癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

4日目 深谷宿~10,本庄宿~11,新町宿~12,倉賀野宿~13,高崎宿 <34.3km>

2016年05月27日 | 登山・旅行
 今日は、深谷宿を、朝食を食べないで、6時にスタート。計画より1宿延ばして高崎宿までの34.3kmを歩いた。それでも、今日のゴールとした高崎城趾に着いたのは15:00で、9時間だった。歩き旅のコツは、徹底した軽量化と早発ちであることを再認識した。

 予報は雨絡みだったが、最後まで降ることはなく、昨日とは打って変わって汗を掻くこともない1日だった。

 深谷宿は、土蔵や煉瓦造りなどの江戸から昭和初期にかけての古い建物が目立つレトロな町並みが魅力だった。
 深谷は明治20年に郷土の偉人渋沢栄一が日本初の機械式煉瓦工場が設立された町である。


 3軒もあった煉瓦造り酒屋のひとつ、七ツ梅酒造だけは廃業して、映画館や豆腐屋、カフェなどに活用されている。


 まだ営業している文久3年(1863年)創業の滝澤酒造

 深谷宿を抜け、農村風景の中を本庄宿に向かう。


 農家の庭で良く目にした可愛い花に癒される。


 幕末の国情が騒然としていたころに、岡地区の有志13人が造立した百庚申塚


 本庄宿の田村本陣の門とその奥に建つ歴史民俗資料館。
 この資料館は、元本庄警察署で明治のモダンな建物。学芸員の案内で、中も見せてもらったが、本庄宿は、中山道で最大の宿場だだったこともあり、本陣と脇本陣が2つと旅籠70軒もあったそうだ。特に、江戸末期から明治にかけては、繭の集散地として栄えた。


 旧本庄商業銀行は、大量の繭を保管するために明治に建てられた。


 樹齢300年以上の楠と極彩色の社殿の金鑚神社は本庄の輝かしい歴史の証。


 隣の上里町の浅間山古墳。石室も覗くことができた。この辺りには、古墳が多く、本庄歴史民俗資料館にも埴輪などの出土品がたくさん展示されていた。


 神流川を渡ると、埼玉県と別れて群馬県に入る。


 北条軍5万、滝川方の上州軍1万6千の神流川合戦の跡碑


 11:00、新町宿の入口付近で昼食に食べた竹の子セイロ御膳


 新町宿には、明治天皇の宿泊所として新築された屋敷が残っている。


国登録有形文化財の豪農川端家


烏川堤防のサイクリングロードを歩き、倉賀野宿へ向かう。


 倉賀野宿入口、倉賀野追分は中山道と日光例弊使街道の分岐点


 町並みには、古い建物が所々に残り、その中の1軒が無料休憩所になっていた。


 古い建物が残る倉賀野宿


 倉賀野宿本陣跡


 今日のゴールとした高崎城趾公園。
 高崎宿は、商業が盛んだった城下町で、諸大名は城下を敬遠したために本陣や脇本陣はなかった。


 ここで、今夜の宿をスマホて探した。ビジネスホテルしかなかったが、幸い、大浴場があり、安くて新しいホテル1-2-3高崎が1部屋だけ空いていた。中山道から10分くらいの所だった。

 まずは、風呂で疲れを癒し、のんびり入り、ビールを飲み、ブログのアップ作業に取り組んだ。早く着いたので、夕食前に完了することができた。
 
 ブログのアップ作業は、たくさん撮った写真の選択とリサイズから始まる。削っても削っても25枚ほどになってしまう。それに文章やキャプションを書くと、最低でも2時間は必要だ。夕食前に終えるとなると、遅くとも16時までに宿に入りたい。


 夕食は、ホテルのそぱのやき鳥から揚げ専門店へ。珍しい高崎やきとり焼そばとからあげミックスを食べたが、とても美味しかった 

【歩数計】49644歩

【諸経費】ドリンク類240円、昼食1077円、ホテル代5700円、缶ビール160円、夕食1683円 〈計8860円〉

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