~16:30 250名ほどの参加者
○講座内容(講師~4名の徳川黎明会徳川林政史研究所研究員)
・趣旨説明「八雲開拓倉庫からのメッセージ」
・第1報告「徳川農場 その成立と足跡」
・第2報告「森を作る~徳川義親と八雲の人々」
・第3報告「八雲ブランド「熊彫」の誕生」~徳川義親と八雲住民のかかわり~
・パネル・ディスカッション・・・報告者4名+地元の郷土史家:幸村恒夫氏
今回の報告は、八雲町内にある徳川家所有の「開拓倉庫」に保存されていた明治末期~昭和初期の文書などの1332件の資料を平成19年~23年を調査したその結果をもとに、明治時代に八雲を開拓した尾張徳川家の第19代当主徳川義親(1886~1076年)と、まちの暮らしとの関わりが中心だった。
研究員も初めて目にした史料だっだこともあり、町民ももちろん初めて知る内容の多い貴重な報告だったようだ。3時間半にも及ぶ講座だったが、それぞれの研究報告も中身が濃く、非常に興味深く拝聴できたので、時間は全く気にならなかった。
徳川農場の理念は「公共性・公益性」で、農業の発展だけでなく、市街地の整備、住宅の改善、農民生活の向上などに繋がった。また、徳川農場は山林事業にも力を入れ、大正期からは農場収入の大半を占めていた。当時は大野(現北斗市)にも山林事業中心の大野農場もあったことなど、初めて知った。
また、八雲が発祥の地だった木彫り熊は、義親が冬期間の農家の副業として導入したことは知ったいた。それ以外にも潤いのある生活、高尚な趣味の涵養の狙いもあり、農民美術工芸品にまで高まり、あっという間に全道へ広がったこと、北海道の代表的土産物として発展していった経過や八雲の木彫りの熊は「熊彫」という商標登録がされていたことなどが興味深かった。
それらは、常に八雲住民の生活向上のことを考えて、「徳川さん」と慕われた義親の人柄によるところが大きかったようだ。