癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

3日目 51太田宿~52鵜沼宿~53加納宿〈24.5km+2km〉

2016年11月14日 | 登山・旅行
 夕方から雨予報なので、早く出たいところだが、朝食ビュッフェを食べて、7:05ホテルを出る。


 1km先の 御代桜酒造の横を抜けて、7:20中山道へ戻る。


 太田宿の西出口、堤防へ上がる手前には、文豪・坪内逍遙が少年時代に遊び場にしていたという虚空蔵堂。


 木曽川を眺めながらの堤防歩きが4kmほど続く。


 その後、国道へ出て少し歩き、国道の崖上の道へ登り、岩屋観音堂に寄る。


 岩屋観音堂への登りから木曽川を見下ろす。
国道へ戻り、1kmほど先から川の方へ少し下って、国道と鉄道の下を潜るトンネルを抜ける。


 その先は、うとう峠への山道へと入って行く。峠の前後は石畳の道だった。
15分で峠を越えたら、すぐに住宅地が迫っていた。


 住宅地の中の急な道を下って行くと、鵜沼宿の町が見えてくる。


 9:20、鵜沼宿に到着。資料館になっている中山道鵜沼宿町屋館。月曜日は休館日で、内部は見られなかった。

 鵜沼宿は、明治24年の濃尾大地震で、江戸時代の建物が消失してしまった。そのご、徐々に整備され、昔の宿場の景観が再現されつつある。


 菊川酒造の建物


 復元された脇本陣


 復元された江戸時代の旅籠や古民家


 鵜沼宿を抜けて、交通量の多い国道21号線の歩きが、1時間ほど続く。
 その後、旧中山道へ入って行き、少しほっとする。


 これまでの道中でも多く目にした神明神社。岐阜県に多くあるらしい。

 予報では夕方からの雨が、11:00に降ってきた。それほど強い雨ではなかったが、ホテルに入るまで止むことはなかった。雨具の上下を着て歩き続ける。


 11:40、各務原市役所手前で、妻の好きなコメダ珈琲を見つけて、味噌カツサンドの昼食タイム。


 中山道間之宿新加納の石碑。鵜沼宿と加納宿の間は約17kmと離れていたため、新加納に「立場」と呼ばれる旅人や馬の休憩所が設けられていた。


 さらに、1時間以上歩くと、加納宿が近くなり、古民家が目に付くようになる。


 14:35、加納宿の東の入口となる東番所跡の碑に到着。

 加納宿は、現在の岐阜市街に属し、
宿場町と城下町を兼ねていたことから、美濃路16宿の中で最大の宿場だった。枡形と呼ばれる鍵状に折れ曲がった道が多く、分かりずらい。
 おまけに、他の宿場のように、古い建物や町並みがほとんど残っていなかった。


 歩道橋下の加納城大手門跡の碑。


 街道を外れて加納城址へ寄ってみたが、石垣が残るだけで、中は公園になっていた。


 本陣跡の碑。この加納宿は、大きな宿場らしく、本陣と当分本陣、脇本陣が2か所あったようだ。


 脇本陣跡の碑


 15:10、岐阜駅前へ通じる道との交差点に到着。
 計画では、ひとつ先の河渡(ごうど)宿まで行きたかったが、宿がないので、ここで今日のゴールとした。
 

 10分ほどの歩きで、岐阜駅を通り抜けて、駅前のコンフォートホテル岐阜にチェックイン。二人で8400円。


 夕食は、駅ビルの中の長崎ちゃんぽんの専門店・リンガーハットで。

 行動時間、約8時間。歩数計、約47000歩