癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

79座目・甑岳(1015m)<山形県>

2020年08月25日 | 登山・旅行

 船形連峰の西端に位置する甑岳(こしきだけ)は、村山市に近く、市民に親しまれている山である。夜を明かした道の駅むらやまのラウンジの正面にどーんとそびえている。山名は、東根市側から見ると甑を逆さにしたように見えることが由来だという。ちなみに、甑とは、日本酒の原料米を蒸すためのせいろのような蒸し器のことである。

 なお、東北百名山に、秋田県と山形県の県境に、すでに登っている甑山という山もあって紛らわしい。

 山頂にある甑岳観音は、大化4年(648年)開山と言われ、大同2年(807年)に開かれた寺屋敷跡や、村山市出身の江戸時代の北方探検家最上徳内の『青雲の志』碑などがあり、歴史の古い山である。

 東沢公園の上の幕井コースを往復した。

 〈登り〉5:25車止め~5:35登山口~7:20山頂広場(1時間55分)

 〈下り〉7:25頂上~7:30山頂広場8:00~9:05登山口~9:15車止め(山頂広場での休憩を除いて1時間20分)

 登山口は右の林道の奥なのだが、テープで進入できないようになっていたので、ここからスタート。

 先日の山形県を襲った集中豪雨で土砂崩れになり、林道が塞がれていた。

 10分ほどで、登山口へ到着。この丸木橋を渡って登山道へ。

鬱蒼とした杉林の中を1時間近くも歩く。

 

 途中に馬立沼に寄る。馬立とは、馬を繋ぎ止める意味で、あちこちに地名として残っている。ここも、昔は上に寺屋敷があったそうなので、この辺りに馬立場があったのかも?

 750付近で杉林を抜けると、クリの大木の林となる。珍しいなと思ってしばらく進むと、「栗林へようこそ」の標識がある。クリは先人が植えたもののようだ。この辺りは、平坦な地形で、約1200年ほど前、いくつかのお寺があり、寺屋敷と呼ばれていたと伝えられているそうだ。

 やがて、南尾根に乗り、方向を北に変えるが、斜度は緩い。

 尾根に乗ったら、一気に南の視界が開けた。眩しい太陽をかすめる飛行機雲と、その下には明日登る黒伏山(中央右)が見えた。

 尾根道は、まさにママコナロードである。ママコナは北海道では函館郊外の汐首山でしか見られないが、ここは、頂上まで、この花だけがずっと咲いていた。

 しばらく進むと、山頂広場のあるピークが見えてきた。山頂はその奥で見えない。

 その山頂広場ピークへの登りがこの村山市出身の最上徳内に因んで「徳内坂」と命名されていた。

 やがて、「青雲の志」碑や「甑岳観音」の石祠のある山頂広場に到着。

 ここは、展望が開けているので、戻ってから、ゆっくり休むことにして、山頂儀式に必要な三脚とカメラだけ持って頂上へ向かった。

 5分ほどで着いた山頂は本当に展望はまるっきりない。標識に書かれているのは、「1015.5米二等三角点、甑嶽(齋藤茂吉翁)、甑ヶ岳(最上徳内元吉)」である。二人がそのように何かの書物に記しているということなのだろうか?

 すぐに山頂広場へ戻って、30分ほどものんびりと展望を楽しんで寛いだ。

 この「青雲の志」碑は、最上徳内がこの山に登り、立志して、江戸に出て、その後、北方探検家となって多くの業績を残したことを讃えている。

 南方向の展望。平野部は東根市の市街地とその南側。左後ろは蔵王連峰。

 北の方向の展望。右奥には鳥海山。

 肝心の村山市の展望がないと思いながら下っていくと、まもなくその展望台のようなところがあった。

 眼下に広がる村山市街地とその後ろに、すでに登頂済みの葉山とその後ろに月山が見えた。

 なお、この最上徳内の出身地である村山市は、2013年の飯豊連峰縦走のあと、停滞と葉山登山も含めて道の駅むらやまに3連泊している。そのときに、村山市の観光・歴史探訪をし、夜にはむらやま徳内まつりも観ている。

 下山後、まずは、明日の黒伏山の登山口の下見に。登山道入口への道がなかなか判らずに非常に苦労したので、前もって行って良かったと思った。

 その後、東根温泉のこまつの湯で汗を流し、疲れを癒した。休憩は有料なので、東根市立図書館へ避暑。ブログを書き、夕方まで本を読んで過ごす予定。その後、コインランドリーで洗濯をして、登山口手前の石崎農村公園駐車場に泊まるつもり。標高が高いので涼しくて寝やすそう。