Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

今年もよろしくお願いいたします。

2017-12-31 | Weblog
新年と言われても、どうにもだが。
また一年か過ぎたことは、認める。

反省も少しはするが、申し訳ない。
できることとできないことがある。

絶対に認めたくはないことがある。
大事にしたい、人と関係が、ある。

迷いはするけれど、進むしかない。
自分がすべきことをするしかない。

史上最悪の事態にいるのは確かだ。
それでも、必ず、宝石は見つかる。

愛は、伝わるし、それを忘れない。
不器用な者にしかできないことだ。

今年もよろしくお願いいたします。




撮影・姫田蘭
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三年前の元旦のブログ記事〈「最悪の正月」は、更新された。〉再録。

2017-12-31 | Weblog
三年前、2015年の元旦、私はこんな記事をプログに書いている。

〈「最悪の正月」は、更新された。〉

いやいや。

本当にもっと悪くなった、

もろもろの自戒を込めて、以下、採録する。

添付の写真は、当時の者ではないが、その頃、写真を保存している。これが何か、わからない人は自分で考えてね。

はい。




〈「最悪の正月」は、更新された。〉


こんな最悪の正月はないのだが、と、昨年も言った気がするが、最悪は更新された。そのことに対してとくに感慨も湧かないが、現実がそうなのだ。
とにかく皆さん今年もよろしく。

大晦日。紅白歌合戦は観ていないが、画面は一切見えず聴こえてきた美輪明宏さんの「愛の讃歌」がいくらなんでもビブラート効かせすぎじゃね? と思う。年越しそばは、出雲そばを茹でる。

で、年が明けると自動的に発表される、首相官邸ホームページの「安倍内閣総理大臣 平成27年 年頭所感」。

昨年もこの定例の「所感」に、「新年早々、ひどいものを読まされてしまった」と思ったものだが、今回は、より「深刻」であると思う。この「所感」の内容そのものについても思うが、これが許されているこの現在の状況そのものに対しても、そうだ。

安倍総理が言うには、
「総理就任から2年が経ちました。この間、経済の再生をはじめ、東日本大震災からの復興、教育の再生、社会保障改革、外交・安全保障の立て直しなど、各般の重要課題に全力で当たってまいりました。」

間違った施策を、全力で当たられても、困る。
どう考えても日本経済が「再生」したとはいえないだろう。現状の円安リスクを背負える見込みはない。景気を株価で計れる時代ではない。大きめの「会社」を中心に経済をはかる虚しさ。
震災からの「復興」は足踏み。いや、あれから四年近くになって、解決されないまま持ち越されたことによる被害の重層化・深刻化は否定できない。現在進行形のことが過去形のように装われている。
「教育の再生」って、「道徳」の押しつけのことか? 教科書検定の「自粛管理」強要の無惨。
「社会保障改革」? 「改悪」以外の言葉は出て来ない。年金の支給・支払いの開始・満期時期をずらす方策のせこさ。
「外交・安全保障の立て直し」? 悪化の一途ではないか。アメリカと「軍」として一体化することの意味を日本政府は本当に理解しているのか。
尖閣諸島は既に中国側に理がある。中国の漁船・戦艦の接近を許し、日本側が調査に行くのを見合わせるようになってしまっては、日本が「実効支配」を言うには無理な状況になっているからだ。
中・韓の台頭で日本が防衛強化を余儀なくされたというでっちあげを国民の多くに信じさせる操作は、根拠のないエクスキューズとして浸透してしまっている。

安倍総理は言う。
「さらには、地方の創生や、女性が輝く社会の実現といった新たな課題にも、真正面から取り組んできました。」

「地方の創世」? 絵に描いた餅。首相がかつて言及した、「大山の地ビールや島根のさざえカレーが地域産業の成功例」って、何か勘違いしていないか。安倍首相はこの件でも「やれば、できる」を連発するんだけど、これでは地域の当事者に責任を押しつけているだけではないか。人口減少や超高齢化を防ぐには、地域の自立と産業保護が必須。まったく口にしないで誤魔化して進めようとしているTPPはもってのほか。
「女性が輝く社会の実現」? 気味の悪い女性大臣を数多く誕生させたことか? 大臣を登用するたびにぼろが出る。その禊ぎ選挙でもあったのだろう。
「配偶者控除見直し」、現在の「年収103万円以下は税免除」という規定が完全に消滅する見通しである。主に主婦層である、低収入のパート労働者たちの勤労意欲を削ぎ、更なる貧困階層を作る。1000万人以上がこの控除を使っている。彼らの何割が「ちゃんとした共働き」に鞍替えできると考えているのだろうか。国や地方は相当な増収となるだろうが、弱者を救うためにあった制度をなくしてどうする。低収入のパート労働の主婦は「輝いて」いないという理屈か? 「適齢期」男女はさらに結婚しなくなるぞ。

生活保護費は、厚生労働省が、一昨年から3段階で引き下げを実施し、3年間で平均6・5%、最大10%減額している。生存権の侵害であり憲法違反である。
子育て支援・待機児童の問題についても、改善されていない。

安倍総理は言う。
「そして先の総選挙では、国民の皆様から力強いご支援を頂き、引き続き、内閣総理大臣の重責を担うこととなりました。」

いやいや。「違憲」状態のままでの選挙。何のためにやるかわからない選挙で、極めて低い投票率。「力強いご支援」なんかじゃない。自民党が獲得した得票は比例代表で33%。有権者数を分母にした全国の比例代表の得票数でみれば千七百七十万票で、17%にすぎない。それを圧勝というのはおかしい。その数さえ、与野党の違いが不明瞭で論点さえはっきりせず選択肢がない多くの有権者が不安の中で猜疑心に囚われ「とりあえず現状維持」を選んだという残念な現実であろう。

安倍総理は言う。
「いずれも戦後以来の大改革であり、困難な道のりです。しかし、信任という大きな力を得て、今年は、さらに大胆に、さらにスピード感を持って、改革を推し進める。日本の将来を見据えた「改革断行の一年」にしたい、と考えております。」

「大改革」。改悪でしょう。
「困難な道のり」なのは筋が通っていないからである。
「信任という大きな力」。いや。後付けでいろんな事を進めようとしているらしいが、誰も信任していないよ。「消費税増税とアベノミクスを問う選挙」だと自分で言っていたでしょうが。他の論点を「信任された」と言うのは欺瞞である。

「さらに大胆に、さらにスピード感を持って」。調子に乗るな。なぜ焦る? 「やり逃げ」は許されない。
「日本の将来を見据えた「改革断行の一年」」。あなたは国民を自分の歪んだ思い込みの犠牲にして「日本の将来」を潰そうとしているだけだ。

安倍総理は言う。
「総選挙では全国各地を駆け巡り、地方にお住いの皆さんや、中小・小規模事業の皆さんなどの声を、直接伺う機会を得ました。」。

あなたの言う「皆さん」は誰のことだ? テレビニュースに登場したとき、その番組で取り上げた「街の声」について「(自分に対する)反対意見ばかりを集めた」と決めつけて逆ギレしたくせに。

「皆さんの声」など届いていない。

例えば、安倍政権は、選挙が終わった途端に、介護サービス事業者に支払われる「介護報酬」を15年度から引き下げる方針を打ち出した。そもそも低賃金、慢性的な人手不足状態の現場に、追い打ちをかける。結果としてサービスの質が低下すれば、介護を受ける側のマイナスにもなる。

そもそも消費税率アップは、福祉を充実させるために行われたはずではなかったのか。
一方で大企業の法人税を引き下げ、その恩恵を受ける大企業は見返りとして安倍自民党に巨額な政治献金をする。
本来は眼を向けてこなかった癖に「中小・小規模事業の皆さん」などととってつけたように言わないでほしい。

安倍総理は言う。
「こうした多様な声に、きめ細かく応えていくことで、アベノミクスをさらに進化させてまいります。」

無理だね。「中小・小規模事業の皆さんなどの声」を無視することこそが「アベノミクス」なる大ざっぱなザル方策の主旨だからだ。弱者を切る方策ばかりやってきておいて正反対の開き直りをするおためごかし。増え続ける非正規労働者のことなど視座に入っていない。派遣法の改悪、多くの会社のブラック企業化。なぜそうなっているかわかっているのか。政策が間違っているのだ。嘘も強気で言いつのれば通るというやり方は、いい加減にしてほしい。

安倍総理は言う。
「経済対策を早期に実施し、成長戦略を果断に実行する。今年も、経済最優先で政権運営にあたり、景気回復の暖かい風を、全国津々浦々にお届けしてまいります。」

「経済対策」「成長戦略」って、具体的に納得できるものを示せていないじゃないか。マスコミも鵜呑みにしてまともな「方策」として存在するかのように見せている「三本の矢」なるものの何がどう具体的に恒久的な成功を導けているか。何一つ成功していない。市場の金が増えたって相場の動き次第で一瞬にして無化される。政府支出のケツを誰が持つのか。
火だるま借金国の現状を悪化させるのみだ。
「経済最優先」のはずの経済ががたがたなんじゃないか。将来性なし。
「景気回復の暖かい風」があるというウソの前提をやめなさい。貧困化・格差化の雪崩うつ進み具合がわからないのだろうか。
かつては公約で絶対拒否するはずだったTPPを容認しようものなら、後にはペンペン草も生えない。
とにかく「アベノミクス」「三本の矢」という気色の悪いコトバ自体に虫酸が走る。

そして安倍総理は言う。
「今年は、戦後70年の節目であります。」

ただの十進法の区切りを「節目」と言うな(他陣営の政治家も平気で言うが)。ただ「戦後70年」という安倍発言の言葉の裏には、いつまで経っても「戦後」、戦後生まれの癖に「敗戦の悔しさ」を意識しているらしい、そのルサンチマンが透けて見える。

安倍総理は言う。
「日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。」

この男の発する「深い反省」という言葉は実に空疎だ。
「戦後」に歩んできたはずの「自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道」について、それを評価していないことが露骨なこの男が言うのはリアリティ皆無だし、仮にそうであったと思っているなら、逆にそうであったことを恨みがましくて思い返しているような響きがある。
「次なる80年、90年、さらには100年に向けて、」。またまた空疎な十進法区切り。歴史は君に味方しないよ。

「日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。」と、わざわざあらためてこれまでとは違うビジョンが必要であることが大前提という言い回しをするのは、彼が彼自身が認定する「これまでの「自由で民主的、ひたすら平和国家」を否定し、「それ以外の選択をする国」を目指したいという表明であり、「世界」に対する「貢献」というものが、「軍事」による「介入」であるという野望が籠められているように響く。そういう言葉の選び方だ。

安倍総理は続ける。
「私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る。そんな一年にしたいと考えています。」

改めて言うが、彼の言う「私たちが目指す国の姿」に、「自由で民主的、ひたすら平和国家」であるというイメージは含まれていないわけだ。含まれていれば、あらためて「目指す姿」を世界に示す必要などないからだ。
それは疑う余地がない。全世界の人達が既に知っているように、先の戦争について「不戦」の誓いも「反省」もなく、A級戦犯らを「祖国の礎」という首相なのだから。

この後が、また奇怪である。安倍総理の発言に論理がないことがよくわかる。

「「なせば成る」。
上杉鷹山のこの言葉を、東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームを、東京オリンピックで金メダルへと導いた、大松監督は、好んで使い、著書のタイトルとしました。半世紀前、大変なベストセラーとなった本です。
戦後の焼け野原の中から、日本人は、敢然と立ちあがりました。東京オリンピックを成功させ、日本は世界の中心で活躍できると、自信を取り戻しつつあった時代。大松監督の気迫に満ちた言葉は、当時の日本人たちの心を大いに奮い立たせたに違いありません。
そして、先人たちは、高度経済成長を成し遂げ、日本は世界に冠たる国となりました。当時の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。
国民の皆様とともに、日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく。その決意を、新年にあたって、新たにしております。」

それにしてもなぜ半世紀前の女子バレーボールの監督の言葉を引用するのか。上杉鷹山って誰だ? 何で直接でなく孫引きなのか。恣意的な引用の空疎さは言わずもがな。
なぜか。彼の主張に合致する「例」など、戦後史にないからだ。
ようく読んでいただきたい。
戦後の日本人は「敢然と立ち上がった」のではない。
それまでなかった自由と平等、権利意識を連合軍陣営から教わり、立ち直ったのだ。農地改革、婦人参政権を、戦後の日本人が「敢然と立ち上がって」獲得したとでも言うのか。
そして、朝鮮戦争の「特需」なくして現在の日本はない。
アメリカの経済政策を下支えすることの恩恵で「経済成長」し、既得権を守ることで成長してきたことに疑いの余地があるのか。
もちろん戦後の日本人たちは努力はした。しかしそれを花咲かせる環境は、与えられたものだ。
社会主義と資本主義の双方から可能な方策を選び、アメリカなどから見ても嫉妬の対象になるくらいの、一種の「資本主義の社会主義含みの理想形態」に近づいた。「組合」も多く存在し、労働者が胸を張れる社会に向かってもいた。
「自由で民主的、ひたすら平和国家」の理想論が背中を押したのだ。
そこにあったのは「なせば成る」の根性論ではない。
「当時の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。」と言うなら、「自由で民主的、ひたすら平和国家」のビジョンを、現在の人々が持てるようにすべきだ。
厳しく歴史を見るなら、「高度経済成長を成し遂げ」たと見えたとしても、あくまでも「アメリカの衛星国」としてであったということを、よもや忘れてはなるまい。

先述のように「なせば成る」という首相の言葉は「地方の創世」の件などで「やれば、できる」として連発されている。
これって、「やれば、できる」ことだから、手の平を返せば、「やらなったからできないんだ」と相手を突き放すことができる、一種の責任回避の言葉でもあるのだ。

なぜかケネディ米大統領も政治家として尊敬していたという米沢藩主上杉鷹山の言葉「なせば成る」には続きがあって、「成る」より「為る」が正しいらしく、「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」である。
「何かを為し遂げようという意思」だけで何とかなるというのか。空疎だ。

ついでに。上杉鷹山には「伝国の辞」というものがある。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候(国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。)
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候(人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。)
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候(国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。)

二つ目の、人民に「我私すべき物にはこれなく候」というのには「人民の自由と権利」に基づいて反発するが、後の二つについては、為政者も同様に「我私すべき物にはこれなく候」ということで国民同様に縛られているし、「君のために立たる国家人民にはこれなく候」で、王政や天皇制・為政者の独断を禁じてもいる。安倍首相はよく読んでいないのだろう。

批判を怖れてであろう、この年頭所感では「憲法改悪」「集団的自衛権」「特定秘密保護法」関連については何も触れていない。
谷垣禎一幹事長に年頭所感で「切れ目のない安全保障法制の整備と憲法改正実現に向けた議論を、国民の皆様の理解を得ながら進めていく」と表明させてはいる。

現実には、某テレビ番組で「戦争をするにあたって……、いや、失礼、集団的自衛権を行使するにあたって……」と言い直してしまった、実は戦争をしたくてたまらないことを露呈した石破茂内閣府特命担当大臣・国務大臣のお粗末もあった。
今や武器輸出三原則解除もなし崩し。
自衛隊海外派遣を随時可能にする恒久法制定に向かっている。自衛隊による海外での米軍や多国籍軍への後方支援を想定しているとするが、戦場にどう「後方」が規定しうるのか。支援内容や活動地域が広がれば、憲法違反とされる「他国軍の武力行使との一体化」に抵触する恐れは否定できない。

特定秘密保護法の施行を受け、「秘密指定」が進んでいることが年末にわかった。
内閣官房が49件、海上保安庁が15件など、判明したうちで最多は従来の「防衛秘密」を移行させた防衛省の約4万5千件。
指定が進む一方で乱用をチェックする国会の「情報監視審査会」はいまだに委員さえ選任されていない。

安倍首相の年頭所感は、沖縄のこと、原発のことに触れていない。
この政権にとっては、沖縄のこと、原発のことは重要事項ではないのだ。
あるいは「既に決着がついたこと」にしたいのだ。
おそるべき「排除」の論理である。
放射能の半減期を義務教育で教えるべきだ。

「最後に、国民の皆様の一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆様一人ひとりにとって、実り多き素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。」
これが安倍「年頭所感」の締めくくりである。

「御理解」も「御支援」も、断固としてお断りする。
私たちには、現在の政権を覆す以外に、「実り多き素晴らしい時」を獲得する方法はないはずであるからだ。
その思いをさらに強く持った元旦である。

サザンオールスターズが首相夫妻観覧中の年末公演で「衆院解散なんですとむちゃを言う」という歌詞をアドリブで入れたり、桑田氏が紅白歌合戦で政権を皮肉るようにとれる歌をヒットラー髭で歌ったりという情報も聞くが、主婦がヘイトに走り、嫌韓反中本がベストセラーに列なるようになってしまったこの国で、政権批判がどこまで届くかどうか。

こんな書き込みは、いちいちやってられない。そういう必要のない世の中であってほしい。
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観たのに忘れていた映画

2017-12-31 | Weblog
この夏以降、映画館にはほとんど行かなかった。
と、昨日、投稿したのだが。

もうトシだな。
七月とか九月だから、だいぶ時間が経っているのは確かだが、観たのに忘れていた映画たちがある。
しかも、みんな、決して悪くなかった映画たちなのに、である。

『ドリーム』は、那覇の映画館で観た。スリー・ディグリーズじゃないけど、分野の違う女三人のチームを印象づける冒頭シーンの掴みからして良く出来ていて、引き込まれる。思いがけず良かった。「脚色」の強引さ、ハリウッドらしい手つきに時々辟易させられるし、明らかにダサくなってしまっているところもあるのだが、こういうテーマで、以前には描けなかった事項を題材に、きっちり作れるところが、アメリカ映画界の憎たらしいところだ。褒めているのである。

『ダンケルク』は、さすがにノーラン監督のこだわりはいいのだが、三つの時制が重なる構成の妙について是か非かで評価が分かれるところだろう。その点は、台本書き及びそれを志す者は、観て、いろいろ考えるぶんには、決して損はない。東日本大震災直直後に渡英したとき偶然観た『エルサレム』が印象的だった演劇畑のマーク・ライランスが、民間船の船長役で好演しているのが、嬉しい。

『ハクソー・リッジ』を観たのは7月だから夏だが、これもたぶんモデルになっている前田高地に一番近い沖縄新都心の映画館で観た。なにしろ、沖縄戦である。複雑な気持ちには、なる。だが、世評でいうほど「違和感のあるところ」は、気にせず観られた。「反戦」ということじたいは、どのアプローチであれ、尊重したいところはある、というのは甘すぎるか。

で、もちろん、『おクジラさま』と『カメジロー』というドキュメンタリーも、夏には、観ている。
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映画館が恋しい

2017-12-29 | Weblog
この夏以降、映画館にはほとんど行かなかった。
映画館が恋しい、と思ったりもしたが、じっさい時間がないのと、それどころではない、という状態だったからだ。じっさい、機会がなかった。
タイに行ったときの飛行機の中でも映画を観ていない。その元気がなかったのだ。

『否定と肯定』『ベイビー・ドライバー』というのが、とくに観たいのだが。

それでも、私の世代のコアな作品の続編なので、本当に運良く空いた日に、残念ながら小さな映画館でだが、『ブレードランナー』の後日譚は、観た。
全然駄目だった。古い。長い。一人相撲。同じ監督なら『メッセージ』のほうがまだいい。

で、『スター・ウォーズ』の最新作は、見た。どうせ観るなら大画面で観た方がいいだろうと考えたからだ。林海象監督が褒めていたからでもある。
なるほど、だった。このシリーズは七十年代の初期作品に比べて最近の作品は軒並み駄目で、リーアム・ニーソンの出ているやつは封切り直後のアメリカの満席オールナイトで観たのだが、観客の期待が徐々に裏切られていく感じが、なんともいえなかった。がっかりした観客は最後はやけくそ気味に歓声を挙げていたのを憶えている。
さて、このシリーズの前作は撮影技術の向上に反比例して「B級」感が半端なかったのだが、今回の新作は、新シリーズの中では断トツにいい。しかし王様の家系が立派という権威主義的な御託は、気に入らない。ご都合主義の超能力(フォース)濫用に至っては、だったら初めからそうしろよ、という感想しか湧いてこないし、突っ込みどころ満載。それでも前作よりだいぶ、いい。物語的な決着の付け方の上手でない脚本書きの方は、このくらい強引でも許されるのなら、と、勇気を持って己の殻を破るための弾み車にでもしていただきたい。

しかし、七十年代後半、『スター・ウォーズ』第1作は、アメリカで話題になっているという評判から1年半くらいたってから公開されたはずである。ずいぶん待たされた感じがした。
『アメリカン・グラフィティ』の監督が急に宇宙SFを撮った、ということで、へー、と思ったものだ。
そういえば、やはり私の故郷岡山で七十年代、東京公開の後にずいぶん公開されなかった二本の大作が、半年以上経って、唐突に二本立てで公開された。『ゴッドファーザーPARTⅡ』とシドニー・ルメット版『オリエント急行殺人事件』である。併せて五時間半。これは、岡山の映画王・吉富さんも時々回想されているようだし、今でも語り草である。
新しい方の『オリエント急行殺人事件』も、観なくてはと思っている。

『スター・ウォーズ』の、ヨーダ、という登場人物は、ある日本の映画人がモデルである。ということは知られているが、さいきんシナリオライターのT氏に、あらためて詳しく教えてもらった。その話を聞いてから観たので、その人にしか見えなくなってしまった。興味ある人は自分で調べてね。モデルというか、「ー」を抜けば、なるほど名前はそのままなのである。

ちょっと前に、フィリピン映画『ローラは密告された』を観たのを思い出した。フィリピンには何度も行っているが、じっさい、かの国の家族主義には、感心させられる。SF映画の続編以外も観ていたのがわかったので、なんだかほっとした。
やはり秋に話題になった、ずいぶん長尺というフィリピン映画『立ち去った女』には、今、一緒にアジア共同プロジェクトの稽古をしているマージ・ロリコが出ている。主人公の娘役らしい。これも封切りでは見逃してしまった。というか、無理な時期だった。

日本映画は、旧知の三島有紀子監督『幼な子われらに生まれ』だけは、観ていたことを思い出した。大分出張のとき、午前中に時間があいたのだ。映画館で観られてよかった。というか、午前中にやってくれていて助かった。逆にいえば、最近のロードショー以外の映画館は、一つのスクリーンで時間を変えて1日に5本くらいやっていたりするので、時間が合わなかったら観られないのだ。

写真は、上田の、昔ながらの映画館。ここを見学してから、いっそう映画館が恋しい。
しかし三月末日まで、休みがない。どこかで谷間を見つけて映画館に行きたいが、そういうチャンスに、目当ての映画はやっていなかったりするものなのだ。
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『リタイアメン』台本稽古開始。

2017-12-28 | Weblog
清水弥生作『リタイアメン』、台本稽古開始。

世間は仕事納めの人もいるというのに。
もちろんお正月返上である⋯⋯が、大晦日と元旦だけは稽古休みにした。

マイレス・カナピ、ナルモン・タマプルックサー、マージ・ロリコ、ニコン・セタン、海外からの四人が、ようやく揃い踏み。

まだ前半の読み合わせ。

全員揃ったので、夜は、ウェルカム・パーティー。
鈴木君の作ってくれた豚汁とちらし寿司が、おそろしく、うまい。

西田シャトナー氏が、飛び入り参加。
海外メンバーから、折紙みは国境を越える、の注目を浴びる。

………

アジア共同プロジェクト『リタイアメン』

1月18日(木)~ 21日(日) 森下スタジオ Cスタジオ



味わい深いチラシの絵は、沢野ひとし画伯によるものである。

私は10年前、沢野ひとし画伯原作の「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」という長い題名の芝居を作り、新宿SPACE雑遊で一ヶ月のロングランで初演、その後、仙台、盛岡、名古屋、大阪で、上演している。

作り手が時に「社会派」と呼ばれているなどとは誰も思わないであろう自由な作品で、私は好きだった。

椎名誠さんも登場した生ビール付きアフタートークをやったなあ、と、思い出した。


http://rinkogun.com/RETIRE-MEN_Tokyo.html
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劇作家協会『せりふを読んでみよう』ワークショップ、次回開催決定。

2017-12-27 | Weblog
劇作家協会『せりふを読んでみよう』ワークショップ、次回の開催が決定しました。

講師は、中津留章仁。

劇作家と俳優が共に学ぶ場です。

初日と、最終日の公開リーディング&講評は、一般公開されています。

トークセッションには私も参加します。

http://www.jpwa.org/main/activity/serifu




せりふを読んでみよう

── 劇作家と俳優のためのせりふの読みかたワークショップ ──

第6回 講師:中津留章仁


せりふを通して出会う貴重さ  ── 坂手洋二

劇作家と俳優は、せりふを通して出会います。俳優という未知の他者の解釈を経て、その肉声として発された「せりふ」と出会い直すことは、劇作家にとって貴重な経験です。また、劇作家自身がどのように「せりふ」を構築したかをじかに知ることは、俳優にとっても、意義があるはずです。両者のセッションを実現する、唯一無二の講座です。
戯曲の書き癖  ── 古川貴義

完璧な戯曲なんて、そうそうありません。粗さもあれば、それぞれ固有の“戯曲の書き癖”もあります。でも、その粗さや書き癖は、戯曲を読み解く糸口になり、時には戯曲の良さになることだってあります。俳優には、読解のヒントを。劇作家には、自作を振り返り次作に活かす機会を。さあ、せりふを読んでみよう。
会いに行ける劇作家  ── 奥山雄太


俳優は演出家の言葉を直接聞くことはできますが、劇作家の言葉を聞く機会はシステム上あまりありません。劇作家自身も、他の劇作家と作業する機会はほぼありません。劇作家が戯曲に込めた想いを読み解くコツを掴むのは簡単じゃないので、ちょっとズルいけど、直接聞きにいってみてはどうでしょうか。



《次代を担う劇作家を育成するためのプロジェクト》
文化庁委託事業「平成29年度 次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」
主催:文化庁、一般社団法人日本劇作家協会
制作:一般社団法人日本劇作家協会


文体を読む力を養う 中津留章仁

 せりふを読んでみよう。
 この企画は、劇作家を目指す人たちと俳優たちとが交流する場です。
 劇作家がより良いせりふを生み出すためには、俳優の仕事というものを深く理解する必要があると思います。俳優の身体を通して実際に発語したせりふを聞いて、感じて、推敲を重ねることはとても重要な作業です。書いているときには気づかなかった問題点を、音にすることによって発見できるからです。
 また、俳優が劇作家の仕事を知るということも、戯曲の読解において非常に役立ちます。会話がどのようにして書かれているか、その秘密に迫れるからです。
 このワークショップでは、講師が指定した戯曲のせりふを俳優たちが音にします。劇作家を目指す人たちはその音を聞きながら、俳優たちとともに戯曲読解を深めます。
それはつまり、戯曲の文体、を読み解くという行為に他なりません。
 戯曲の文体には、良いせりふを書くコツや、俳優がより深くせりふを咀嚼するヒントが、隠されているのです。


講師:中津留章仁
劇作家・演出家 1973年生まれ。大分県出身。TRASHMASTERS主宰。日本劇作家協会理事。2000年にTRASHMSTERSを旗揚げ。以降すべての作品の作・演出を手がける。主な作品に、12年『黄色い叫び』『背水の孤島』、15年『そぞろの民』、17年『たわけ者の血潮』など。青年劇場『みすてられらた島』、劇団民藝『篦棒(べらぼう)』、劇団青年座『断罪』など外部への脚本提供も多い。千田是也賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、讀賣演劇大賞選考委員特別賞など受賞多数。


▽ スケジュール

3月15日(木) 13:00―16:15 オリエンテーション・稽古 *一般公開!
3月16日(金) 終日 稽古 (おおむね午後〜夜の予定ですが、終日お時間をお空けおきください)
3月19日(月) 終日 稽古 (同)
3月20日(火) 10:30ー12:00 稽古/13:00ー16:30 リーディング&講評 *一般公開!

▽ 会場

芸能花伝舎 (新宿区西新宿6-12-30) 
15日(木)・19日(月)は創造スペースB2、16日(金)・20日(火)は創造スペースA1

▽ テキスト

講師の自作を使用する予定です。
受講が確定した方には郵送でお送りいたします。


◎3月20日(火) 15:00 トークセッション
  「劇作家にとってのせりふ、俳優にとってのせりふ」

 登壇:中津留章仁 斉藤とも子 坂手洋二 古川貴義
 
 お申込み
   [受講] 劇作家・俳優= 受付期間:1月18日(木) 00:00〜2月13日(火)23:59 **書類選考あり
   [見学] 一般 = 受付開始:2月15日(木) **先着順受付


☆募集要項

劇作家・俳優共通

[受講料]
 ・無料
[定員]
 ・劇作家:10名程度/俳優:10名程度
[応募受付期間]
 ・2018年1月18日(木)0:00〜2月13日(木)23:59
[応募先]
 ・ jpa.serifu@gmail.com
[選考]
 ・応募後3日以内に受付確認メールをお送りします(土日祝はやや遅れる場合があります)。
 ・書類選考ののち、2月20日(火)夜までに参加の可否をメールでご連絡します。
 ・上記アドレスからのメールが受信できるようご設定ください。


資格劇作家

 [応募資格]
 ・年齢不問
 ・1作以上の戯曲執筆経験がある方
 ・今後も書き続ける意志をお持ちの方、プロの劇作家を目指す方
 [応募方法]
 ・件名を「せりふワークショップ俳優応募」とし、以下の書類を添付してメールでお送りください。
 1)経歴書(劇作家) Word ⇐ 追ってフォーマットを掲載します
 [注意事項]
 ・4日間の参加が可能な方のみが選考対象です。遅刻、早退不可。
 ・書類選考により受講が確定した方は、下記の創作をご提出ください(任意)。
  3分〜5分程度の短い会話(ドラマ)/登場人物は男女各1名/期限は3月11日(日)/希望者のみ提出。
  データ形式等の詳細は、受講確定後にご連絡いたします。
 ・提出作のうち1-2本を、WSで使用する可能性があります。

俳優

[応募資格]
・年齢20歳以上
・舞台経験2年以上
・プロの俳優として生計を立てていくことを目標にしている方、特に戯曲の読解を学びたい方
[応募方法]
・件名を「せりふワークショップ聴講応募」とし、以下の書類を添付してメールでお送りください。
1)経歴書(俳優用) Word ⇐ 追ってフォーマットを掲載いたします
2)写真  バストアップと全身の2枚
[注意事項]
・4日間の参加が可能な方のみが選考対象です。遅刻、早退不可。
・オーディションなどで当日の予定がわからない方は、2月14日(金)までに参加可否が確定する場合のみ応募可。決定次第必ずご連絡ください。

《初日と最終日は一般公開!》

稽古見学/リーディング&トークセッション

見学者も学べるワークショップ!
筆記用具をご持参のうえ、メモをご自由にお取りください。
俳優・劇作家はもちろん、劇作家の視点を知りたい演出家・演劇スタッフの方にもおすすめです。

[一般公開対象日] 両日来場の他、どちらか1日のみのご予約も承ります
 ・3月15日(木) 13:00ー16:15
   劇作家によるせりふワークショップをなぜ行なうのか。その趣旨を語る
   オリエンテーションと、稽古をご覧いただけます。
 ・3月20日(火) 13:00ー16:30
   リーディングと講師による講評ののち、休憩を挟んでトークセッションがございます。
   初日と併せてご覧いただくと、俳優のせりふの発し方の変化を知ることができます。

[入場料]

 ・無料


【担当委員】
   中津留章仁  坂手洋二  奥山雄太  瀬戸山美咲  藤井ごう
   古川貴義  古川 健  村野玲子 安坂駿一 吉田康一
【第6回運営担当】吉田康一
【制作】松本 悠(青春事情) 国松里香

【お問合せ】
  日本劇作家協会 事務局
  TEL: 03-5373-6923
  MAIL: jpa.serifu@gmail.com (せりふワークショップ専用)
  **お問合せはできるだけメールでお願いします
   jpa.serifu@gmail.comからのメールが受信できるようご設定のうえお問合せください。
   メール不着対応のためにお電話番号もお書き添えいただけると助かります。


http://www.jpwa.org/main/activity/serifu
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20年前、名護の住民投票の結果が踏みにじられた事実を、忘れすぎている。

2017-12-26 | Weblog
辺野古新基地建設について、沖縄県議会が、「県民投票」を言い出しているという。

なんだか県内マスコミもそれにうかうか乗っているらしい。

これってどう考えても目の前の「翁長知事が埋め立て承認して工事は進んでいる」現状を誤魔化すものだよ。

次の県知事選に翁長は出るかどうかわからないし、彼であろうと他の者であろうと、「勝てる候補」を基地反対派は出せるのか。
公明党の保守化、新たに選挙権を持った若い世代への説明努力の不足も含めて、目の前に迫っている名護市長選挙さえ、ヤバイと思う。

住民投票をすれば必ず勝てると思ってるのだろうか。
勝ったとしても、20年前の名護の住民投票の結果が踏みにじられた事実を、忘れすぎている。

そんな間にも、辺野古新基地建設は進行している。
「オール沖縄」は、ここまで辺野古工事が進むのを許している翁長知事を、どうして許容するのか。

ありえない。


話は変わるが、「ウーマンラッシュアワー」村本某が沖縄の基地問題に言及したという漫才に、喜んでいる場合だろうか。
あんなの内容なんか、ないぞ。
もともと彼は、基地反対運動に対する差別発言、女性蔑視を隠さず、両論併記できちんと結論を言わず逃げ、ただただ傲慢に振る舞っている輩ではないか。


なんだか、暢気すぎる。

「県民投票」に乗っかる愚かさがこのまま広がってしまうなら、もう足元がボロボロに崩れているということだ。


写真は、燐光群『くじらと見た夢』、辺野古をモデルとした「セノコ」の米軍基地の表示。
撮影・姫田蘭。

清水弥生新作『リタイアメン』、三年間の試行を重ねた「アジア共同プロジェクト」、最後のシーズンの稽古が、明日から始まる。
海外からの俳優陣が、きょう、揃う。
愚痴っている場合ではないのだぞ、こちらも。
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懐かしの映画館・上田

2017-12-25 | Weblog
劇団公演『くじらと見た夢』が終わってすぐ、信州・上田へ行った。

懐かしい映画館に出会った。

休館日だったので、中を見せていただいた。

かつて住み込みの映写技師が泊まっていた部屋が、なんとも味があった。

初めての上田は、魅力的な町だった。

素敵な人たちがいた。

蕎麦がうまかった。「盛り」も多かった! 「中盛り」で二人前くらいあるのだ。

古本屋の多く、いい感じのカフェも多かった。

養蚕の歴史も、奥深いものがありそうだ。

現在計画している企画が、うまく進行していくことを願っている。
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トランプを食ってやりました。

2017-12-23 | Weblog
伊丹のスーパーマーケットで、トランプが売られているのに出会いました。
イスラエルの首都をエルサレムにするという暴言を吐いて、国連では日本も非難決議に加わりはしたらしいものの、日本政府はトランプの暴言を容認しているようです。
このままにしておいてはいけないと思い、せめて私は、トランプを食ってやることにしました。

見た目はおかきでした。
よくわからない食感です。
味は薄いのか濃いのだか、わからないし。

乾パンで有名な浜松のサンリツ製菓が大量にトランプを製造していたわけです。
日本の技術は、煮ても焼いても食えないトランプを、海苔の薫る薄めの醤油味の菓子にしたのです。
しかし原料にお米はなく、「ビスケット」と表示されています。食べやすくしたカンパンのようです。
不思議です。

この菓子、昭和28年から発売されているそうです。
名前はゲームのトランプとも関係ないようです。

日本はいずれ、自国の産物である「おかき」をも、アメリカに迎合してコメを使わず作り、大統領の名前をつけることになるという、暗黒の未来を予見したお菓子でした。


上演が終わって、信州の仕事も終え帰京し、ほっとしたものの、いろいろストレスの溜まることが多く、今日はこんなやくたいもないことしか書けません。
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『くじらと見た夢』上演終了しました。

2017-12-20 | Weblog
燐光群『くじらと見た夢』、岡山・大千秋楽を終えた。
全ての上演を終了。

皆さん、お疲れさまでした。
ご協力下さった皆さま、ありがとうございました。

岡山の同級生たちが毎年来てくれるのは、本当に嬉しい。
いつも応援して下さる方々にも、感謝である。

写真は、宗像祥子。
ひと皮もふた皮も剥けました。
彼女は「岡山担当」でもありました。
撮影・姫田蘭。

……さて、この劇以外に、並行してやることは、たくさんある。
驚くべき事態が続々と。
対応していくしかない。

清水弥生新作『リタイアメン』の台本進行、仮の図面づくりも急いでいる、隙あらば電話して相談している状況。

先の見通しを見ると、たぶん三月末まで、休みらしい休みは、ない。
ありがたいことではある。

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燐光群『くじらと見た夢』、本日、岡山・大千秋楽。

2017-12-19 | Weblog
燐光群『くじらと見た夢』、本日、岡山・大千秋楽。

東京初日は一ヶ月以上前でした。

写真は、いるかを捕る船上の場面。
名古屋公演の場当たり。撮影・姫田蘭。
左から、佐々木梅治、杉山英之。

日曜日、劇作家協会新人戯曲賞の公開審査のため東京に戻り、また岡山でツアー組に戻り、である。

あれこれと、さらなる雑務あり。

1月のアジア共同プロジェクト・清水弥生新作『リタイアメン』の台本進行、とにかく進める。
仮の図面づくり、とりあえず現時点での方向は打ち出してみた。

実のところ、生きている限り当然のように、今ここに記すわけにはいかないいろいろな出来事も起きているのだが、とにかく対応していくしかない。
何かをつくるということも、少しでも状況を良くしていくことも、相手を大切にすることによって実現しなくてはならないのだ、と思いを新たにする。

人は強くなろうとしてそうなれるのではない。
必要なことを誠実にやっていくことで、何かを実現するための最低限の力が備わる。そういうものだろう。
粛々と進めるだけである。

………

ふたつの海。
クジラのいる海、いない海。
でも忘れちゃいけない。
海はひとつ。
必ずどこかで繋がってる。

燐光群創立35周年記念公演 VOL.1
────────────
燐光群『くじらと見た夢』
作・演出○坂手洋二
http://rinkogun.com/
────────────

国際的な捕鯨問題と日本社会の現状をリアルに描く、鯨捕りに携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語。

佐々木梅治 Benjamin Beardsley 円城寺あや 南谷朝子
中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋
杉山英之 東谷英人 武山尚史 山村秀勝 樋尾麻衣子
宗像祥子 田中結佳 秋定史枝 橘麦 中瀬良衣


【岡山公演】
12月19日(火)19:00
岡山市立市民文化ホール
岡山市中区小橋町1-1-30
路面東山行「小橋」下車徒歩1分

全席自由席 18:00より整理券を発行します。
客席開場前にロビーで整理券の番号順にお並び頂き、18:30よりその順にご入場頂きます。

一般前売 2,700円  当日3,000円 
大学生以下 1,500円  ※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Okayama.html


……………………………………


新作『くじらと見た夢』、パンフレットに掲載したご挨拶文です。

沖縄でのイルカ(ヒートゥー、ピトゥ)漁は、伝統的なものとして知られているが、戦後の一時期、名護西岸で本格的な捕鯨をしていたことを、最近になって本格的に調べた。十五年近くにわたって、年間数十頭のザトウクジラを捕っていたのだ。昭和二十六年、「戦後初めての捕鯨」と思しき漁にも参加した、八三歳で現役を誇るイルカ撃ち漁師の一家にも、詳しく話を聞いた。

名護東岸、島の反対側に位置する海では、米軍基地キャンプ・シュワブに、普天間基地代替施設としての空港建設が強行されようとしている。この劇の上演が始まる週、大浦湾を埋め立てる石材の、海上輸送による大量投入が始まった。

イルカ漁の豊かな歴史を抱く平和な名護漁港と、米軍基地に占拠された辺野古。同じ名護市なのに、海の風景は、西岸と東岸で、まったく違うのだ。

昨冬、かつて『くじらの墓標』を書くため訪れた捕鯨村・鮎川を、震災後には初めて、再訪した。津波の猛威を受けた町並みはすっかりなくなってしまったが、捕鯨は変わらず続けられていた。

『南洋くじら部隊』の舞台、レンバダ島の捕鯨村ラマレラを、久しぶりに訪れた。電気も電話も貨幣経済もなかった暮らしは近代化の洗礼を浴び、変わってしまった。それでも漁師たちはクジラを捕り続けている。

そして、映画『ザ・コーブ』等によってイルカ漁が国際的な非難を浴びた和歌山・太地に、初めて行った。捕鯨反対運動は沈静化していたが、それとは無関係に、人々は未来を見つめていた。午後から夕方にかけて漁協の退職者たちが集う溜まり場で、九〇歳の元クジラ捕りに話を聞いた。かくしゃくとして、見たところ七十過ぎにしか見えない元気な人で、全世界を股にかけた捕鯨最盛期の話は、圧巻だった。

名護の八三歳、太地の九〇歳との出会いは、収穫だった。

まだだ。
まだ間に合う。
戦争・戦後の時代と、今を生きる人たちを繋ぐ、海の物語を描くことができる。そう思った。捕鯨に携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語が、くっきりと浮上してきた。

これほどさまざまな場所を取材し、あらゆる人々に会ったことはない。四半世紀のあいだ抱えてきた「クジラ」というテーマと、逃れようもなく関わってきた沖縄のことが、このように出会う、宿命。

おそらく今までで一番多く溢れる情報を相手に、井上ひさしさんがよく言っておられた「小説はどんなに長く書いても許されるが、戯曲はどうしても二時間半に収めなければならない」という困難が、立ち塞がった。

しんどい作業に共に立ち向かう仲間たちに、支えられた。そのありがたさ、豊かさに、これほど感謝し、教わった現場も、ない。

クジラを捕ることと演劇を作るという営為は、やはりどこか似ている。

(『くじらと見た夢』当日パンフレットより)
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『くじらと見た夢』、あす岡山公演。

2017-12-18 | Weblog
燐光群『くじらと見た夢』、いよいよあす、岡山公演です。

師走の岡山公演も、毎年恒例になってきました。

ツアー最後の、大千秋楽。

たった一日だけなので、年末の締めの仕事や忘年会とぶつかる方も多々おられると思いますが、ここは一つ、ぜひともおいでいただければ幸いです。

今回は、家族のドラマです。

とてもわかりやすいです。


写真は、「鯨幕」が登場する大詰めのシーン。
名古屋公演の場当たり。撮影・姫田蘭。
左から、杉山英之 、大西孝洋、佐々木梅治。
手前、宗像祥子。

葬式の白黒幕をなぜ「鯨幕」というのか、私も詳らかにしないが、クジラ=生きものの死のイメージとして、空中に浮かぶそれは、実に印象的だ。




………

ふたつの海。
クジラのいる海、いない海。
でも忘れちゃいけない。
海はひとつ。
必ずどこかで繋がってる。

燐光群創立35周年記念公演 VOL.1
────────────
燐光群『くじらと見た夢』
作・演出○坂手洋二
http://rinkogun.com/
────────────

国際的な捕鯨問題と日本社会の現状をリアルに描く、鯨捕りに携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語。

佐々木梅治 Benjamin Beardsley 円城寺あや 南谷朝子
中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋
杉山英之 東谷英人 武山尚史 山村秀勝 樋尾麻衣子
宗像祥子 田中結佳 秋定史枝 橘麦 中瀬良衣


【岡山公演】
12月19日(火)19:00
岡山市立市民文化ホール
岡山市中区小橋町1-1-30
路面東山行「小橋」下車徒歩1分

全席自由席 18:00より整理券を発行します。
客席開場前にロビーで整理券の番号順にお並び頂き、18:30よりその順にご入場頂きます。

一般前売 2,700円  当日3,000円 
大学生以下 1,500円  ※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Okayama.html


……………………………………


新作『くじらと見た夢』、パンフレットに掲載したご挨拶文です。

沖縄でのイルカ(ヒートゥー、ピトゥ)漁は、伝統的なものとして知られているが、戦後の一時期、名護西岸で本格的な捕鯨をしていたことを、最近になって本格的に調べた。十五年近くにわたって、年間数十頭のザトウクジラを捕っていたのだ。昭和二十六年、「戦後初めての捕鯨」と思しき漁にも参加した、八三歳で現役を誇るイルカ撃ち漁師の一家にも、詳しく話を聞いた。

名護東岸、島の反対側に位置する海では、米軍基地キャンプ・シュワブに、普天間基地代替施設としての空港建設が強行されようとしている。この劇の上演が始まる週、大浦湾を埋め立てる石材の、海上輸送による大量投入が始まった。

イルカ漁の豊かな歴史を抱く平和な名護漁港と、米軍基地に占拠された辺野古。同じ名護市なのに、海の風景は、西岸と東岸で、まったく違うのだ。

昨冬、かつて『くじらの墓標』を書くため訪れた捕鯨村・鮎川を、震災後には初めて、再訪した。津波の猛威を受けた町並みはすっかりなくなってしまったが、捕鯨は変わらず続けられていた。

『南洋くじら部隊』の舞台、レンバダ島の捕鯨村ラマレラを、久しぶりに訪れた。電気も電話も貨幣経済もなかった暮らしは近代化の洗礼を浴び、変わってしまった。それでも漁師たちはクジラを捕り続けている。

そして、映画『ザ・コーブ』等によってイルカ漁が国際的な非難を浴びた和歌山・太地に、初めて行った。捕鯨反対運動は沈静化していたが、それとは無関係に、人々は未来を見つめていた。午後から夕方にかけて漁協の退職者たちが集う溜まり場で、九〇歳の元クジラ捕りに話を聞いた。かくしゃくとして、見たところ七十過ぎにしか見えない元気な人で、全世界を股にかけた捕鯨最盛期の話は、圧巻だった。

名護の八三歳、太地の九〇歳との出会いは、収穫だった。

まだだ。
まだ間に合う。
戦争・戦後の時代と、今を生きる人たちを繋ぐ、海の物語を描くことができる。そう思った。捕鯨に携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語が、くっきりと浮上してきた。

これほどさまざまな場所を取材し、あらゆる人々に会ったことはない。四半世紀のあいだ抱えてきた「クジラ」というテーマと、逃れようもなく関わってきた沖縄のことが、このように出会う、宿命。

おそらく今までで一番多く溢れる情報を相手に、井上ひさしさんがよく言っておられた「小説はどんなに長く書いても許されるが、戯曲はどうしても二時間半に収めなければならない」という困難が、立ち塞がった。

しんどい作業に共に立ち向かう仲間たちに、支えられた。そのありがたさ、豊かさに、これほど感謝し、教わった現場も、ない。

クジラを捕ることと演劇を作るという営為は、やはりどこか似ている。

(『くじらと見た夢』当日パンフレットより)
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第23回劇作家協会新人戯曲賞は、『うかうかと、終焉』(出口 明、大田雄史 作)          

2017-12-18 | Weblog
第23回劇作家協会新人戯曲賞 受賞作が決定しました!

<受賞作>『うかうかと、終焉』(出口 明、大田雄史 作)

公開審査・授賞式・忘年会、と、いつもながらの協会年末の日の強引だけど盛りだくさんで楽しいスケジュール。
私はこの日、伊丹から一人だけ東京に戻って、この日をこなし、翌日ツアー本隊の岡山入りにふたたび合流する予定である。

劇作家協会の一員として、本当に、過去にない、たいへんな一年だったと思う。
言いたいことは山のようにある。

公開審査会は、白熱した。
愛にあふれた話し合いだった。
最終候補作はいずれも、繰り返し読んでいるとさらにいろいろなことがわかってくる、熱意のある作品ばかりだ。
最終候補作の作者たちとは、いろいろ話したが、みんな素敵だ。
この「場」は、けっこうクオリティ高くないか、と思う。

来年の春で、この協会を立ち上げて、四半世紀となる。
あらためて、この協会に、感謝する。
    
      
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『くじらと見た夢』、本日伊丹公演千秋楽。

2017-12-17 | Weblog
燐光群『くじらと見た夢』、本日、伊丹AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)公演、千秋楽。


昨日も関西在住の高江仲間が観に来てくれました。

いろいろなことを思わされます。


写真は、「ピトゥドーイ」と呼ばれる、イルカの追い込み漁を、浜辺で待ち受ける子供たちの図。
中央、田中結佳。
撮影・姫田蘭。

この劇は一度に十人以上が出ているシーンが多いのだけれど、そのわりに散らかった印象にならない。それには秘訣があるのだが、それはまた、いずれ。


お見逃しなく。


続いて来週、岡山公演もいたします。

そちらの情報も御覧ください。

………

ふたつの海。
クジラのいる海、いない海。
でも忘れちゃいけない。
海はひとつ。
必ずどこかで繋がってる。

燐光群創立35周年記念公演 VOL.1
────────────
燐光群『くじらと見た夢』
作・演出○坂手洋二
http://rinkogun.com/
────────────

国際的な捕鯨問題と日本社会の現状をリアルに描く、鯨捕りに携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語。

佐々木梅治 Benjamin Beardsley 円城寺あや 南谷朝子
中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋
杉山英之 東谷英人 武山尚史 山村秀勝 樋尾麻衣子
宗像祥子 田中結佳 秋定史枝 橘麦 中瀬良衣


【伊丹公演】
12月15日(金)19:00
12月16日(土)14:00/19:00
12月17日(日)14:00
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
伊丹市伊丹2-4-1
JR伊丹駅西へ徒歩1分
阪急伊丹駅東へ徒歩約10分

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Itami.html

全席指定 一般前売料金3500円
大学・専門学校生/U-25(25歳以下) ¥2,500 高校生以下 ¥1,500
もございます。※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

【岡山公演】
12月19日(火)19:00
岡山市立市民文化ホール
岡山市中区小橋町1-1-30
路面東山行「小橋」下車徒歩1分

全席自由席 18:00より整理券を発行します。
客席開場前にロビーで整理券の番号順にお並び頂き、18:30よりその順にご入場頂きます。

一般前売 2,700円  当日3,000円 
大学生以下 1,500円  ※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Okayama.html


……………………………………


新作『くじらと見た夢』、パンフレットに掲載したご挨拶文です。

沖縄でのイルカ(ヒートゥー、ピトゥ)漁は、伝統的なものとして知られているが、戦後の一時期、名護西岸で本格的な捕鯨をしていたことを、最近になって本格的に調べた。十五年近くにわたって、年間数十頭のザトウクジラを捕っていたのだ。昭和二十六年、「戦後初めての捕鯨」と思しき漁にも参加した、八三歳で現役を誇るイルカ撃ち漁師の一家にも、詳しく話を聞いた。

名護東岸、島の反対側に位置する海では、米軍基地キャンプ・シュワブに、普天間基地代替施設としての空港建設が強行されようとしている。この劇の上演が始まる週、大浦湾を埋め立てる石材の、海上輸送による大量投入が始まった。

イルカ漁の豊かな歴史を抱く平和な名護漁港と、米軍基地に占拠された辺野古。同じ名護市なのに、海の風景は、西岸と東岸で、まったく違うのだ。

昨冬、かつて『くじらの墓標』を書くため訪れた捕鯨村・鮎川を、震災後には初めて、再訪した。津波の猛威を受けた町並みはすっかりなくなってしまったが、捕鯨は変わらず続けられていた。

『南洋くじら部隊』の舞台、レンバダ島の捕鯨村ラマレラを、久しぶりに訪れた。電気も電話も貨幣経済もなかった暮らしは近代化の洗礼を浴び、変わってしまった。それでも漁師たちはクジラを捕り続けている。

そして、映画『ザ・コーブ』等によってイルカ漁が国際的な非難を浴びた和歌山・太地に、初めて行った。捕鯨反対運動は沈静化していたが、それとは無関係に、人々は未来を見つめていた。午後から夕方にかけて漁協の退職者たちが集う溜まり場で、九〇歳の元クジラ捕りに話を聞いた。かくしゃくとして、見たところ七十過ぎにしか見えない元気な人で、全世界を股にかけた捕鯨最盛期の話は、圧巻だった。

名護の八三歳、太地の九〇歳との出会いは、収穫だった。

まだだ。
まだ間に合う。
戦争・戦後の時代と、今を生きる人たちを繋ぐ、海の物語を描くことができる。そう思った。捕鯨に携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語が、くっきりと浮上してきた。

これほどさまざまな場所を取材し、あらゆる人々に会ったことはない。四半世紀のあいだ抱えてきた「クジラ」というテーマと、逃れようもなく関わってきた沖縄のことが、このように出会う、宿命。

おそらく今までで一番多く溢れる情報を相手に、井上ひさしさんがよく言っておられた「小説はどんなに長く書いても許されるが、戯曲はどうしても二時間半に収めなければならない」という困難が、立ち塞がった。

しんどい作業に共に立ち向かう仲間たちに、支えられた。そのありがたさ、豊かさに、これほど感謝し、教わった現場も、ない。

クジラを捕ることと演劇を作るという営為は、やはりどこか似ている。

(『くじらと見た夢』当日パンフレットより)
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『くじらと見た夢』伊丹公演開幕。

2017-12-16 | Weblog
燐光群『くじらと見た夢』、伊丹公演開幕。

AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)。17日(日)まで。

伊丹初日は大勢の人が来てくれました。

和歌山・太地の捕鯨のドキュメンタリー映画『おクジラさま』(監督・佐々木芽生)の主人公・ジェイ・アラバスター(ジャーナリスト・元AP通信記者)は今でも太地に滞在しているのだが、『くじらと見た夢』を観るために、太地から足を運んでくださった。
ベンジャミンと引き合わせる。
日本滞在の長い二人の会話、なんだか面白い。

沖縄での縁の方々と、関西で会うのも不思議だが、しみじみ嬉しい。

写真は、場当たり中の、佐々木梅治、 Benjamin Beardsley 、東谷英人。

撮影・姫田蘭。

残すところ、12月16日(土)14:00/19:00、12月17日(日)14:00の3ステージ。

今夜7時の回がゆったりと御覧になれます。


お見逃しなく。


続いて来週、岡山公演もいたします。

そちらの情報も御覧ください。

………

ふたつの海。
クジラのいる海、いない海。
でも忘れちゃいけない。
海はひとつ。
必ずどこかで繋がってる。

燐光群創立35周年記念公演 VOL.1
────────────
燐光群『くじらと見た夢』
作・演出○坂手洋二
http://rinkogun.com/
────────────

国際的な捕鯨問題と日本社会の現状をリアルに描く、鯨捕りに携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語。

佐々木梅治 Benjamin Beardsley 円城寺あや 南谷朝子
中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋
杉山英之 東谷英人 武山尚史 山村秀勝 樋尾麻衣子
宗像祥子 田中結佳 秋定史枝 橘麦 中瀬良衣


【伊丹公演】
12月15日(金)19:00
12月16日(土)14:00/19:00
12月17日(日)14:00
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
伊丹市伊丹2-4-1
JR伊丹駅西へ徒歩1分
阪急伊丹駅東へ徒歩約10分

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Itami.html

全席指定 一般前売料金3500円
大学・専門学校生/U-25(25歳以下) ¥2,500 高校生以下 ¥1,500
もございます。※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

【岡山公演】
12月19日(火)19:00
岡山市立市民文化ホール
岡山市中区小橋町1-1-30
路面東山行「小橋」下車徒歩1分

全席自由席 18:00より整理券を発行します。
客席開場前にロビーで整理券の番号順にお並び頂き、18:30よりその順にご入場頂きます。

一般前売 2,700円  当日3,000円 
大学生以下 1,500円  ※当日受付にて証明書を提示いただきますようお願いいたします。

http://rinkogun.com/kujira_to_mita_Okayama.html


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新作『くじらと見た夢』、パンフレットに掲載したご挨拶文です。

沖縄でのイルカ(ヒートゥー、ピトゥ)漁は、伝統的なものとして知られているが、戦後の一時期、名護西岸で本格的な捕鯨をしていたことを、最近になって本格的に調べた。十五年近くにわたって、年間数十頭のザトウクジラを捕っていたのだ。昭和二十六年、「戦後初めての捕鯨」と思しき漁にも参加した、八三歳で現役を誇るイルカ撃ち漁師の一家にも、詳しく話を聞いた。

名護東岸、島の反対側に位置する海では、米軍基地キャンプ・シュワブに、普天間基地代替施設としての空港建設が強行されようとしている。この劇の上演が始まる週、大浦湾を埋め立てる石材の、海上輸送による大量投入が始まった。

イルカ漁の豊かな歴史を抱く平和な名護漁港と、米軍基地に占拠された辺野古。同じ名護市なのに、海の風景は、西岸と東岸で、まったく違うのだ。

昨冬、かつて『くじらの墓標』を書くため訪れた捕鯨村・鮎川を、震災後には初めて、再訪した。津波の猛威を受けた町並みはすっかりなくなってしまったが、捕鯨は変わらず続けられていた。

『南洋くじら部隊』の舞台、レンバダ島の捕鯨村ラマレラを、久しぶりに訪れた。電気も電話も貨幣経済もなかった暮らしは近代化の洗礼を浴び、変わってしまった。それでも漁師たちはクジラを捕り続けている。

そして、映画『ザ・コーブ』等によってイルカ漁が国際的な非難を浴びた和歌山・太地に、初めて行った。捕鯨反対運動は沈静化していたが、それとは無関係に、人々は未来を見つめていた。午後から夕方にかけて漁協の退職者たちが集う溜まり場で、九〇歳の元クジラ捕りに話を聞いた。かくしゃくとして、見たところ七十過ぎにしか見えない元気な人で、全世界を股にかけた捕鯨最盛期の話は、圧巻だった。

名護の八三歳、太地の九〇歳との出会いは、収穫だった。

まだだ。
まだ間に合う。
戦争・戦後の時代と、今を生きる人たちを繋ぐ、海の物語を描くことができる。そう思った。捕鯨に携わる家族たちの「伝承」と「共存」の物語が、くっきりと浮上してきた。

これほどさまざまな場所を取材し、あらゆる人々に会ったことはない。四半世紀のあいだ抱えてきた「クジラ」というテーマと、逃れようもなく関わってきた沖縄のことが、このように出会う、宿命。

おそらく今までで一番多く溢れる情報を相手に、井上ひさしさんがよく言っておられた「小説はどんなに長く書いても許されるが、戯曲はどうしても二時間半に収めなければならない」という困難が、立ち塞がった。

しんどい作業に共に立ち向かう仲間たちに、支えられた。そのありがたさ、豊かさに、これほど感謝し、教わった現場も、ない。

クジラを捕ることと演劇を作るという営為は、やはりどこか似ている。

(『くじらと見た夢』当日パンフレットより)
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