『はしるふたり』
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http://rinkogun.com/Takayama_syokubutsuen.html
『はしるふたり』
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おかしな演劇祭に協賛し参加団体に渡しているというアパホテルが作った「アパカレー」レトルト製品を、全国の一部郵便局で売っているって、知らなかったので、それを聞いたときには、虚構新聞か、と思った。ほんとらしい。
いや。
なんの権限があって一企業のカレーを郵便局で売る?
誰か説明してくれ。
なんでみんなこんな不条理を容認している?
民営化された会社だから何やってもいい?
南京大虐殺を「なかった」と主張してホテルの部屋にその主旨の本を置くということをする会社なんですよ。
日本という国はいったいどうなっている?
写真は、懐かしい、オリエンタルマースカレー。これもレトルトになっていたんだね。これは一部のスーパーで発見して買ったことがある。関係ないけど、アパカレーの写真は載っけたくないからね。
昨年夏に、開催地に行ったけれどもコロナ禍下故の諸事情で公演が延期になってしまった松本で、失意の中で食べた、松本で創業昭和8年という老舗「おきな堂」の「バンカラカレー」のことを思いだして、ホテルチェーンのカレーのことは忘れよう。
「劇場都市TOKYO演劇祭」なるものがあって、「アパホテル」が筆頭協賛社ということは知っていた。まあ、ご勝手にどうぞ、であった。
しかしここにきて、その「企画概要」に、とんでもないことが書かれていることが、わかった。
削除したといってもTwitterだけのようで、Webの「企画概要」には残っている。
参加劇団のみなさんは、審査員のみなさんは、この、「反権力」を否定する思想に、賛同したのだろうか。
なんと、新宿区も後援に入っている。
心からがっかりである。
以下、「劇場都市TOKYO演劇祭」の「企画概要」原本
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期間 令和4年1月10日~3月31日
場所 サンモールスタジオ/雑遊/シアター風姿花伝
企画概要
東京都は大中小の劇場数数百を誇り、面積比、人口比としても世界有数の演劇都市である。
しかし、演劇自体が日常において浸透をしているかというとそれは残念ながら否であり、その状況を今回コロナウィルスの感染症という災厄に晒される中で演劇界は嫌というほど思い知った。
もちろん、演劇作品は疑似的世界であり、その多くは非日常のエンターティメントを楽しんでもらうことが1つの要素であるが、多くの人生において不必要なものにカテゴライズされてしまうことは演劇界の未来にとって大いなる損失である。
その要素の1つがかつて反権力が演劇や芸術の要であるかのような謂れを受け、今も根強くそのような言動が蔓延ることであるが、演劇が一般社会においてそのような印象を持たれることはその分野の未来的な展望を阻害することに他ならない。
本来であればその権力というものにさえ左右されずに羽ばたけるものが、自身の構築した鎖によって自由と世界の広がりを失い、結果として今の演劇は公共、大衆というものから大きくかけ離れている。
演劇や劇場がその鎖を解き放ち、公共的な繋がりを広げ、街や社会と大いに融合をしていく中で本来の魅力を大いに発揮することが出来るように、多くの方々の人生においてもかけがえのないものに演劇が存在することを目指し、この演劇祭を開催するものとする。
昨年末、楠原偕子先生が亡くなられていたことは聞いていたが、どこにも情報が出ていなかった。やっと数日前に新聞に出た。コロナ禍下なので、こうした訃報の扱いも、以前とは違っていることが多く、戸惑ってしまう。
楠原先生は慶応大名誉教授、アメリカ演劇を専攻され、私の在学中からいろいろと気にかけて下さった。講座で私に「優」をくださった。演劇研究会の顧問もされていた。卒業後、シェイクスピア関係の特別講座のさい、呼ばれて、坪内逍遙以来のシェイクスピア翻訳の変遷をリーディングする役目を仰せつかったこともある。ウォーターフロントのマンションだったお宅にも招かれたことがある。私の作品の批評もして下さったし、「三田評論」に私について長い文を書いてくださった。私が「グッドフェローズ」という会社を作ったとき、「なぜ「グッド」(善良)という言葉を使えてしまうのか」みたいなことをテアトロ誌に書かれて、「グッドフェローズ」というのは、「グッド」とはついているけれどもそれはむしろ皮肉で、アメリカでは「ギャングの身内」みたいな使われ方をしているのだとお伝えすると、それは知らなかった、と、調べて、訂正してくださったこともある。戦時中の食糧難についてよく話され、バブルの時代、飽食の世の中を批判するお言葉も、多かった、と、ふと思い出した。
ほんとうに、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。安らかにお眠りください。
感染防止の透明仕切り板、下部に声を聞こえやすくするための穴が開いていると、「面会室」のようになってしまう。写真は先々週、九州の某所にて。
今日から稽古場が広くなり、マスク越しだとどうしても、相手に届ける声が大きくなる。声が大きいだけで威圧的にとられる恐れがあるから、注意しなければならないということもあるが、とにかくマスク生活は、不便である。
燐光群が昨年2月上演した『草の家』の作者・守安久二子さんが、『鮭なら死んでるひよこたち』で、AAF戯曲賞・大賞を受賞しました。
公開審査なのですが、なんと、七時間の討議だったそうです。
とにかく、めでたいです。
この賞は、受賞作が上演されることが決まっているので、その上演が楽しみですね。
写真は『草の家』撮影・姫田蘭 左より、さとうこうじ 間宮啓行 円城寺あや 鴨川てんし
会場は、いわてアートサポートセンター 風のスタジオ です。
詳細は、以下の通りです。
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『悪魔をやっつけろ』が参加の、盛岡 『語りの芸術祭』 当日パンフレットを公開します。
文面にあるようにプロデューサーの坂田裕一さんとは四半世紀を超える御縁です。
96年の盛岡での〈劇作家大会〉も忘れられないな。
お時間ある方は本文を御覧ください。
会場は、いわてアートサポートセンター 風のスタジオ です。
詳細は、以下の通りです。
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昨夜遅く、盛岡に到着。
雪を纏った街。
「盛岡は寒いんですよ、日本一寒いという人もいます」と言う、地元の方。
ともあれ、史上最大の新規感染者数という現実が列島を覆う中、悪魔をやっつけます。
PCR検査は陰性でした。
が、新型コロナウイルスとたたかうわけではありません。
敵は私たち自身の中に、あるのです。
『悪魔をやっつけろ』は、盛岡 『語りの芸術祭』 に参加します。
会場は、いわてアートサポートセンター 風のスタジオ です。
詳細は、以下の通りです。
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私は石垣島には六年前に一度行ったことがある。訪問時の過去ログは、以下の通り。
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https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/104463a3f538300e23781ee29ec1fcc9
石垣島9条の碑。「戦争の放棄」と大きく謳っている。
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https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/89fb425d730c9f5c4dc1242921916e06
写真は、六年前、石垣島、於茂登岳。
燐光群制作部は、昨年9月を以て退団した近藤順子に続き、今後の引き継ぎを経て、古元道広が退団いたします。
近藤は名古屋に戻り、新生活をスタートしています。
古元は6年前、一年間のアメリカ留学のさい、私としては必ずしも劇団に戻ることなく、自分のやりたい活動をしていっていいという考えでしたが、その後も劇団を支えてくれました。
新体制に移行するにはまだ時間がかかりますが、一昨年から参加している Caco、昨年から劇団復帰している尾形可耶子が、制作担当として活動してゆくことになります。
今後ともよろしくお願いいたします。
インドネシアの首都が変わるという。
インドネシアは18日、首都をジャワ島のジャカルタからカリマンタン島(ボルネオ島)東部に移転し、新首都名を「ヌサンタラ」(ジャワ語で群島の意味)にすると発表した、という。
ジャカルタは人口の過密化や大気汚染、地下水の過剰採取による急速な地盤沈下が問題となっている。ジャワ島の湿地帯に位置し、1000万人以上が暮らしている大都市だが、もうダメだというのか。交通渋滞も深刻で、閣僚らが会議に出席する際には、開始時刻に間に合うよう警察が護送している状況だという。同じジャワで、ジョグジャカルタなどの街も、火山の脅威がある。
ジャワ島と、私が取材で通ったラマレラのあるレンバダ島は、同じ国なのに、ロサンゼルスとニューヨークくらいの距離がある(この二都市も例えとしては同じ国か)。
ラマレラの自然を愛するが、ジャワ島の賑やかさにも惹かれる。とにかくインドネシアは広い国ではある。
最近地震も多い気がするし、トンガの噴火もあった。なんだか世界がどんどん動いている。
写真は、フローレス島の市場。
ネットフリックスのドラマ版 『新聞記者』が話題である。
某「新聞記者」さんから、「ネトフリの新聞記者、かなり良かったです!」と連絡が来て、「ネットフリックス入ってないんです。残念。」と返すと、「一ヶ月だけでも〜」と来た。ということになれば、別な理由で観る必要もあるとは思っていたので、とにかくドラマ版 『新聞記者』をイッキ観する。
熱演する俳優たち。吉岡、トモロヲの苦悩が、辛い。 改ざんはほんとうに酷い話で、それが「日本人的な自己同一性の強制力」によるものだということが、胸に迫ってきた。
一昨年『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』をやったため、「財務局」のことは、自分でもかなり調べたので、このドラマのディティールへの凝り方に感心するところも多々であった。安倍元首相が逮捕されていないことはやはり理不尽だし、赤木さん一人に押しつけるのではなく、関わった官僚たちは、改ざんで立件されるべきだったと思う。
ただ、ドラマとしては人間関係の「偶然」を作りすぎ。主人公の積極性の動機が植物人間状態の兄の物語にあるというのは、不要である。せっかく無関係な新聞配達の若者の描写があって良かったと思っていたら、実は××の甥だった、と。こういう因果話は不要である。××だった綾野剛が、××に配属されるとか、主人公の兄と親しかった過去があるとか。物語の展開に都合が良いと判断したらしく、近いところで皆が繋がるという設定で、国家スケールの内容のはずが、学園ドラマみたいに見えてくる。これが日本のドラマの限界である、ということになってしまうのか。
映画版同様に、描かれる家族があまりに女性蔑視、古い家父長制的なものであるのも、どうかと思う。あのシチュエーションで「お弁当屋でもやろうか」じゃないだろう。
某「新聞記者」さんが言うように、佐川元理財局長が、自分をモデルにした人物のこのドラマでの姿を見て、続いている民事訴訟の場で、真実を正直に告発することを願わずにはいられない。もちろん彼一人だけでやったことであるはずはない。認諾じゃねえぞ、これで終わらせないぞ、という気持ちになる。
とにかくこのドラマは巷で盛り上がっているみたいで、それがきっかけや後押しとなって、現実世界も動かせたら、と思うのだが。
この「バンカラカレー」はチキンカツの載ったチキンカレー。トッピングがついているのに通常のカレーライスよりも150円安い。それはなぜかというと、旧制松本高等学校のバンカラ精神に則り、質実剛健な若者たちにエールを送ったのだという。じっさい、質実剛健な味がする。
そうだ。これこそ、カレーによる、美しい支援の姿なのだ。
松本では、昨年末に、公演が実施できた。ありがたいことである。