『ゴンドララドンゴ』本日二時の回が、千秋楽です。増席、当日券出せます。
写真は、撮影の姫田蘭さんが作ってくれた「おふざけ、勝手に宣伝バナー!」。この写真、文字以外の加工はしていない。演劇関係者ならとくに、唖然とするだろう。いったいどうやったらこんな遠近の写真が撮れるんだ? 劇場に来るとその謎は解けます。昨日も美術のじょん万次郎への絶賛の声が(こんなとするなんて呆れたぞ!でもあるのだろうけれど)。
高江に後ろ髪引かれながら、ずっと東京にいた。芝居自体、いろいろ微調整も必要だったし、アフタートークも予定されていた。
打ち合わせも幾つかあった。出版関係がいろいろある。原稿もあり、予定されている三つの取材旅行や秋のイベントの内容を詰めたり、もあった。
ここに来て歯医者に行かなくてはならなくなったり、けっこう睡眠時間もとれず、であった。
もちろん観に来てくれたお客さんともお話ししたい。時間は有限、なかなか思うようにならないものである。
都知事選に関しては、唖然とすることが多かった。日本という国が悪くなっていることに気づいていない、あるいは悪くなっているといってもまだまだたいしたことがないと思っている人が多いということに驚かされた。この国は世界の孤児である。都知事選は廃都の人身御供選びであるのかもしれない。いや、犠牲にさせられているのは都民であり国民だが。
投票には行った。
これから劇場に入る。
以下、アップし忘れていた。
東京都知事選にまつわる「公開質問」で、〈東京都の芸術文化振興における「表現の自由」〉というのがあったらしい。回答なしの候補が多い中、鳥越氏からは次のような回答だったという。
本条例に違反し、文化芸術活動の内容に介入・干渉したとする事実またはそのようなおそれがある事実が確認された場合、事実関係を調査し「制作現場からの救済の申し立てに対応する委員会」を設置するなど、貴殿は具体的にどのような施策または対応を採るのかをご記述ください。
回答:都は、東京都文化振興条例を策定するにあたって、行政が直接、都民の文化芸術活動に対して価値判断を加えない、一定の方向に誘導したり、統制しないとの基本姿勢を明文化したと聞いています。都の基本姿勢を堅持して、「住んでよし」の東京を実現します。
仮に都が文化芸術活動の内容に介入・干渉しなければならない例外が生じる場合があるとして、それはどのような場合に限定されるかをご記述ください。また、都が関与する企画や展示等において、都の文化振興を担う行政官、都立文化施設を指定管理する法人および各文化施設の管理職に配属されている都ないし市区町村の職員らの裁量は広く認められると考えますか。それとも、上記東京都文化振興条例の基本原則に鑑み、その裁量は狭いと考えますか。
回答:公的資金が用いられた、公的施設で行われる企画・展示であるならば、法令遵守(コンプライアンス)の視点が問われ、資金を拠出しているゆえの責任があると考えます。しかしながら、東京都文化振興条例の基本原則である、「都民が文化の担い手であり、その自主性と創造性を最大限尊重すること」と「文化の内容に介入し、または干渉することのないよう十分留意すること」を堅持するため、個々の活動を十分慎重に見ていく必要があります。
相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者19人が刺殺された事件について、鳥越氏はTwitterで「相模原で大変な事件が起こってしまった。亡くなられた方にお悔やみを、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げる。事件の背景はまだ分からないが、自分と異質なものを排除しようという社会の空気と共通するものを感じるし、恐ろしいと思う。」と述べている。まずは被害を受けた方々の痛みを思い、悼むべきだと私も思う、そして、この事件とその扱われかたじたいに、辛い思いをさせられている方々がいることを。
ともあれ、劇場でお待ちしています。『ゴンドララドンゴ』本日限り。お見逃しなく。
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〈パンフレットの坂手洋二あいさつ〉
タルコフスキーの映画『ノスタルジア』に、温泉地の、蒸気が漂う岩場で、ある場所の端から端までローソクを持って渡りきるという無意味な行為を達成することで「世界を救うことができる」と主人公が信じ、それを試みる場面があった。
たかだか個人が自分の気まぐれな所業で「世界を救うことができる」と信じるのは傲慢だし、また、それはある意味無責任な「狂気」である。
私たちは、自分一人の一つの選択や判断で世界が大きく影響されることなどないと知っているし、ふだんからそう思っている。
現実に「自分一人が選挙に行かなくたって、結果は変わらない」と思う人たちが多くいる所以である。しかし、投票という行為そのものは事実として「一票」をカウントさせることができる。数字が一つ付け加わる。世界に影響を確実に与えている。
世界との繋がりを感じ、確かめるために投票に行く、という考え方だってあっていい。自分一人の「1」という単位の行為の結果、ごくごく僅かだとしても、現象としての世界は変わるのだ。
「この世界はどうして存在するのか」と、ふと感じる瞬間は、誰でも持っているはずだ。未来と過去と、まさにこの空間があること、そしてそれを自分の身が感受できているという、現実。
表現という行為の中で、そうした感覚と「数字を一つ増やす」というような客観事実が繋がり得ることを、私たちはどこかで信じている。
自分の命と引換えに何かができる、という考え方がある。その人は命と引換えに何ごとかをするのだから、ある意味、怖い物知らずで、無責任である。まわりの者たちは、迷惑である。
自分の命と引換えに「世界を救う」という考え方は、狂気である。「数字を一つ増やす」客観性への信頼を、拒否しているともいえる。
だが、産まれたばかりの赤ん坊にとっては、おのれの感覚じたいが、世界そのものだ。赤ん坊が泣くとき、かれは、全世界の求めに応じて、泣いているのだ。
やがて私たちは成長し、自己と他者の違いを発見し、言葉を獲得し、世界の枠組みを認識し、赤ん坊時代とは逆に、自分は一人ぶんの「1」でしかないことを受け入れていく。
演劇とは、表現行為とは、そうした客観を揺り動かして、決して赤ん坊に戻ることはできない私たちが、大人になってしまった身心と身につけてしまった論理を解いて、あらためて世界を受容する、どのようなものになるかわからないその感覚と出会い直すための「機能」を持っているのではないかと思う。
そのために私たちの存在を舞台上に差し出すくらいのことは、できるはずだ。
命と引換えにというようなことには、考えも及ばないが。
今回、「どういうきっかけでこの劇を作ることになったのですか」と問われて、答えるのが難しかった。もちろん劇の中身については企画書やチラシ等の宣材にも書いてある。助成金を貰うための書類にも内容は記した。
だが、実際にはこの劇の創作は、自分たち自身の、そして33年続いている劇団生活じたいの、「潜在意識」に潜り込み、浮上してくる何かを取り出すような過程を経てきたのではないか。と、今になっては思う。そのための触媒として、この極めて単純な物語が浮上してきたということだろう。
お楽しみいただければ幸いです。
(『ゴンドララドンゴ』当日上演パンフレットより)
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朝日新聞記事
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12460449.html?rm=150
毎日新聞記事
http://mainichi.jp/articles/20160707/dde/012/200/042000c
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ゴンドララドンゴ
“Go-n-do-la, La-do-n-go”
作・演出○坂手洋二
7月16日(土)~ 31日(日)
下北沢ザ・スズナリ
1980年代末、東京。ゴンドラやブランコに乗って、ビルのガラス清掃、外壁補修等、高所作業を業務の中心とする会社があった。全員が同じ時給、出勤は自己申告、「原始共産制」を標榜する自由な気風の中、社員の半数は俳優や音楽・美術等のアーティストだった。仕事のこと、未来のこと、さまざまな問題でぶつかり、通じ合う仲間たち。「昭和」「バブル」の終焉を経て、彼ら、そして家族たちは、さまざまな選択をしてゆく。
そして現在。私は、幼い頃、横書きされていた「ゴンドラ」という文字列を逆に読んだ記憶を頼りに、思いがけず、父たちの時代と出会い直すことになった。
日本社会は、どのような経緯をたどって現在の状態にあるのか。それを1990年前後の「バブル」の時期、そしてそれが変容していく象徴的な社会事件の多かった「95年」前後、そうした時期を舞台に描き出します。
川中健次郎
猪熊恒和
大西孝洋
杉山英之
武山尚史
山村秀勝
尾崎太郎
都築香弥子
中山マリ
樋尾麻衣子
百花亜希
田中結佳
宗像祥子
秋定史枝
大浦恵実
円城寺あや
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○森下紀彦
美術○じょん万次郎
衣裳○小林巨和
アクション指導○佐藤正行
振付○矢内原美邦
演出助手○村野玲子
文芸助手○清水弥生 久保志乃ぶ
美術助手○ 鈴木菜子
小道具応援○鴨川てんし
宣伝意匠○高崎勝也
写真・映像○姫田蘭
協力○オフィス・ミヤモト さんらん DULL-COLORED POP
制作インターン○寺島久美子(オイスターズ)
制作○古元道広 近藤順子
日曜は14:00開演
受付開始○開演の40分前 開場○開演の20分前
開演直前・直後は(一時的に)ご入場を制限させて頂く場合がございます。
未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【全席指定】
一般前売3,600円 ペア前売6,600円 当日4,000円
大学・専門学校生&U-25(25歳以下)2,500円
高校生以下1,500円
※学生、U-25は、前日までに電話またはメールでご予約の上、当日受付にて要証明書提示。
前売開始○6月19日(日) 11:00
★燐光群オンラインチケット(一般・ペア前売のみ)
http://rinkogun.com
24時間いつでもホームページ上でご予約頂き、セブンイレブンでチケットをお受け取り頂けます。
お支払いは現金(セブンイレブン)、またはクレジットカードとなります(手数料はお客様負担)。
※会員登録(無料)が必要です。
★ご予約・お問合せ○燐光群/(有)グッドフェローズ
03-3426-6294 ticket-rinkogun@ee.alles.or.jp
①<お名前/電話番号/希望日時/チケットの種類と枚数>をお伝え下さい。
こちらからのお返事を以てご予約とさせて頂きます。
②当日、開演の15分前までに受付にお越し下さい。代金と引換でチケットを
お渡しします。
開演の10分前までにご精算頂けない場合は、あらかじめご用意したお席にご案内できない場合がございます。
※キャンセル・日時変更はできません。
主催○有限会社グッドフェローズ
http://rinkogun.com/gondola_ladongo.html
写真は、撮影の姫田蘭さんが作ってくれた「おふざけ、勝手に宣伝バナー!」。この写真、文字以外の加工はしていない。演劇関係者ならとくに、唖然とするだろう。いったいどうやったらこんな遠近の写真が撮れるんだ? 劇場に来るとその謎は解けます。昨日も美術のじょん万次郎への絶賛の声が(こんなとするなんて呆れたぞ!でもあるのだろうけれど)。
高江に後ろ髪引かれながら、ずっと東京にいた。芝居自体、いろいろ微調整も必要だったし、アフタートークも予定されていた。
打ち合わせも幾つかあった。出版関係がいろいろある。原稿もあり、予定されている三つの取材旅行や秋のイベントの内容を詰めたり、もあった。
ここに来て歯医者に行かなくてはならなくなったり、けっこう睡眠時間もとれず、であった。
もちろん観に来てくれたお客さんともお話ししたい。時間は有限、なかなか思うようにならないものである。
都知事選に関しては、唖然とすることが多かった。日本という国が悪くなっていることに気づいていない、あるいは悪くなっているといってもまだまだたいしたことがないと思っている人が多いということに驚かされた。この国は世界の孤児である。都知事選は廃都の人身御供選びであるのかもしれない。いや、犠牲にさせられているのは都民であり国民だが。
投票には行った。
これから劇場に入る。
以下、アップし忘れていた。
東京都知事選にまつわる「公開質問」で、〈東京都の芸術文化振興における「表現の自由」〉というのがあったらしい。回答なしの候補が多い中、鳥越氏からは次のような回答だったという。
本条例に違反し、文化芸術活動の内容に介入・干渉したとする事実またはそのようなおそれがある事実が確認された場合、事実関係を調査し「制作現場からの救済の申し立てに対応する委員会」を設置するなど、貴殿は具体的にどのような施策または対応を採るのかをご記述ください。
回答:都は、東京都文化振興条例を策定するにあたって、行政が直接、都民の文化芸術活動に対して価値判断を加えない、一定の方向に誘導したり、統制しないとの基本姿勢を明文化したと聞いています。都の基本姿勢を堅持して、「住んでよし」の東京を実現します。
仮に都が文化芸術活動の内容に介入・干渉しなければならない例外が生じる場合があるとして、それはどのような場合に限定されるかをご記述ください。また、都が関与する企画や展示等において、都の文化振興を担う行政官、都立文化施設を指定管理する法人および各文化施設の管理職に配属されている都ないし市区町村の職員らの裁量は広く認められると考えますか。それとも、上記東京都文化振興条例の基本原則に鑑み、その裁量は狭いと考えますか。
回答:公的資金が用いられた、公的施設で行われる企画・展示であるならば、法令遵守(コンプライアンス)の視点が問われ、資金を拠出しているゆえの責任があると考えます。しかしながら、東京都文化振興条例の基本原則である、「都民が文化の担い手であり、その自主性と創造性を最大限尊重すること」と「文化の内容に介入し、または干渉することのないよう十分留意すること」を堅持するため、個々の活動を十分慎重に見ていく必要があります。
相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者19人が刺殺された事件について、鳥越氏はTwitterで「相模原で大変な事件が起こってしまった。亡くなられた方にお悔やみを、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げる。事件の背景はまだ分からないが、自分と異質なものを排除しようという社会の空気と共通するものを感じるし、恐ろしいと思う。」と述べている。まずは被害を受けた方々の痛みを思い、悼むべきだと私も思う、そして、この事件とその扱われかたじたいに、辛い思いをさせられている方々がいることを。
ともあれ、劇場でお待ちしています。『ゴンドララドンゴ』本日限り。お見逃しなく。
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〈パンフレットの坂手洋二あいさつ〉
タルコフスキーの映画『ノスタルジア』に、温泉地の、蒸気が漂う岩場で、ある場所の端から端までローソクを持って渡りきるという無意味な行為を達成することで「世界を救うことができる」と主人公が信じ、それを試みる場面があった。
たかだか個人が自分の気まぐれな所業で「世界を救うことができる」と信じるのは傲慢だし、また、それはある意味無責任な「狂気」である。
私たちは、自分一人の一つの選択や判断で世界が大きく影響されることなどないと知っているし、ふだんからそう思っている。
現実に「自分一人が選挙に行かなくたって、結果は変わらない」と思う人たちが多くいる所以である。しかし、投票という行為そのものは事実として「一票」をカウントさせることができる。数字が一つ付け加わる。世界に影響を確実に与えている。
世界との繋がりを感じ、確かめるために投票に行く、という考え方だってあっていい。自分一人の「1」という単位の行為の結果、ごくごく僅かだとしても、現象としての世界は変わるのだ。
「この世界はどうして存在するのか」と、ふと感じる瞬間は、誰でも持っているはずだ。未来と過去と、まさにこの空間があること、そしてそれを自分の身が感受できているという、現実。
表現という行為の中で、そうした感覚と「数字を一つ増やす」というような客観事実が繋がり得ることを、私たちはどこかで信じている。
自分の命と引換えに何かができる、という考え方がある。その人は命と引換えに何ごとかをするのだから、ある意味、怖い物知らずで、無責任である。まわりの者たちは、迷惑である。
自分の命と引換えに「世界を救う」という考え方は、狂気である。「数字を一つ増やす」客観性への信頼を、拒否しているともいえる。
だが、産まれたばかりの赤ん坊にとっては、おのれの感覚じたいが、世界そのものだ。赤ん坊が泣くとき、かれは、全世界の求めに応じて、泣いているのだ。
やがて私たちは成長し、自己と他者の違いを発見し、言葉を獲得し、世界の枠組みを認識し、赤ん坊時代とは逆に、自分は一人ぶんの「1」でしかないことを受け入れていく。
演劇とは、表現行為とは、そうした客観を揺り動かして、決して赤ん坊に戻ることはできない私たちが、大人になってしまった身心と身につけてしまった論理を解いて、あらためて世界を受容する、どのようなものになるかわからないその感覚と出会い直すための「機能」を持っているのではないかと思う。
そのために私たちの存在を舞台上に差し出すくらいのことは、できるはずだ。
命と引換えにというようなことには、考えも及ばないが。
今回、「どういうきっかけでこの劇を作ることになったのですか」と問われて、答えるのが難しかった。もちろん劇の中身については企画書やチラシ等の宣材にも書いてある。助成金を貰うための書類にも内容は記した。
だが、実際にはこの劇の創作は、自分たち自身の、そして33年続いている劇団生活じたいの、「潜在意識」に潜り込み、浮上してくる何かを取り出すような過程を経てきたのではないか。と、今になっては思う。そのための触媒として、この極めて単純な物語が浮上してきたということだろう。
お楽しみいただければ幸いです。
(『ゴンドララドンゴ』当日上演パンフレットより)
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朝日新聞記事
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12460449.html?rm=150
毎日新聞記事
http://mainichi.jp/articles/20160707/dde/012/200/042000c
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ゴンドララドンゴ
“Go-n-do-la, La-do-n-go”
作・演出○坂手洋二
7月16日(土)~ 31日(日)
下北沢ザ・スズナリ
1980年代末、東京。ゴンドラやブランコに乗って、ビルのガラス清掃、外壁補修等、高所作業を業務の中心とする会社があった。全員が同じ時給、出勤は自己申告、「原始共産制」を標榜する自由な気風の中、社員の半数は俳優や音楽・美術等のアーティストだった。仕事のこと、未来のこと、さまざまな問題でぶつかり、通じ合う仲間たち。「昭和」「バブル」の終焉を経て、彼ら、そして家族たちは、さまざまな選択をしてゆく。
そして現在。私は、幼い頃、横書きされていた「ゴンドラ」という文字列を逆に読んだ記憶を頼りに、思いがけず、父たちの時代と出会い直すことになった。
日本社会は、どのような経緯をたどって現在の状態にあるのか。それを1990年前後の「バブル」の時期、そしてそれが変容していく象徴的な社会事件の多かった「95年」前後、そうした時期を舞台に描き出します。
川中健次郎
猪熊恒和
大西孝洋
杉山英之
武山尚史
山村秀勝
尾崎太郎
都築香弥子
中山マリ
樋尾麻衣子
百花亜希
田中結佳
宗像祥子
秋定史枝
大浦恵実
円城寺あや
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○森下紀彦
美術○じょん万次郎
衣裳○小林巨和
アクション指導○佐藤正行
振付○矢内原美邦
演出助手○村野玲子
文芸助手○清水弥生 久保志乃ぶ
美術助手○ 鈴木菜子
小道具応援○鴨川てんし
宣伝意匠○高崎勝也
写真・映像○姫田蘭
協力○オフィス・ミヤモト さんらん DULL-COLORED POP
制作インターン○寺島久美子(オイスターズ)
制作○古元道広 近藤順子
日曜は14:00開演
受付開始○開演の40分前 開場○開演の20分前
開演直前・直後は(一時的に)ご入場を制限させて頂く場合がございます。
未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【全席指定】
一般前売3,600円 ペア前売6,600円 当日4,000円
大学・専門学校生&U-25(25歳以下)2,500円
高校生以下1,500円
※学生、U-25は、前日までに電話またはメールでご予約の上、当日受付にて要証明書提示。
前売開始○6月19日(日) 11:00
★燐光群オンラインチケット(一般・ペア前売のみ)
http://rinkogun.com
24時間いつでもホームページ上でご予約頂き、セブンイレブンでチケットをお受け取り頂けます。
お支払いは現金(セブンイレブン)、またはクレジットカードとなります(手数料はお客様負担)。
※会員登録(無料)が必要です。
★ご予約・お問合せ○燐光群/(有)グッドフェローズ
03-3426-6294 ticket-rinkogun@ee.alles.or.jp
①<お名前/電話番号/希望日時/チケットの種類と枚数>をお伝え下さい。
こちらからのお返事を以てご予約とさせて頂きます。
②当日、開演の15分前までに受付にお越し下さい。代金と引換でチケットを
お渡しします。
開演の10分前までにご精算頂けない場合は、あらかじめご用意したお席にご案内できない場合がございます。
※キャンセル・日時変更はできません。
主催○有限会社グッドフェローズ
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