癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

76座目・薬莱山(553m)<宮城健> & 77座目・翁山(1075m)<山形県・宮城県>

2020年08月22日 | 登山・旅行

 今日は杢蔵山の予定だったが、新庄市まで行ったら、山も見えず、霧雨が降っていた。諦めて、県境を越えた宮城県は晴れていそうなので、次の予定だった薬莱山へ。そのあと、県境に聳える翁山の2山を登った。この2山は、どちらも2時間ほどの山だったので、登山口は50kmほど離れているが、セットで1日で登る予定だった。

◎薬莱山

 この薬莱山(やくらいざん)は、船形連峰の北東山麓に広がる大崎平野の西方に位置する独立峰である。標高は低いが、円錐形の均整の取れた山容から、地元の人は加美富士と呼ばれている信仰の山である。

 天平時代、多賀城の鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまんど)が秋田への道を造るためこの山の頂上に薬師如来を祭ったとか、坂上田村麻呂が射た矢がこの山でなくなったので矢喰(やくらい)山になったとかいわれている。山頂の神社は、明治初年(1868)の神仏分離まで薬莱山大宮寺と呼ばれていた。

 低山なのに、東北百名山に選ばれたのは、その歴史にあるのだろう。

 薬莱スキー場登山口から周回した。

 〈登り〉8:15登山口~8:55頂上(40分)

 〈下り〉9:00頂上~9:25舗装道路出会~9:50登山口(50分)

 

 スキー場横の鳥居を潜って参道を登る。ニノ鳥居のところに登山口の標識があった。

 ニノ鳥居の先にあった大岩。この山が噴火したときに飛んできたらしい。そこで草刈り整備をしていた男性によると、昔はここに社務所があったとか。

 706段の急な階段が続く。看板のキャラクターは、拙サイトのマスコットキャラクターと同じ男の子。出典が同じらしい。こんなところで目にするとは・・・。

 

 一気に706段は登りきれずに、400段で一息入れた。半分くらいは横に踏み跡があるのでそちらを登った。

 登りきると、ミズナラの道となり、まもなく南峰に到着。

 南峰には、薬師堂が建ち、少し進むと、怖い感じの姥神の石像があった。

 その先に展望台があり、霞んだ大崎平野が見えた。

 北峰が頂上で、薬師堂と石碑の頂上標識が鎮座していた。

 いつもの儀式。

 頂上からの周回コースを下る。こちらには階段はなく、斜度が緩やかだった。舗装道路に出たら、そこにも登山口の石碑が建っていた。

 スキー場の下から南峰と北峰の山頂部を望む。こちらから見ると双耳峰に見えるが、北から見ると、加美富士と呼ばれる形をしていた。(トップ画像)

 このあと、国道347号を山形県に戻り、翁山へ。

 ◎翁山

 尾花沢市の東、奥羽山脈の中央部に位置する翁山(おきなさん)は、地形図上では宮城県側の呼び方「翁峠」である。笹原に覆われた稜線上には、広く刈り払われた縦走路が延びている。明るく開放感に満ちた稜線漫歩が楽しめる山である。

 しかし、時間が遅かったので、ハリマ小屋からの往復だけにした。

〈登り〉11:30ハリマ小屋~12:25頂上(55分) 〈下り〉12:35頂上~13:15ハリマ小屋(40分休憩室)

 避難小屋のハリマ小屋と広場。着いたときに、下山してきた男性が帰る準備をして、こちらがスタートする前に帰っていった。

 いきなりトリカブトに迎えられた。もう秋・・・。

 ブナ林の中に快適な登山道が続く。

 ほぼ中間地点に湧水「白髪の泉」。冷たく美味しかった。

 登頂5分前の地点から山頂が見えた。

 周りはガスで展望もない中での儀式。ただし、山頂標識はなかった。

 翁山を愛する会が寄進した翁山神社の石祠

 下山後、花笠温泉ふくの湯に寄り、道の駅尾花沢ねまるへ。

 明日は、雨予報だったので休足日にしようと思っていた。ところが、天気予報が変わって、晴れ間が広がるらしい。しかし、来週はずっと好天が続きそうである。この尾花沢で見たいところもあるので、晴れても、明日は、休足日にすることにした。