癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

6日目 横川~17,坂本宿~18,軽井沢宿~19,沓掛宿~20,追分宿~21,小田井宿~佐久IC付近 <計28.3km>

2016年05月29日 | 登山・旅行
 今日のメインは、楽しみにしていた碓氷峠越えと栃木県佐野市からわざわざ昼食と差し入れを持って会いに来てくれたKa女史親子との3年ぶりの再会だった。


 美味しい朝食を食べ、ペットボトルの水をもらい、7:30スタート。まずは、2kmほど先の坂本宿を目指す。


 10分ほどで、碓氷関所。門扉と柱は当事のもの。


 坂本宿は、碓氷峠越えのために、寛永2年(1625年)に計画的に作られた宿場である。1861年の絵図によれば道の中央に用水路が流れ、その両側に本陣が/軒のほかに脇本陣、旅籠、商家が160
軒が並んでいたらしい。


 地区の公民館として使われている酒屋脇本陣跡。


 8:20、国道18号線から離れて、碓氷峠への旧中山道古道へ。
 ずっと、アスファルトの街中ウォークだったが、楽しみにしていた山中の歴史を感じる、深く掘れた古道歩きである。いろいろな史跡があちこちにあり、それらの説明板を読みながら登る。


 はね石山までの登りが急だったが、うきうきしながら快調に登った。これまで多くの古道を歩いて来たが、この道を大名行列も通ったと思えば感慨深いものがある。


 はね石の覗きから坂本宿を見下ろす。


 日曜日だったので、反対側から歩いてくる人も多かった。


 11:00、観光客で賑わう碓氷峠へ到着。この峠の名物・力餅の元祖しげの家へ。店の中を群馬県と長野県の境界線が通過していた。


 ごま力餅ソフトを食べて、20分ほど休憩。


 碓氷峠からは、旧碓氷峠遊覧歩道を下る。
 途中で栃木県佐野市のKa女史から電話が入る。すでに軽井沢駅付近まで来ていろとのこと。分かりやすい国道18号線の近衛文麿の元別荘だという市村記念館前で待ち合わせることにした。


 11:45、旧軽井沢へ下りたら、そこは前に1度来たことのある軽井沢銀座だった。今では観光客でごった返す商店街が、かつては軽井沢宿だっのだ。


 観光客の間を縫うように下り、少し横に入った地点にある本陣跡の明治天皇行在所跡へ。


 12:35、市村記念館前の公園で待っていたKa女史親子との再開。3年ほど前のニセコスキー場で一緒に滑って以来だ。Ka女史にはその前に6山ほど三百名山巡りでお世話になっている。


 群馬県や長野県で有名な、いつかは食べたいと思っていた「おぎのやの峠の釜飯」の差し入れ。なんと本舗は昨夜泊まった横川駅前の「日本最古の駅弁屋・荻野屋」だった。
 1時間ほどおしゃべりをし、直ぐ近くの沓掛宿を目指す。

 
 途中ずっと目の前に見える浅間山


 国道18号線への合流点に立つ宿場碑


 沓掛宿の中軽井沢駅前。左角には昔の股旅演歌で有名な「沓掛時次郎」由来の軽井沢銘菓・沓掛時次郎まんじゅう屋。


 15:05、堀辰雄文学館入口に立つ追分宿本陣の門に到着。


 追分の由来となっている中山道(左)と北国街道(右)の分岐


 16:40、今日最後の小田井宿へ。ここは、旅籠5軒しかなかった小さな宿場だが、大名は姫君たちが休泊に利用したために、「姫の宿」と呼ばれた。今でも流れている用水のせせらぎと整備された道路が心地よい。


 宿場碑が立つ長屋門を構える下の問屋跡・尾台家


 17:30、今日のゴールの佐久IC 近くのホテルAZに到着。夕食は、レストランの10種類ある定食メニューから選ぶシステムだったので、カツ定食を食べた。缶ビールが1本サービスだった。

【歩数計】51716歩、山越えだったので、距離の割には歩数は多かった。

【諸経費】力餅ソフト550円、コピー30円、缶ビール250円、宿泊代6130円 〈計〉6980円。


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