癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

5日目 58関ヶ原宿~59今須宿~60柏原宿~61醒井宿~62番場宿~63鳥居本宿~64高宮宿 〈28.5km〉

2016年11月16日 | 登山・旅行
 妻が両足の小指にマメ(水ぶくれ)ができていたので、昨夜のうちに手当てをし、荷物を2kgほどこちらリュックへ移した。


 美味しい朝食をいただき、宿の車で送ってもらって、7:20に中山道へ戻って、スタート。宿代は瓶ビール込みで19000円ちょっと。

 関ヶ原合戦の古戦場巡りも興味がある。しかし、カイドブックによると、「広すぎて中山道歩きのついでにというわけにはいかない」と書かれていた。確かに、道中の途中にも各武将の陣地の跡の碑がたくさんあった。


 宿場としての名残を残すのは、相川家の脇本陣跡くらいとのこと。

 
 各武将の旅印が並んでいるところは、徳川家康に首実験された武将が眠る西首塚だった。


 関ヶ原宿を抜けてしばらく行くと、壬申の乱の後、637年天武天皇が設置した古代三関のひとつ、「不破の関跡」。


 さらに進み、山道に入る手前に、源義経の母・常盤御前の墓と芭蕉の句碑が2つ。


 山道の今須峠を越えると、今須宿が見えてくる。


 8:30、今須宿に到着。この宿場は、美濃路最後の宿場である。しかし、宿場時代の面影はあまりない。


 東海道本線の下のトンネルの先に、禅宗の古刹・妙応寺。


 美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の国境は、今も昔も細い溝。当時、この溝を挟んで2軒の旅籠があり、寝ながらにして他国の人と会話ができたことから「寝物語の里」と呼ばれた。


 9:15、柏原宿へ入って行く。この宿場は、近江路最初の宿場で、1.4kmにもおよぶ大きな宿場である。入ってから抜けるまで35分も歩いた。街道すじには、古い家屋が残っており、それぞれに元の商売と店名を残しているが面白い。


 重厚な大正5年建築の柏原宿歴史館。国の有形文化財。

 やがて、狭い平地に、高速道路、旧中山道、国道21号線、東海道本線が平行して走っているところを抜けると、醒井宿が見えてくる。


 10:30、醒井(さめがい)宿の江戸時代初期の問屋場跡が修復された資料館に到着。
 この宿場は、「バイガモ揺れる湧水の町」と言われ、ハリウオが棲む非常にきれいな地蔵川が町中を流れている。


 ちょっと街道を外れ、醒井水の里駅へ寄り、ここの名物の六方焼きときんつばを食べて一休み。


 醒井宿を抜けた先の樋口集落にも水路が流れていた。国道から離れた静かな歩きが楽しめた。


 11:55、番場宿に入って行く。この宿場は、随所に「○○の跡」の新しい標柱は多いが、宿場時代の面影を伝える建物はない。一本道の街並みは街道の町を連想させてくれる。


「瞼の母」の主人公・番場の忠太郎の故郷である碑が立っていた。また、この奥には、1333年、足利尊氏に追われ落ちてきた六波羅探題・北條仲時一行430名が自刃し、鮮血で辺りは血の川と化したと伝わる蓮華寺がある。


 番場宿を抜けると、摺鉢峠へ上がって行く。振り返ると、三百名山巡りで妻も登った伊吹山。

 摺鉢峠を越えた辺りで、琵琶湖がちらっと見えた。


 摺鉢峠を下ると、彦根市へと入っていく。「おいでやす彦根へ」のモニュメントが迎えてくれる。

 13:10、鳥居本宿へと入っていく。この宿場は、今でも古い格子の町屋が多く残り、宿場情緒溢れる町並みである。しかし、道が狭く交通量も多いので、ゆっくり散策できない。


 江戸時代の大店舗の姿のまま、200年を経て、現在も営業している赤玉神社教丸本舗有川家。


 鳥居本のもうひとつの名物の合羽屋。昔の看板だけでも5軒ほど目にした。
  
 ずっと店も食堂もなく、仕方ないので、ここの鳥居本交流館で、手持ちのチョコとソーセージで昼食タイムとした。


 15:00、今日のゴールの高宮宿へ。街道は広くなり、交通量も多くなり、これまでほとんどなかったコンビニやスーパーまで姿を現す。


 この宿場は、中山道有数の大きな宿場で、古い町並みが続く。もともと多賀大社の門前町として栄えたところてある。また、「高宮上布」と呼ばれた麻織物の問屋として賑わったところでもある。


 高宮神社向かいの「布惣」もその一つで、現在は改装されて宿駅「座・楽庵」になり、喫茶やギャラリーになっている。


 ホテルが近くなってきたので、残りは明日に回して、高宮神社の中を抜けてホテルへ向かった。


 10分で到着した、今夜の彦根アートホテル。朝食付きで、二人で8400円。

 今日は、7つの宿場を通過したが、ひとつひとつの区間が短いので、歩いた時間まで短く感じた。また、足の痛みが少しは癒えて、荷物も歩くなった妻が快調に歩いたので、余裕のゴールだった。
 
 また、この区間は、街道がしっかり残っていて、国道を何度も横切るが、国道歩きは少なかった。


 夕食は、近くのレストランで、ハンバーグとチキンソテー。
 
 行動時間、8時間。歩数計、43900歩数。 


4日目 53加納宿~54河渡~55美江寺~56赤坂~56垂井~57関ヶ原〈29.9km+3km〉

2016年11月15日 | 登山・旅行
 夜明けが6:30なので、春のように5:00出発というようなこともできず、距離を稼ぐことはできない。6:50、朝食を摂ってスタート。


岐阜駅の加納口から抜けて、7:00に中山道へ戻る。

 加納宿を抜けて、河渡(ごうど)宿を目指す。交通量の多い国道歩きでなく、旧街道なので助かる。


 河渡宿の手前で、現在も運行している長良川の「小紅の渡し」があるというので乗ってみた。
 無料だが、櫓漕ぎでなく船外機だったのが少し残念。


 渡しから下りて、堤防を歩く。左奥の橋が河渡橋で、昔は「河渡の渡し」があったところ。

 8:50、1.5kmほど遠回りになったが、河渡橋から堤防を下りて、河渡の宿へ入って行く。

 河渡宿は、長良川の渡しで栄えた宿場である。しかし、第二次世界大戦による消失や、長良川の河川改修により、当時の名残はあまり見られないらしい。


 珍しい木製の常夜灯とその左奥の観音堂


 町並みには、街道の面影が感じられる。
 美江寺宿に向かう途中は、農村風景が広がっていた。


 美江寺宿に向かう途中の、目にしたことのなかった本田代官所跡

 9:55、美江寺宿に到着。ここは、「河渡の渡し」と揖斐川の「呂久の渡し」の間に当たることで栄えたこじんまりとした宿場である。


 美江神社(右奥)とその角に建つ虫籠窓のある大きな町屋・和田家


 美江寺宿を抜けて、赤坂宿までは、田園風景が広がる中を、揖斐川の堤防を目指して進む。


 この辺りは、富有柿の産地で、柿畑が多い。


 昔、呂久の渡しのあったところの和宮記念公園の小簾(おず)紅園。和宮の歌碑が設置されていて、紅葉がきれいだった。


 箱館人さんから、「昼食が摂れるところが無かった」という情報を頂いていたので、11:30、途中で目にしたコンビニへ寄って、肉まんと唐揚げ棒の昼食。
 その後、赤坂宿までの4kmほどの道は、農村だったが、立派な屋敷が多く、落ち着いた旧街道の雰囲気が漂っていた。


 13:00、赤坂宿のシンボルの火の見櫓と昔の川湊・赤坂港の遺構(手前)に到着。

 赤坂宿は、河川湊「赤坂港」や交通の要所として栄えた宿場で、町全体に街道風情が漂い、見所の多い宿場だった。


 1833年に建てられ、現在も住居として健在の矢橋家。


 中山道57番の宿場ということで「五七」の土産物屋兼休憩所。


 街道から少し入ったところにあった大きな昼飯(ひるい)大塚古墳。前方後円墳だった。


 14:35、垂井宿に入っていく。宿場入口に建つ旅籠丸亀宿屋。


 道路を跨ぐ南宮大社の大鳥居。


 珍しく町中の街道なのに、片方ながら塚の残っている垂井一里塚。


 やがて、関ヶ原へと入っていくが、立派な屋敷の続く街道筋。


 美濃路唯一の松並木だが、細い木ばかりなので、のちに植えられたのかも?


 国道と鉄道を挟んだ桃配山の徳川家康最初の陣地。


 最後の1kmほどは、国道21号線の歩きとなる。古戦場の大きな看板を右に曲がって、今日のゴールの関ヶ原駅へ。


 15:55、関ヶ原駅到着。古戦場としては有名たが、往時を偲ぶ史跡は少ない。近くの宿は満室だったので、ここからタクシーで、今日の宿へ向かう。


 貸し切りだった神山旅館。一番良い部屋へ通された。


 お風呂に浮かんでた直径20cmはありそうな、初めて目にした花柚子。非常に香りが良かった。もっと大きくなるらしい。
 

 料理がとても美味しくて、大満足。


 観光ポスターや芸能人やスポーツ選手のサインがたくさん飾られた食事部屋。

 自分は痛いところもなく、快調な歩きだったが、妻は後半は足の痛みが強くなり、かなり辛そうだった。なのに、赤坂宿の手前で、道を間違えて、1.5kmほど余計に歩かせてしまった。
 今回のこれまでの最長距離で、行動時間9時間。歩数計52000歩。


3日目 51太田宿~52鵜沼宿~53加納宿〈24.5km+2km〉

2016年11月14日 | 登山・旅行
 夕方から雨予報なので、早く出たいところだが、朝食ビュッフェを食べて、7:05ホテルを出る。


 1km先の 御代桜酒造の横を抜けて、7:20中山道へ戻る。


 太田宿の西出口、堤防へ上がる手前には、文豪・坪内逍遙が少年時代に遊び場にしていたという虚空蔵堂。


 木曽川を眺めながらの堤防歩きが4kmほど続く。


 その後、国道へ出て少し歩き、国道の崖上の道へ登り、岩屋観音堂に寄る。


 岩屋観音堂への登りから木曽川を見下ろす。
国道へ戻り、1kmほど先から川の方へ少し下って、国道と鉄道の下を潜るトンネルを抜ける。


 その先は、うとう峠への山道へと入って行く。峠の前後は石畳の道だった。
15分で峠を越えたら、すぐに住宅地が迫っていた。


 住宅地の中の急な道を下って行くと、鵜沼宿の町が見えてくる。


 9:20、鵜沼宿に到着。資料館になっている中山道鵜沼宿町屋館。月曜日は休館日で、内部は見られなかった。

 鵜沼宿は、明治24年の濃尾大地震で、江戸時代の建物が消失してしまった。そのご、徐々に整備され、昔の宿場の景観が再現されつつある。


 菊川酒造の建物


 復元された脇本陣


 復元された江戸時代の旅籠や古民家


 鵜沼宿を抜けて、交通量の多い国道21号線の歩きが、1時間ほど続く。
 その後、旧中山道へ入って行き、少しほっとする。


 これまでの道中でも多く目にした神明神社。岐阜県に多くあるらしい。

 予報では夕方からの雨が、11:00に降ってきた。それほど強い雨ではなかったが、ホテルに入るまで止むことはなかった。雨具の上下を着て歩き続ける。


 11:40、各務原市役所手前で、妻の好きなコメダ珈琲を見つけて、味噌カツサンドの昼食タイム。


 中山道間之宿新加納の石碑。鵜沼宿と加納宿の間は約17kmと離れていたため、新加納に「立場」と呼ばれる旅人や馬の休憩所が設けられていた。


 さらに、1時間以上歩くと、加納宿が近くなり、古民家が目に付くようになる。


 14:35、加納宿の東の入口となる東番所跡の碑に到着。

 加納宿は、現在の岐阜市街に属し、
宿場町と城下町を兼ねていたことから、美濃路16宿の中で最大の宿場だった。枡形と呼ばれる鍵状に折れ曲がった道が多く、分かりずらい。
 おまけに、他の宿場のように、古い建物や町並みがほとんど残っていなかった。


 歩道橋下の加納城大手門跡の碑。


 街道を外れて加納城址へ寄ってみたが、石垣が残るだけで、中は公園になっていた。


 本陣跡の碑。この加納宿は、大きな宿場らしく、本陣と当分本陣、脇本陣が2か所あったようだ。


 脇本陣跡の碑


 15:10、岐阜駅前へ通じる道との交差点に到着。
 計画では、ひとつ先の河渡(ごうど)宿まで行きたかったが、宿がないので、ここで今日のゴールとした。
 

 10分ほどの歩きで、岐阜駅を通り抜けて、駅前のコンフォートホテル岐阜にチェックイン。二人で8400円。


 夕食は、駅ビルの中の長崎ちゃんぽんの専門店・リンガーハットで。

 行動時間、約8時間。歩数計、約47000歩


2日目 48細久手~49御嶽~50伏見~51大田〈24.4km+1km〉

2016年11月13日 | 登山・旅行

 有形文化財の大黒屋旅館で、尾張の殿様と同じ部屋で寝泊まりをし、美味しい朝食をいただく。
 宿泊代はビール代を抜いて2人で2万円だった。春の中山道を含めて、一番高かったかもしれない。しかし、宿の対応も良く満足感は大きい。

 7:20、スタート。この細久手宿は、一本道のひなびた宿場の割りには、古い建物がほとんど残っていない。幕末のころに大火で焼けたらしい。今回泊まった大黒屋が一番古い建物らしい。


細久手宿本陣跡


県道から本格的な山道へ入って行く


秋葉坂の三尊石仏。石窟の中に馬頭観音や観音坐像か祀られている。


山道ならではの紅葉。このあと、津橋の集落へ下りるが、再び山道へ入って行く。


峠を越えて下っていくと「謡坂の石畳」。旅人が自らを元気付けるために歌を謡ったというのが名前の由来。


全国でも珍しい耳神社。耳の病にご利益があり、治ったら錐を奉納するという。たくさん奉納されていた。


牛の鼻かけ坂の出口。牛の鼻が欠けるほど急な坂が由来。江戸へ向かうときの本格的な山道への入口で、ここから京までは、ほとんど平坦な道になるとのこと。

ここを下ると、国道21号線の歩きとなる。コンビニで、アイスコーヒーとお菓子で休憩タイム。


国道へ出たところに、平安時代の三大女流歌人の和泉式部が東山道の旅の途中で、この地で没したという石碑

10:35、御嶽宿に入って行く。御嶽宿は願興寺の門前町として栄えた宿場である。


国道から旧道に入ると、商家竹屋を中心に、古い家並みが続く。この中や裏の蔵や茶室なども公開されていた。


その隣の御嶽宿本陣跡


さらに、その隣は、みたけ郷土館。1階は図書館だったが、2階には充実した展示が公開されていた。


815年開創の願興寺。国の重要文化財。


御嶽宿を抜けると、部分的には旧道もあるが、ほとんど国道歩きとなる。


11:40、国道沿いの横浜飯店で昼食タイム。ボリューム満点のチャーハンと辛い台湾ラーメンのセットで680円は安いし、味も良かった。

12:40、国道21号線が宿場町を貫く伏見宿に到着。


伏見宿本陣跡


一本松公園。歩き旅人のための休憩所。


国道沿いに古い町家が残る。


国道沿いの一里塚。山道には対になった塚が残っていたが、国道沿いは工事で削られてしまったようだ。


やがて、国道から離れて旧街道を進むと、木曽川に架かる太田橋。ここには、今渡の渡し跡がある。


太田橋を渡って堤防上から、太田橋の下の、太田の渡し跡を見下ろす


木曽川を眺めながら、堤防の上を歩く。

14:30、堤防から下りて、旧街道へ入って行くと、太田宿に到着。
太田宿は、「太田の渡し」を控えた宿場で、この地方の行政・文化の中心として発展した。現在は美濃加茂市である。


当時の名残をとどめる1769年建築の脇本陣林家。今でも住居として使われているが、中山道随一の脇本陣遺構といわれ、国の重要文化財に指定されている。


太田宿本陣跡の表門


今日のゴールとするその向かいの太田宿中山道会館の庭で、和太鼓の演奏会が行われていたので、30分ほど鑑賞。


中山道から離れて、1kmほど歩き、15:10、美濃加茂駅前のホテルルートイン美濃加茂へ。

 すぐあとに、朝に大黒屋をこちらより先に出た東京からの通し歩きの男性も到着。どこで追い越したか分からなかった。

 このホテルの宿泊費は、朝食付きで、2人で9900円。なんといっても大浴場があって、のんびり疲れを癒せるのがうれしい。昨日の風呂は足を伸ばせなかった。


 夕食は、ホテル近くの魚民へ。二人で食べたもの。このほかに生ビール2杯。妻はおにぎりとウーロン茶。

街道上の行動時間 7時間10分、歩数計 40000歩


1日目 45中津川宿~46大井宿~47大湫宿~48細久手宿〈29.4km〉

2016年11月12日 | 登山・旅行

6:20、第1日目、中山道沿いのホテルを出発。

中津川宿は、文化的にも経済的にも美濃路と木曽路の接点の役割を果たしてきた宿場である。大きな町の割りには街道筋には古い建物がよく残り、宿場町らしい情緒が、感じられる町だった。


中山道往来庭。中山道を歩く人のための新しく造った休憩所らしい。奥のなまこ壁の土蔵が美しい。


卯建を上げた堂々たる、曽我住宅と呼ばれる庄屋屋敷


横町通りには、江戸時代後期に建てられた町屋や栗菓子店が並ぶ


中津川宿を抜けて暫くして、秋葉山道との分岐に建つ、黒壁を巡らした茄子川茶屋本陣條原家


8:30、次の大井宿のある恵那市へ


甚平坂では、広重の描いた大井宿のこの坂の絵が石に掘られて飾られている。後ろの雪を抱いた山は御嶽山。


9:10、大井宿本陣跡。江戸時代初期建築の本陣門。
大井宿(現在の恵那市街地の一部)は、昔の面影を残す建物が多い。


ひし屋資料館の内部


大井宿の町並み



中津川宿や大井宿に多い栗菓子店で、名物の栗きんとんを買って食べた。一口サイズなのに1個210円だったが、さすがに美味かった。

大井宿から次の大湫宿(おおくて)までの約14km は店がないので、中山道から外れて、コンビニで弁当と飲み物を仕入れて、元に戻った。


恵那市街地を抜けると、大湫宿までの間に越えなくてはならない十三峠入口へ。美濃路随一の難所で、「十三峠におまけが七つ」と言われた20以上の山坂が続いた。時おり小さな集落はあるが、ほぼアップダウンの大きな山道である。


紅葉のきれいな山道を行く




スタートして5時間、11:20、平六坂を登り切った紅坂一里塚で、昼食タイム。


昔休憩所だった深萱立場跡のある集落を越えてからの、いくつかの峠道は非常に急なアップダウンが続き、結構辛かった。


13:20、大井宿から4時間を要して、大湫宿に入る。
大湫宿は、奥深い山中の小さな宿場といった感じである。


本陣跡は、小学校の校庭だった。


大湫宿の町並み


絵天井で有名な大湫観音堂


江戸時代のままの石畳の道としては日本一長い(600m)琵琶峠の入口


大湫から4つ目のハ瀬沢一里塚。この後の一里塚も含めて、すべて対になった塚が完全に残っていた。


弁財天の池。ここまで来ると、ゴールの細久手宿が近くなり、ペースが上がる。


15:20、ちょうど9時間で、今日のゴール、築150年の大黒屋旅館。当時は尾張藩指定の本陣だったそうだ。


泊まった2階奥座敷の部屋


もともとは料理屋旅館だっただけあって、とても美味しい料理だった。

中津川から9時間で着く人は珍しいと褒められた。速い人でもだいたい10時間だそうだ。
土曜日で天気が良かったせいか、多くの歩き旅の人と出会った。昨夜この大黒屋に泊まったという10数名のオーストラリア人の一行にも出会った。

街道の行動時間 9時間、歩数計 51000歩


「中山道歩き旅」後半の部へ

2016年11月11日 | 登山・旅行

 寒い北海道を抜け出して、今日から、「中山道歩き旅」後半の美濃路と近江路の約200kmの旅に出ることにした。春の5月から6月にかけて、12日間かけて歩いた「中山道歩き旅前半の部(武州・上州路、信濃路・木曽路)337kmに引き続いての旅である。


 今回は、紅葉時を狙っての計画となった。妻も仕事の休みを取って、「一緒に行きたい」というので、1日の歩行距離をほぼ30km以内に抑えて、7日間の予定を組んだ。11/18にはゴールとなる京都の三条大橋に到着の予定である。万が一の場合を考えて、11/19を予備日に設定し、使わなければ京都か大阪観光に回すつもりだ。


 前回の3日目に不必要な荷物を送り返した反省を踏まえて、軽量化に努め、2人とも5kg以内に抑えた。

一応の計画は、下記のとおりである。
毎日の旅日記を、前回と同じように、スマホからこのブログにアップし続けるので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。


移動日 11/11(金) 函館~名古屋~中津川 
<美濃路>      
1日目 11/12(土) 中津川~大井~大湫~細久手 29.4km
2日目 11/13(日) 細久手~御嶽~伏見~太田 24.4km
3日目 11/14(月) 太田~鵜沼~加納~河渡 30.4km 
4日目 11/15(火) 河渡~美江寺~赤坂~垂井~関ヶ原~今須~柏原 31.2km 
<近江路>   
5日目 11/16(水) 柏原~醒井~番場~鳥居本~高宮~愛知川 28.3km  
6日目 11/17(木) 愛知川~武佐~守山~草津  29.5km   
7日目 11/18(金) 草津~大津~三条大橋 26.2km
予備日 11/19(土)  
移動日 11/20(日) 大阪(伊丹)~函館  

 今日は、1便しかない直行便で名古屋へ飛び、駅付近で名古屋めしの夕食を摂り、明日のスタート地点の中津川のホテルまで移動する。

◎函館空港直通の新バス路線

 これまで、我が家から函館空港へ行くのには、JRで五稜郭から函館駅へ、さらに、空港行きのシャトルバスに乗り換えて、トータルで620円だった。
 しかし、今月から、田家入口まで1km歩くと、空港行きの「とびっこ」という函館バスの新路線ができた。時間的にもずっと速いし、料金も今までの半分以下の270円。

◎名古屋めし

 前回のゴール後、中津川から名古屋に出て、名古屋めし(世界の山ちゃんの手羽先と山本屋本店の味噌煮込みうどん)を食べて、打ち上げの晩餐とした。

 今日は、同じ物を食べて、スタート前の晩餐とした。

世界の山ちゃんの手羽先ほか


山本屋本店の味噌煮込みうどん

 18:47JR名古屋駅発、20:05中津川駅着。20:15プラザホテル淀川着。ツイン2人8600円。

予想以上の反響

2016年11月10日 | 日常生活・つぶやき

 函館ライフスポーツのSさんが、新聞のタイトルの人物が歩いている(山に登る)ように加工してくれた

 11/8から始まった拙筆による道新夕刊「みなみ風」への新連載「どうなん・とうほく山楽紀行」(隔週火曜日掲載)だが、予想以上の反響の大きさに驚いている。

 電話やメール、ブログへのコメント、直接会った方などからの「いよいよ始まりましたね」「楽しみにしています」「頑張ってください」「新聞に大きく載ってましたね~」などといった励ましが多い。
 また、フェイスブックやブログでも取り上げてくれている方もいて、それにもほかの方からのコメントが入っている。

 新聞上の前宣伝もあり、大きな紙面を使っての「執筆者へのインタビュー」記事あったが、これまでの「札幌圏版」の連載と違って、読者が地元だけに、執筆する自分を知っている読者が多いことが一番だろう。登山に興味のない人からも「楽しみに読ませてもらいます」との声も多い。

 それだけに、もろに、感想やチェックが入りそうで、非常に怖さも感じる。なんとか楽しんで読んでもらえるように頑張って書いていきたいものだ。

いきなりの雪掻き & 意外な米大統領選結果

2016年11月09日 | 日常生活・つぶやき



 今朝起きたら、いきなりの積雪状況にビックリ。新聞によると、積雪は平年より3日早く、昨年より20日早いとのこと。初雪も見ないうちの雪掻きはあまりない経験だ。濡れ雪なので、非常に重かった。
 しかも、ほぼ1日中降り続いたので、夕方になっても積雪状態は続いたままだ。

◎冬タイヤ買い換え
 3シーズン履いて、夏の間も履き続けたので、冬タイヤも買い替えなくてはならない。そこで、いつも購入しているジェームスへ行ってみた。
 今まで履いてきたGOOD YEARの昨年の残り4組のうち、最後の1組が残っているというので、それを購入した。3年前も同じように1シーズン遅れの型落ち物だったが、特に問題はなかった。組み換えや諸費用を含めて6万円ちょっとで済んだ。
 しかし、取り換えは、今日は激混みで無理だとのことで、明日の夕方5時に予約を入れてきた。

◎大接戦のアメリカ大統領選の意外な結果

 今日はNHKはずっとアメリカの大統領選挙の開票を報じていた。アメリカ国内の前評判でもそうだったが、自分もクリントン氏が絶対勝つと思っていた。

 ところが、開票結果は、予想を覆して、大接戦ではあったが、常にトランプ氏が優勢の展開が続き、そのまま当選してしまった。


 過激な発言でひんしゅくを買ってはいたが、結局は、これまでの民主党のオバマ政権への不満として、共感を得て、変化を求める期待を集めたのであろう。

 日本にとっては、これまでの日米関係への変化がありそうで、今後心配されるところであろう。

 それにしても、大統領選挙に、国民一人一人が参加でき、国中が沸き上がるシステムと、これだけ接戦が展開される2大政党政治のあり方は羨ましいと感じだ。

第1回の「恵山・海向山」と「執筆者インタビュー」掲載

2016年11月08日 | 登山・旅行

 今日から始まった北海道新聞夕刊「みなみ風」への拙筆による連載「どうなん・とうほく山楽紀行」が掲載された。

 現在も継続中の「札幌圏版」の「ほっかいどう山楽紀行」に比べて、写真も紙面も大きいので非常に読みやすい。
 おまけにこの紙面は常にカラー印刷なのと、掲載日にダイレクトに読めるのもうれしい。

 記念すべき第1回目なので、このブログへも切り抜き画像を掲載したが、今後の連載は、この新聞を読めない方のために、HPの下記ページに、これまでの「札幌圏版」同様に掲載し続けるので、そちらで読んでいただきたい。
http://sakag.web.fc2.com/minamikaze.htm


 さらに、隣のページに、「執筆する函館の登山愛好家 坂口さんインタビュー」の大きな記事も掲載されていた。大きな写真付きなので照れくさいが、インタビューは、とても分かりやすく上手にまとめられていて、感心した。さすがプロだ。

新連載の取材を兼ねて5回目の「小鉾岳」へ

2016年11月07日 | 登山・旅行

 あすの夕刊から始まる拙筆による北海道新聞夕刊「みなみ風」への新連載第2回目は、小鉾岳の予定である。
 幸い、天候にも恵まれ、早い雪に覆われた写真が撮れそうだったので、取材も兼ねて、5回目になる小鉾岳へ登って来た。
 とくに、木の葉のすべて落ちたこの時期の頂上からは、さらに奥の岩稜と岩峰からなる本峰の眺めが素晴らしいからだ。なんとか、自分も入れた、気に入った画像を撮ることができた。


GPSトラックログ(緑線は登山口までの経路)



国道5号線から望む小鉾岳(ズーム)


桜野牧場から望む小鉾岳南面

 
登山口から登り始めてすぐに、真新しいオヤジの落とし物の歓迎を受ける。その先の登山道に続く足跡


オヤジの足跡がなくなった白い登山道と、ブナの枯れ葉と、ササの緑とのコントラストが美しい


一番の難儀な470m付近の急登・・・細くて短いロープが設置されていた


桜野牧場を見下ろす


頂上手前のコルから南面の崖と登山道を眺める


左上の三角点と頂上標識と本峰の岩稜と岩峰を一緒に撮る


登り1時間20分、下り1時間。

詳しい山行記録ともっと多くの写真は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)


なお、「インカトレイルトレッキング」旅行記も、全部アップできました。

またまた前宣伝が・・・

2016年11月06日 | 日常生活・つぶやき

 天気が良かったら、札幌でのんびりしたかった。しかし、夜半から吹雪が続き、積雪7cmにもなっていた。今日1日中降り続いて、さらに積もるとのこと。
 
 早々に札幌を脱出することにして、7時過ぎに帰路に就いた。中山峠はもっとやばそうなので、往路と同じ高速道路を走ることに・・・。視界30m程の中、前の車のテールランプを頼りに、緊張しまくりながら60kmくらいで走った。まだ11月上旬だと言うのに・・・。

 しかし、苫小牧まで来ると青空が広がり、雪もなくなり、快適に走行できた。ところが、再び、豊浦を過ぎた辺りから静狩までは、昨日からずっと降り続いたらしく、圧雪アイスバーン状態だった。


 大沼ICを抜けて、すぐそばのグリンピア大沼の温泉で疲れを癒し、レストランで昼食にあんかけ焼きそばを食べて帰宅した。

 帰宅したら、昨日の夕刊に、11月5日で創刊20周年を迎える北海道新聞夕刊・地域情報版「みなみ風」関連の8ページほどの小冊子が挟みこまれていた。

 その中の最後のページの「みなみ風の新コーナー紹介」に、ほぼ1ページを使って、拙筆による新連載『どうなん・とうほく山楽紀行』のことが載っていた。ちなみに、掲載写真は、すべてこちらからの提供である。

 光栄なことではあるが、来年の3月まで続く札幌圏版の『ほっかいどう山楽紀行』と違って、今度は、ごく身近の方々が読者である。直接、いろいろ感想やクレームが入ってきそうで、だんだん怖さとプレッシャーが大きくなってきた。早速、留守電に昔の職場の先輩からも励ましの言葉が入っていた。また、知り合いのFaceBookでも取り上げられ、それにほかの方々からもコメントが入っていた。

 とりあえず、11/8予定の第1回の「恵山・海向山」は、すでに紙面ができあがって、送られてきている。当日は、それに合わせて、約ひと月前に取材を受けたことも一緒に載るらしい。

 帰宅後、インカトレイルの旅行記の8日目と9日目をアップすることができた。残りは、明日の予定。
 ↓↓↓
 http://sakag.web.fc2.com

雪の中を札幌へ

2016年11月05日 | 登山・旅行

(高速道路の黒松内付近)

 スキー関係の会議で札幌へ。妻も買いたいものがあるので一緒に行くと言う。

 11月上旬だというのに、全道的に雪予報。タイヤは冬タイヤだが、履き潰すつもりで夏の間ずっと履いていたタイヤなので、ゴムが硬くなっているはず。しかし、まだ新しいタイヤを買っていない。

 不安なので、中山峠は避けて、大沼から札幌まで、道路状況の良い高速道路を走った。一番雪の多かったのは、長万部~豊浦間だったが、白老~札幌間もずっと雪道だった。

 この区間を通して走るのは初めてだったが、ETCの週末割引で4300円で済んだ。
 

積雪状態の輪厚SA


会議が終わって、妻と札幌ファクトリーで待ち合わせた。

蔦の紅葉がきれいだった。本来はこの季節なのだが…。


すでに、中にはクリスマスツリー


サンタも煙突を登っていた。これだもの、雪も降るよね。


夕食は、二人とも大好きな串鳥で満腹。

ひたすらアップ作業

2016年11月04日 | 日常生活・つぶやき

ペルーで買ってきたテーブルクロスの上で、やはり向こうで買ったお茶を飲む


 今日も、朝の5時から、ひたすら旅行記のHPへのアップ作業に取り組んだ。写真が多く選ぶのに苦労する。絞りきれないで、写真中心のページ構成になってしまった。
 
 改めて見ると、あのインカトレイルにあれほど多くの遺跡が残っていることと、南半球ゆえのこれまで見たことのない花の多さに驚いた。
 しかし、なぜあれほどまでして、急斜面に石を運んできれいに積み上げなければならなかったのか、いささか不思議な気がしないでもない。確かに平地の少ない地形ではあるが、インカ文明は文字を持たなかったので、記録がないだけに明快な答えは見つからないようだ。

 7日目のマチュピチュに到着したところまでは頑張ったが、そこで、疲れてしまった。明日と明後日は、会議で札幌へ出掛けるので続きは帰ってきてから取り組むことにした。

 7日目までの記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com
 

12時間爆睡、旅行記アップ作業10時間

2016年11月03日 | 日常生活・つぶやき
 昨夜、葬儀から帰って夕食を食べてすぐに寝て、目が覚めたのが8時45分だった。実に12時間も爆睡したことになる。どうやらこれで、時差ボケと疲れも解消したようだ。

 朝食後、郵便物や妻が切り抜いてくれていた新聞等に目を通した。

 北海道新聞夕刊道南版「みなみ風」創刊20周年に合わせ新紙面の記事に、11月8日から始まる拙筆による「どうなん・とうほく山楽紀行」の紹介記事が載っていた。

 10時ごろから、今回の旅行記のホームページへのアップ作業に取り組んだ。その参考になったのが、現地で著者本人から購入し、サインまでしていただいた『ペルー・マチュピチュへの誘い』だった。翻訳は、日本の大学教授だった。なお、定価は2ドル。この国の通貨はソルだが、ドルも使用できる。



 10時間を要して、写真をふんだんにとりいれたトップページと1日目、2日目、3日目の4ページ分を作成することができた。
 右記の親サイトでどうぞ!  http://sakag.web.fc2.com


 寝酒は、向こうで買ってきた、ペルー原産のブドウ果汁を原料とした、アルコール度数約42度の蒸留酒ピスコの炭酸割り。


無事帰宅、夜は葬儀

2016年11月02日 | 登山・旅行
 寝不足なので、ホテルで朝ゆっくり寝ていたかったが、早く目が覚めて寝られず。
 仕方ないので、洗濯ものを全部リュックに詰めて、15分ほど歩いてコインランドリーへ。
 いつも利用する蒲田のカプセルホテルなので、大浴場でのんびりし、早めに羽田空港へ向かった。


空港で、朝食と昼食兼用で、ミニ天丼とそばのセットを食べ帰国感を味わう。



羽田から12:50の飛行機で無事帰宅。




広げたお土産



 帰宅したら、お世話になった90歳の大先輩O氏のお通夜が待っていた。
 今春まで自分が第5代支部長を務めていた退職組織の初代支部長で、スキー指導員の大先輩でもあった。お経も葬儀委員長の挨拶も長く、帰ってきたらぐったり。

 今回の旅行記のプロローグや目次ページくらいは、HPにアップしたかったが、すべては明日から精力的に取り組みことにした。