昔、この3つの大沼発電所があったことは知っていたが、その場所が分からなかった。この度、場所が分かったので、一昨日の午後にカメラに収めに行ってきた。
大沼発電所となっているが、すべては鹿部町に存在する。第一発電所と第二発電所は大沼から流れ出る折戸川の水を利用しているが、第三発電所は大沼とは関係のない鹿部川の水を利用している。
いずれも、明治39(1906)年に設立された渡島水電株式会社<明治41(1908)年12月に函館水電株式会社と社名を変更>によって建設され、昭和40年に峠下に大沼の水を引いた七飯発電所が竣工されるまで、 函館市内や上磯のセメント工場に電力を供給していた。
なお、この電気を利用した「大沼電鉄」という軌道路線もあった。昭和4(1929)年1月、国鉄大沼駅(現:大沼公園駅)と大沼温泉・鹿部村を連絡する目的で敷設されたが、戦時中の1945年に不要不急線に指定され、同年6月1日の函館本線(砂原支線)の開通と同時に廃止された。戦後の1948年に国鉄銚子口駅にて砂原支線と接続する形で一部の区間が地方鉄道として復活したが、これも1952年に廃止された。
掲載している往時の古い写真は、『函館水電株式会社写真集』からの又借り(-_-;)
大沼第一発電所
鹿部町折戸川上流に、明治41(1908)年に完成された、旧大沼第一発電所。土木学会近代土木遺産となっている。この建物は、道道43号線大沼公園鹿部線からも見ることができる。
折戸川の水を利用して、1000kwの出力で発電し、最終的には3000キロワットまで増加した。函館市街地まで電力を供給していた。道内では岩内水電、定山渓水電に次ぐ三番目の水力発電所だった。
現在は、道南ファームの牧草ロールの倉庫として使用されており、屋根を定期的に葺き替えているとのこと。
見事な煉瓦造りの建物だが、内部は白い漆喰が明るさを感じさせる。屋根だけは木造で、これは、内部で爆発があった場合に圧力を木造の屋根部分から逃がすためなのだそう。
往時の姿
大沼電鉄の車両と第一発電所
稼働時のタービンが設置されている内部の様子。
大沼第二発電所
第一発電所から少し下流にある第二発電所。こちらも、土木学会近代土木遺産となっている。
大正3(1914)年にこの大沼第二発電所が竣工、同6(1917)年には大沼市街地にも電気を供給し、大沼にも電灯が灯るようになった。出力は900kwだったそうだ。
現在は、この敷地は、水産会社の資材置き場?に利用されているが、昔は、この内部も漁具や漁網の倉庫として利用されていたらしい。
窓は洒落たデザインになっている。煉瓦は第一も第二もイギリス積みで作られている。フランス積みに比べて、丈夫でコストが低いらしい。
藪を掻き分けて中に入ってみた。すっかり崩壊した内部の様子だが、足元が悪くて歩き回ることは止めにした。
往時の姿~この上に水を貯める堰堤があったようだ。
タービンが設置された内部の様子
折戸川にこのような堰堤が造られて、水を引き込んでいたようだ。
大沼第三発電所
大正8(1919)年、運転開始された大沼第三発電所。出力は800kw。こちらは鹿部川沿いの、鹿部変電所裏側に現存している。
中央部に見える塔型構造物の中が空洞になっており、後方の山から水を直接落下させてタービンを回した。他の2ヶ所に比べてかなり異色の建物である。
近くまで寄ってみたが、これ以上中へ入る気はしなかった。
ツタや木々で覆われているが、この陰が建物のレンガ壁らしい。晩秋にでも行けば見えるかもしれない。
往時の姿。
橋の右奥に第三発電所が見える。走っている電車は大沼電鉄の車両。