癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

クロカンスキーの魅力

2010年03月10日 | スキー・クロカン
          (3/7の「十勝大平原クロカン」の私~若葉マークさん提供)

 今シーズンのクロカンスキーレースは、3/7の国内最長の「十勝大平原(65km)」で終了。1/17「大沼(10km)」、2/7「おおたき(15km)」、2/14「札幌国際(50km)」、2/21「宮様(38.3km)」の5大会、全て完走することができた。

 レース中の辛い登りなどでは「なんで、こんな遠くまで来て、こんな苦しい思いをしなければならないのだろう?」と自問自答することもあるが、ゴールすれば、全て満足感と充実感に変わる・・・・それが、長距離であればあるほど、苦しければ苦しいほど、その喜びは大きい・・・。

 冬も汗を掻きたくて、10数年前から始めたクロカンスキーだが、自分にとってのその魅力を簡単に述べてみたい。

1,クロカンスキーとは

 「クロスカントリースキー」・・・そもそもは、スキーを履いて自由に野山を歩き回ることである・・・したがって、山スキーもそうだし、オフピステのテレマークスキーや歩くスキーもその範疇に入る。「バックカントリースキー」も同じような意味合いであろう。
 ここで言う狭義のクロカンスキーは、距離スキーとかスキーマラソンに分類されものである。テクニック的には、スケーティング走法とクラシカル走法があるが、一般的な愛好者は、圧倒的にスケーティング走法が多い。

2,心地よい滑走性と全身運動

 歩くスキーとの違いは、用具も全て滑走性を重視した作りになっていて、滑りやスピードが全然違う。競技性が強く、「走るスキー」と言った方が解りやすいかも知れない。滑走性を高めるための雪質に合わせたワックスの選定とワックステクニックも必要だ。 

 自分も当初、歩くスキーの用具を揃えたが、滑走性に乏しく、すぐに飽きてしまった。そのころ、たまたま、ワールドカップやオリンピックで大活躍していた複合の荻原健司選手のお陰で、距離スキーがTVでも放映されることが多くなった。一般スキーのスケーティング操作がそのまま応用できそうなので、自分もできそうと思ったのがきっかけである。

 歩ければ誰でもできる歩くスキーに比べて、こちらは、スケーティング走法の技術が必要だ。したがって、練習すれば上達する楽しみもある。ある程度そのテクニックが身について、ワックスが合ったときや堅いザラメ系統の雪での一歩一歩の滑走感が非常に心地よく、その爽快感が堪らない。速い人は、この一歩の滑走距離が非常に長い・・・もちろん、それに必要な体力と技術も備わってのことだが・・・。
 
 両腕での推進とそのための上体の筋力、交互の足で蹴っては乗り込んで滑らせる脚部の動き・・・まさに全身運動だ。ちょっとした上り坂などでは、あっという間に心拍数が上がり、心肺機能も高まるし、汗を掻くことができる。一般スキーと違って転倒しても怪我の心配がほとんどないのも魅力だ。

 ただし、ある程度幅広(最低2m)に整備されたコースでなければできないのが難点である。札幌などの道央には常設のコースが多く、気軽に楽しめるが、雪の少ないこの道南には、今でもグリンピア大沼の短いコースしかない。もっとジョギングを楽しむように日常的にできる環境がほしい。

3,自分のペースで味わえる大きな達成感・満足感

 ゴールした後の達成感や満足感・・・これが、遠くまで出掛けても参加したくなるレースの一番の魅力である。

 このクロカンスキー愛好者のほとんどはマラソン愛好者でもある。自分も、57歳から4年間ほどハーフマラソンの大会に年に2~3回ほど出場したことはあるが、楽しいと思うことがなく、単調でただ苦しいだけで、どうも好きになれない。退職後は、ジョギングすら年に数回となってしまった。そのせいか、年齢とともにクロカンのタイムも順位も落ちてきていることは否めない。

 トレーニングのつもりのジョギングでも10kmも走ればもうアップアップなのだが、スキーを履くと65kmも走れてしまうのが不思議だ。まあ、山パワーだけで滑走しているようなものだが、こんな自分は例外の部類に入るようだ

 マラソンに比べて、コースに変化があり、登りは辛いが、下りでは休むことができて、すぐに元気が取り戻せることや、一歩一歩の距離がランよりはかなり長くて、膝への負荷が少ないことなどが自分好みなのかも知れない。

 レースでも、自分のレベルでは、他人と競争することは全くと言っていいほどない。ひたすら自分のペースを楽しみ、自分の辛さとの闘いだけである。天候や雪質や雪音、ワックスの選択などによって、同じコースでも、タイムや順位がその度に違うことも面白い。

 いずれにしても、この年齢で挑戦できるものがあり、達成感や満足感を味わるだけでもうれしい・・・70歳を超えても、毎週のようにレースを楽しんでいる人も多い・・・自分も見習いたいと思っている。 

大樹山のみで帰路に・・・

2010年03月08日 | 登山・旅行
 昨夜は、申し訳なかったが、眠くてかなわず、先に失礼させたいただいた。
 懇親会参加の方の会社の駐車場で車中泊をさせてもらった。すぐ近くに公衆トイレがあって便利だった。

 今朝もかなり冷えたが十勝晴れだった。昨日の今日なので軽い山ということで、更別村と大樹町の境界線上に位置する一等三角点の大樹山(537.6m)に登った。モナカ雪で埋まるのでスノーシューで更別村営牧場を横切り、南東尾根を登った。十勝平野と日高山脈の展望台的な山だった。

 登り、1時間20分。下り、40分

 下山後、昨日のクロカン大会のコース上で、登山口を見つけた岩内仙峡の金竜山(450m)を目指した。昨日、スキーで渡った吊り橋を越えて、登山口から登山道に取り付いたが、北斜面のせいか、雪が深くて膝まで埋まる。夏道なら30分もあれば登れる山なので、嫌になって途中で止めた。

 明日以降、予定していた南富良野の社満射岳と富良野の大麓山~トウヤウスベ山は、天気予報が良くないので、帰ることに・・・一気に走って、21:00過ぎに帰宅。

 詳しい山行記録は、明日アップ予定の下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/taikiyama.htm

みなさんありがとう!

2010年03月07日 | オフミ・飲み会
こんなゴミみたいな私のために11名も集まってくださってありがとうございました。なんて幸せなんでしょう。

<3/9追記>
昨年に引き続き、HYML仲間のとしさんが企画し、参加を呼びかけてくれた山仲間の懇親会に出席。車は、同じ参加者で初対面のKoさんの職場の駐車場に置かせていただき、車中泊の準備をする。そこへKoさんがわざわざ迎えに来てくれた。

 久しぶりの再会の方々を初め、初対面の3名も入れて10名の山仲間が集まってくださった・・・18kmの歩くスキーに参加の幕別町のパパちゃりさん、応援に駆けつけてくださったとしさん、山ちゃりさん若葉マークさん、6年ぶりの再会がかなったyamazoeさんのほか、昨年も参加してくださったAboさん、torimotoさん、紋次郎さん、30分ほど遅れて参加された釧路のonさんも揃い、山談義に花が咲く。

 楽しい時間はいつもあっという間に過ぎてゆく・・・2時間半を過ぎて、疲れた身体に酔いが回り、眠くてどうにもならない。大変申し訳なかったが、先に失礼させていただいた。本当に感謝・感動・感激のうれしくも楽しいひとときをありがとうございました。

やはり65kmはきつい!

2010年03月07日 | スキー・クロカン
みごとな十勝晴れの下、国内最長の「十勝大平原クロカンスキー大会」65kmを無事完走。これが今シーズンのクロカンの滑り納め。

これまで登った日高山脈の凛とした山並みを眺めながらのロケーションが最高。雪は堅いザラメ状なのでとても良く滑ったが、一部日陰にアイスバーンのところがあり、手こずるところも・・・。

6km地点と12km地点で、帯広の山仲間4名が待ち構えて応援してくれた・・・大感激・感謝・感動!・・・おまけに、今夜懇親会を計画してくれて11名も集まってくれることになっている。それを楽しみに、その後も頑張ることができた。

タイムは、4時間26分35秒。2km長かった昨年より20分ほど速く、気持ち良い滑走を楽しむことができた。しかし、最後の15kmはやはりきつかった。ペースが落ち、それまで前後を走っていた人たちに置いていかれてしまった。今年はタイムが良くて満足感に酔っていると、順位が悪いことが多い・・・。案の定、速報によると60歳以上の部で20位/87名中。昨年より6位もダウン・・・昨年より滑りは気持ち良かったのに、ちょっと残念。

今、帯広駅近くの温泉から上がり、夜の懇親会までの間、体を休めながらブログを打っている。

詳しい参戦記は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/10tokati.htm 

十勝まで450km

2010年03月06日 | 登山・旅行
昨年に引き続き2回目となる、明日帯広市で開催の国内最長「十勝大平原クロスカントリースキー大会」(65km)への参加のために、スタート地点に近い中札内道の駅まで走った。ここは、中日高の山に登るときに良く世話になってきたところ。向かいに大型スーパーがあり、車中泊には非常に便利。

8時に家を出て、さいごまで一般道路を走る。美笛峠経由で千歳を通り、日勝峠を越えた。ずっと小雨と小雪だったが、十勝に抜けたら晴れだった。うれしいことに明日も十勝晴れのようだ。それにしても、冬型の気圧配置のときの天候の違いはみごと・・・。

今日は、道中、燃費に興味を持って走ってみた。ほぼ時速60~70kmで走って、燃費計に現れた平均燃費は17.3kmだった。これは、実際の燃費より1kmほど多いようなので、給油をして計算したら、ほぼ16kmほどだった。前の車も同じ2000ccだったが、せいぜい12kmだったので、それだけでもうれしい。おまけに車中泊空間もずっと広くて快適。愛すべきエコ減税対象車X-TRAIL。

時間的にも余裕があったので、明日のスタート地点まで走って下見をし、さらに足を伸ばして更別村の温泉に初めて入って戻ってきた。それでも18:30。向かいのスーパーで弁当やビールやつまみ、明日の朝食などを買ってようやく落ち着いた・・・極々ささやかな独りでの前夜祭。

青函連絡船思い出こもごも・・・

2010年03月03日 | 日常生活・つぶやき
      

 JR函館駅のイカスホールで開催されている写真展「青函連絡船 海峡の記憶」を見てきた。
 「語りつぐ青函連絡船の会」の活動10周年記念のイベントで、2月24日(水)~3月16日まで行われているようだ。 
 80年の歴史を刻んで1988年3月13日に終航となった青函連絡船。その直前、厳冬の津軽海峡をゆく船体と、最後の航海にたずさわる人々の姿をとらえた写真(カラー・約80点)が展示されていた。

 青函連絡船については、地元函館人でなくとも、悲喜こもごもいろいろな思い出があるはずだ。

 出港時の別れのテープ(昭和39年の死亡事故で廃止)と「蛍の光」のメロディにドラの音が醸し出す旅情に、どうしても別れの哀愁が濃く付きまとうが、進学や就職や旅への多くの希望も運んだはずだ。そして、函館山が見えると、「帰ってきた」という安堵感も懐かしい。

 自分にとっての最初の青函連絡船への想いは、尻への直径3cmはあろうかと思うような太さのストレプトマイシン注射の強烈な痛みに遡る・・・初乗船を楽しみにしていた中学校の修学旅行だった。しかし、前日に高熱を出し、布団にしがみつきながら我慢して打った注射だったのに、朝になっても熱が下がらなかった。泣く泣く参加を取り止め、出港時刻の時計を布団の中から眺めて泣いた辛い思い出に始まる。

 その次も、またまた「涙の連絡船」・・・当時「金の卵」ともてはやされて、中学卒業と同時に集団就職で旅立つ多くの友人の見送り・・・送る方も送られる方も涙・涙・涙・・何本もの五色の紙テープを両手の人差し指に通して「テープが切れると縁が切れる」と言われて、切らないように懸命に延ばしたものだ・・・。見えなくなるまで見送った船体から風になびく五色のテープの美しさが印象的だった。

 そんなこんなで、初乗船は高校の修学旅行だった。その後、何度となく利用したが、船酔いしやすい質だったので、あまり良い思い出はない・・・もの凄い嵐で、出航か欠航か寸前まで揉めて出航したときは、4時間のうち青森に着くまでの3時間、トイレの中に新聞を敷いたまま閉じこもって吐き続けたイエロー船室の思い出が強烈だ。

 楽しい思い出もある・・・当時、この連絡船の乗組員にスキー指導員仲間が多く、特別サービスでグリーン船室へ案内されたことも多かった。また、たまたま、家族で旅行したときに乗った船の船長がやはり親しかった指導員仲間だったこともあり、操舵室で子供たちに、ここに書くのははばかれるような楽しい体験をいろいろさせてもらったこともある。

      

 その船長から、連絡船が廃止される2ヶ月前に、新築祝いにいただいたのが、上記の額である。これは、現在函館港に係留されている摩周丸の精巧な手書きの絵図面である。色付けは全て切り紙を貼っている。どなたか乗組員の作品らしい。作者のネームも入っている。

 しかし、新築祝いとは言っていたが、別れの挨拶代わりの置きみやげでもあった・・・この数日後に、船長としての再就職先の三重県へと旅立って行った・・・。

術後2年目検診

2010年03月01日 | 大腸癌日記
 (PC画面の背景や携帯の待ち受け画面に使用しているお気に入りのレブンアツモリソウ~07,6,10撮影)

 本日は、大腸癌術後2年目検診だった。血液検査とCTスキャン検査の後、主治医の診断を受けてきた。「血液検査の結果からも、CTで肺から肝臓、骨盤まで診ても、転移などの心配はまったくありません。」とのこと・・・ありがたいことだ

 もう2年経った・・・と言うよりは、もっとずっと昔のできごとのような気さえする。お陰様で、まったく後遺症や体調不良などもなく、大腸癌が見つかる前よりも元気で充実した日々を送っているような気さえする。

 普段は、5年間は癌患者であることはすっかり忘れている。たまに、知人と会うと、「その後、体調はいかがですか?」と聞かれて、思い出すことが多い。

 ライフパレットというサイトが、このブログから1年間の闘病日記の部分だけを抜き出して、ネットで読める一冊の闘病体験記『癌春日記』として編集してくれたものをたまに読んでは、当時を思い出すようにしている。

 あと3年間は、この定期検診が続く・・・その時点で何もなければ無罪放免となり、晴れて癌克服者となるらしいが、自分では、もうすっかり癌克服者のつもりである。


 この2日連続のハードな山行のお陰で、体重も61kg台に落ちている。普段は62kg台を維持するように努めている。まだ余裕があるので、今晩は、術後2年目記念のお祝いも兼ねて、最近できたファイブスターという200種類もの料理が食べられるバイキングレストランへ出掛けた。もちろん、二人で3000円強で済む割引券利用・・・。

 しかし、バイキングという歳でもないのだが、いつも食べ過ぎて後悔する・・・初めは何を食べようかと楽しみで、いろいろな種類を少しずつパクパク食べる。しかし、ギブアップしたときには、痛苦しいほどの超満腹感に不快感と空しさえ覚える・・・。ちょうど良いところで、セーブできないのが貧乏根性のなせる業・・・美味しいものを、もう少し食べたいと思うくらいで終えるのがちょうど良いとは思うのだが・・・反省と後悔