癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

思いがけない訃報・・・お参り

2018年12月20日 | 日常生活・つぶやき

 一昨日、Haさんから「Saさんが12月5日に亡くなっていたんだって。なにか聞いていない?」との電話が入る。まったく考えてもみなかったことなので、耳を疑う思いだった。その10分ほど前にSaさんへの年賀状のコメントを書いたばかりだった。新聞の忌中広告やおくやみ欄はこまめに見ているが目にはしていない。

 実は、40代前半に3年間務めた職場で気の合った5名(お世話になった先輩ばかり)が、職場を離れても20年以上にわたって、お互いの家を回っては年に数回麻雀をしながら交流を続けていた。10年ほど前にその中のひとりが旭川へ引っ越してからも4人で続けていた。そのうちにSaさんの奥さんが体調を崩し、Saさんが参加できなくなり、お互い年賀状だけのお付き合いになってしまっていた。特に現職のころは同じ研究サークルや最後は同じ職種でずっとお世話になった方である。

 Haさんに連絡をくれたのが、当時の職場の同僚で、Saさんとは子供のころから家族ぐるみのお付き合いをしていたTa女史とのこと。もっと詳しく知りたいのでこちらから直接電話をしてみた。本人も間接的に聞いたとのことで、翌日、その情報源であるSaさんのお姉さんへ直接電話してみるとのことだった。

 そして、昨日電話が入り「11月に体調を崩し、病院で検査したら肝臓癌でステージ4と判明。即入院したが、まもなく黄疸症状も出て、自らの意思で終末医療の病院へ転院したそうだ。しかし、ひと月も経たない12月5日に亡くなった。故人の意思で、葬儀は誰にも知らせないで身内だけで行ってほしいとのことだったので、新聞にも載せなかった」とのこと。
 奥さんはSaさんの入院後から施設に入っているので、家にお参りに行くこともできない。Ta女史の記憶では、「お寺の名前は分からないが、お墓が久根別の3軒並んでいる真ん中のお寺のあったはず」とのこと。

 せめてお墓参りだけでもと、昨日の内にそのお寺を探しに出掛けた。しかし、久根別には3軒並んだお寺はなかった。スマホで調べたら、北斗市役場(旧上磯町役場)のそばに、3軒並んだお寺があることが判明。境内に入って行ったら、タイミング良く住職さんが出てきたので、尋ねたら、やはりそのお寺だった。「お墓はありますが、まだ納骨はしてないので、お骨を預かっています。お参りするのであれば、納骨堂でされたらいかがですか?」とのことだった。「仲間と相談して、明日にでもお伺いします。その時は電話を入れます」と話して帰って来た。

 HaさんとTa女史に電話を入れ、HaさんからMuさんに連絡を取ってもらい、今日の9時に我が家に集まり、4人でお参りに行くことになった。
 お供えする花は買ったが、供え物を何にするか悩んだ。一升瓶をひとりで空けるほどの酒豪だったので、ワンカップのお酒とつまみ類・・・と思ったが、お寺に魚のつまみというのもまずいだろう。そこで、ワンカップの酒と彼があまり口にすることがなかったお菓子と果物にした。

 そして、本日、予定通り9時過ぎに自分の車に同乗してもらってお寺へ向かった。お寺では、納骨堂にストーブを焚いてくれていて、彼の遺骨の下に花や供え物等を置けるテーブルを用意してくれていた。お線香をあげてから30分ほど、彼を偲んでいろいろな思い出話をした。共通の思いは「多分、奥さんの体調が悪かったので、自分は具合が悪くても病院に掛らないで、ずっと我慢していたのだろう」ということだった。

 お寺を後にして、久しぶりの我が家にも上がってもらい、1時間半近くいろいろ思い出話に花を咲かせた。「お互いこんなことでもないと、なかなか会えないよね。今度はこんなことでないときに会いたいね」と別れた。 

 Ta女史の記憶のお陰でなんとかお寺が分かり、まだ納骨する前の遺骨にお参りすることができたことは幸いだった。しかし、年々、親しかった方やお世話になった方が、少しずつ亡くなって行くのは仕方ないことだが、寂しい限りである。