デヴィッド・ヘア脚本の『否定と肯定』を観る。
下高井戸シネマ。
最終日。
一日一回の上映なのでタイミングが合わないと観られない。
運良く観られた。
その前は原稿書き、映画の後は劇作家協会で会議三時間、そして夜はスズナリ。
デヴィッド・ヘア脚本の『否定と肯定』は、さすがにしっかりとした映画だ。ある意味、味も素っ気もない。色気のない映画だ。だがそれでいい。イーストウッドの『ハドソン川の奇跡』と似ている。
思いがけず裁判(?)に巻き込まれる話であることも似ている。
この映画を観て弁護士を志望する若者が増えることを祈る。
邦題は『否定と肯定』だが原題は『否定』だけ。両論併記が好きな日本の風土はいかがなものか。
デヴィッド・ヘアは映画のシナリオライターとしても意欲的に活動している。『ウェザビー』(85)、『ダメージ』(92)、『めぐりあう時間たち』(02)、『愛を読むひと』(08)などの脚本を担当している。
いよいよ明日まで下北沢ザ・スズナリで上演中の『ブラインド・タッチ』は、劇作家としてのデヴィッド・ヘア に触発されて書いた戯曲である。
パンフレットの挨拶文には以下のように記している。
デヴィッドは、社会の出来事について批評的なドキュメンタリー演劇を発表すると同時に、ドラマティックなストレート・プレイも書く。共感するところの多い作家だ。
二十年以上前、ロンドンで彼の『スカイライト』初演を観て、私もしっかりとしたストレートプレイを書こうと思った。『エイミーズ・ビュー』を観てそれが決意に変わった。
私はデヴィッドの「バーベイタム・シアター(報告劇)」の新作三部作(『パーマネント・ウェイ』『スタッフ・ハプンズ』『ザ・パワー・オブ・イエス』)を日本で演出している。
8年前、東日本大震災直後のイギリスでの『ブラインド・タッチ』リーディグ初日に、そのデヴィッドから御祝いのFAXをいただいた。ここに一つの円環が成立した、と思った。
下高井戸シネマ。
最終日。
一日一回の上映なのでタイミングが合わないと観られない。
運良く観られた。
その前は原稿書き、映画の後は劇作家協会で会議三時間、そして夜はスズナリ。
デヴィッド・ヘア脚本の『否定と肯定』は、さすがにしっかりとした映画だ。ある意味、味も素っ気もない。色気のない映画だ。だがそれでいい。イーストウッドの『ハドソン川の奇跡』と似ている。
思いがけず裁判(?)に巻き込まれる話であることも似ている。
この映画を観て弁護士を志望する若者が増えることを祈る。
邦題は『否定と肯定』だが原題は『否定』だけ。両論併記が好きな日本の風土はいかがなものか。
デヴィッド・ヘアは映画のシナリオライターとしても意欲的に活動している。『ウェザビー』(85)、『ダメージ』(92)、『めぐりあう時間たち』(02)、『愛を読むひと』(08)などの脚本を担当している。
いよいよ明日まで下北沢ザ・スズナリで上演中の『ブラインド・タッチ』は、劇作家としてのデヴィッド・ヘア に触発されて書いた戯曲である。
パンフレットの挨拶文には以下のように記している。
デヴィッドは、社会の出来事について批評的なドキュメンタリー演劇を発表すると同時に、ドラマティックなストレート・プレイも書く。共感するところの多い作家だ。
二十年以上前、ロンドンで彼の『スカイライト』初演を観て、私もしっかりとしたストレートプレイを書こうと思った。『エイミーズ・ビュー』を観てそれが決意に変わった。
私はデヴィッドの「バーベイタム・シアター(報告劇)」の新作三部作(『パーマネント・ウェイ』『スタッフ・ハプンズ』『ザ・パワー・オブ・イエス』)を日本で演出している。
8年前、東日本大震災直後のイギリスでの『ブラインド・タッチ』リーディグ初日に、そのデヴィッドから御祝いのFAXをいただいた。ここに一つの円環が成立した、と思った。