九月に二十歳になった息子のお祝いに、二十歳にはちょっと欠けるがこの日のためにキープしていた甕入りの泡盛をあける。一升入りだからごく小さい。
確か何かの祝いでもらったのものだ。遠い日だと思っていたが、あける日があっさりと訪れてしまった。
二十歳なんて子どもだなどと言うは易い。自分の二十歳の愚かさを思う。
今後この二十歳は自分に流れる沖縄の血脈をどうそれと意識していくのだろう。
写真は半月前ヤルタの市場で見たゴーヤらしきもの。もちろんゴーヤは沖縄だけのものではないし、この「ゴーヤ」は沖縄を知らないだろう。
ウクライナ人はこいつをどう料理して食べるのだろう。聞いておけばよかった。
確か何かの祝いでもらったのものだ。遠い日だと思っていたが、あける日があっさりと訪れてしまった。
二十歳なんて子どもだなどと言うは易い。自分の二十歳の愚かさを思う。
今後この二十歳は自分に流れる沖縄の血脈をどうそれと意識していくのだろう。
写真は半月前ヤルタの市場で見たゴーヤらしきもの。もちろんゴーヤは沖縄だけのものではないし、この「ゴーヤ」は沖縄を知らないだろう。
ウクライナ人はこいつをどう料理して食べるのだろう。聞いておけばよかった。