某所で、ある昔(四十年超以前)のアメリカ映画の放映を眺めていて、終盤のある台詞を聞いていて、あ、これは『四十一番の少年』だ、と思った。
私が井上ひさしさんのその小説を読んだときは、中学生だったわけだが、その頃公開されたその映画に、まさに、その小説で私が感動したその一説と、ほぼ同じ手法の、表現が出てきたのだ。私はその映画を公開当時には観られていない。
シンクロニシティ、ではない。だろう。
映画の原作はもっと昔に書かれたものだが、あの一節は、おそらく井上さんオリジナルだと思う。
私はそう確信している。
手法というか、やり方が似ている、というのも、私以外の人は、そう感じないかもしれない。
そうした事情も含めて、私の想念の中のシンクロニシティというなら、そういうことなのだろう。
しかし、茫然とした。
四十年の歳月が、ふっと、私の傍らを通り過ぎた。
そんな感想も、過ぎゆく時の波に、消されていくのだろうか。
私は、私の時代を、生きている。自分で選んで、生きている。ただそれだけのことだ。
『カムアウト』のラストの台詞が、また、それに類した言葉である。
成長していないというか。
三つ子の魂なんたら、ということか。
ただ、付け加えておくならば、
私は、『四十一番の少年』の、その部分が、とても好きだということを、井上ひさしさんに、じかにお伝えしたことがある。
ある劇場の、舞台袖だった。
かなり長い時間、井上さんと二人きりだった。
それは、私も含めたメンバーが主催する、イラク戦争に反対するイベントに、井上さんに「講演者」として、出てもらった時だ。
結果として、あの時もいったん人質になった、そして今もまたあらためて行方不明になっている安田純平くんも含めた人たちの、帰還を祝うような、会だった。
渡辺美佐子さんに、イラク戦争の戦時下に置かれたファルージャの住人のメッセージを読んでもらっていたときの、前後や、幕間だ。
そのテキストは私が再構成したものだった。
その昔、中学生当時の私は、あの小説を読んだ感想を、井上さんにじかに伝えるときが来るとは、夢にも思わなかったはずだ。
いま、また、あれから十二年経って、その頃のことを思い返している私がいる。
それもこれも、井上さんの小説、そして私が相似を感じたその映画も含めて、作品が「残っている」から、思うことができることだ。
いろいろと公共的な仕事としても、作品を「残す」「残る」ということを、あらためて考えている。
しかし、作品じたいに、力、というか、ある種の切実さがなければ、その、「残る」、ということに、私たちは出会えないでいたはずだ。
だが、ざわざわしても仕方がない。作り手であるということは、虚心坦懐に、そう思うしかないことだ。
とにかく、生きよう、生きて、発し続けよう。
私が井上ひさしさんのその小説を読んだときは、中学生だったわけだが、その頃公開されたその映画に、まさに、その小説で私が感動したその一説と、ほぼ同じ手法の、表現が出てきたのだ。私はその映画を公開当時には観られていない。
シンクロニシティ、ではない。だろう。
映画の原作はもっと昔に書かれたものだが、あの一節は、おそらく井上さんオリジナルだと思う。
私はそう確信している。
手法というか、やり方が似ている、というのも、私以外の人は、そう感じないかもしれない。
そうした事情も含めて、私の想念の中のシンクロニシティというなら、そういうことなのだろう。
しかし、茫然とした。
四十年の歳月が、ふっと、私の傍らを通り過ぎた。
そんな感想も、過ぎゆく時の波に、消されていくのだろうか。
私は、私の時代を、生きている。自分で選んで、生きている。ただそれだけのことだ。
『カムアウト』のラストの台詞が、また、それに類した言葉である。
成長していないというか。
三つ子の魂なんたら、ということか。
ただ、付け加えておくならば、
私は、『四十一番の少年』の、その部分が、とても好きだということを、井上ひさしさんに、じかにお伝えしたことがある。
ある劇場の、舞台袖だった。
かなり長い時間、井上さんと二人きりだった。
それは、私も含めたメンバーが主催する、イラク戦争に反対するイベントに、井上さんに「講演者」として、出てもらった時だ。
結果として、あの時もいったん人質になった、そして今もまたあらためて行方不明になっている安田純平くんも含めた人たちの、帰還を祝うような、会だった。
渡辺美佐子さんに、イラク戦争の戦時下に置かれたファルージャの住人のメッセージを読んでもらっていたときの、前後や、幕間だ。
そのテキストは私が再構成したものだった。
その昔、中学生当時の私は、あの小説を読んだ感想を、井上さんにじかに伝えるときが来るとは、夢にも思わなかったはずだ。
いま、また、あれから十二年経って、その頃のことを思い返している私がいる。
それもこれも、井上さんの小説、そして私が相似を感じたその映画も含めて、作品が「残っている」から、思うことができることだ。
いろいろと公共的な仕事としても、作品を「残す」「残る」ということを、あらためて考えている。
しかし、作品じたいに、力、というか、ある種の切実さがなければ、その、「残る」、ということに、私たちは出会えないでいたはずだ。
だが、ざわざわしても仕方がない。作り手であるということは、虚心坦懐に、そう思うしかないことだ。
とにかく、生きよう、生きて、発し続けよう。