ご報告
燐光群が2021年に上演した『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』の台本執筆にあたり、坂手洋二が、片山夏子氏の著書『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版)を事前に片山氏の了解を得ないまま利用し、本劇を上演した件について、坂手洋二は、本年10月13日に「お詫び」と題する文を公表し、その後も片山氏と協議を続けてきましたが、本年12月26日、坂手洋二と片山夏子氏、中日新聞(東京本社)の三者は合意書を締結しました。これにより、本件が解決されたことをご報告します。あらためて、片山氏はじめ、関係者の皆様に、ご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。
2022年12月28日
燐光群主宰 坂手洋二
今朝の強風の影響で、職場の落ち葉かきをしていた方が、越冬中のキイロテントウを発見!
かわいくてほっこり、と、写真をいただきました。
自然界からのクリスマスプレゼントでしょうか。お裾分け。
そう思ったら、写真は伊丹市昆虫館の Webにも登場。同館は、年明けからは「むしのうんこ展」がはじまるそうです!
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https://twitter.com/itakon25/status/1606509992454295552?s=49&t=gpI8dtc3zP5jo1tZ1je6cg
政府は原発の運転期間の60年以上の延長や次世代原発の新増設などを盛り込んだ「GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本方針案」を、正式に決定したという。
原発を「最大限活用する」という、二つの政策転換。
一つは原発の新規建設。「次世代革新炉」? 改良型の原発?
もう一つは、原発の運転期間の延長。原発事故後に定められた最長60年とする原発の運転期間について、規制委員会の審査などで停止した期間を運転期間から除外してその分延長する。原発事故の教訓をもとに原則40年、最長20年延長できると定めたルールを変え、審査期間や、運転差し止めの司法判断などで停止した期間を運転期間から除くという。仮に10年間停止した場合、運転開始から70年まで運転できるようになるらしい。
原発の寿命が延びてゆく。
規制委が安全性を審査して認可してきたのを、今後は経産省が「利用政策」の観点から審査するという。何もかも経済優先ということか。
政府は、この基本方針を年明けに閣議決定したうえで、来年の通常国会に関連法案を提出する方針だという。
何もかも閣議決定で決めていいなら国会は要らないじゃないか。
写真は、福島第一原発近くの地割れによる地表の「ずれ」。昨年夏に撮影。
小中和哉監督の新作『Single8』を観る。
いやあ、この映画に描かれている1978年に、私も初めての8ミリ映画を撮ったのである。
なんとも懐かしく、優しい映画である。
しかし小中監督のような映画フリークではなかったので、「8ミリ映画でもこんなことができるんだ」の連打に、唸ることしきり。やはりこういう人が映画監督になるのですね。必然として。
いずれどこかで感想を書くことになりそうです。
久しぶりに横浜へ。
YPAMディレクションのファイブアーツセンター 『仮構の歴史』を観る。
『仮構の歴史』は実にエキサイティングだった。三人の演者自身も含めたスタッフワークは、テクノロジーを実に見事に軽々と駆使して、鮮やかである。チョーク描きなどローテクの部分もとても洗練されている。出演者は自分自身のことを語ってもいて、半ドキュメンタリーであることが、抑制の効いた中で、確実に伝わる。とくにファーミ・レザの佇まいが素敵だ。
マーク・テとファーミ・レザが追いかけていることは、じつは私自身の抱えている一つのテーマとも重なる。『火の起源』『帰還』『たった一人の戦争』等と、共通するところ大なのである。そういう辺りは、またあらためて。
初めてマレーシアのファイブアーツセンターへ行ったのは、もう四半世紀前だと思う。
クリシェン・ジット氏がまだご存命で、数年後に〈ランドマイン・プロジェクト〉計画などで関係が継続するが、お亡くなりになり、私はその後マレーシアには一度ワークショップのために行っただけだ。
ファイブアーツセンター界隈では、ただ若い人に代わったというのではない、確実で丁寧な世代交代が行われている。
受け継がれているし、前世代の人たちと、一緒にいるのだ。
写真はYPAMのWebからお借りしました。概要は以下の通り。
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『仮構の歴史』は、多民族国家マレーシアでジャンル、世代、言語、人種の垣根を超えて活動するコレクティブ、ファイブアーツセンターの最新作の一つであり、2015年の国際共同製作『バリン』のスピンオフでもあります。『バリン』で演劇的に再現された1955年の「バリン会談」は、マラヤ非常事態を終結させるため、その「事態」を「反英民族解放戦争」と呼び武装闘争を展開していたマラヤ共産党の武装解除を目指す会議でした。『仮構の歴史』は、21世紀になっても亡命先のタイ南部のジャングルに暮らす元党員たちのインタビュー映像をもとに、主流の歴史観におけるマラヤ共産党と「暴力」の位置づけ、そして2018年に起こった同国史上初の政権交代に伴う歴史教科書の改訂を考察する作品です。TPAM2019でワークインプログレスとして上演され、コロナ禍による宙吊りを経て国際ツアーを再開したこの作品の完成版を今回上演、関連トークも実施します。
西村博子さんの訃報。
彼女が新宿に作った劇場・タイニイアリスを、最初に借りたのは私たちである(劇場のオープニング演目以外でということ)。まだスケルトン状態だった準備中だった劇場の場所に行って、エアコンを必ず入れてくださいと頼んだのを覚えている。上演が夏だったからだ。オールナイトで上映会もやらせてもらった。八十年代。際限なくいろいろな記憶が押し寄せる。九十年代からも、アジアを中心に国際合作や招聘講演を盛んに行われていて、海外から来る多くの人たちがタイニイアリスの名を知っていた。
昨年には西村さんの元気な声を聞いたが、ご病気だったのだ。あれだけ元気な声を聞けば、こんなことになるとは思わない。
コロナ禍下の葬送のスピード化のためか、昨日お亡くなりになって、もう火葬が終わったという。
残念である。
というか、思いが尽きない。
タイニイアリスは、燐光群が、旗揚げ公演をした劇場なのだ。
西村さん、どうぞ安らかに。
心から感謝しています。
三田の慶大前から東京タワーが見える。それがずいぶん近いことはわかっていたが、歩いてみるとほんとうに近かった。そしてそのまま六本木まで歩く。
慶大生が六本木によく行くという話は聞いていたし、実際に近いから行くのだというのは理屈としてはわかっていたが、私は昔にも三田から六本木に行った経験がないのである。
六本木界隈は平日昼でも人は多い。ノーマスクの人もちらほら。コロナ禍は続いているはずだが。
神田川は ここから始まったという「お茶の水」。
井の頭公園には何度も来ているが、そういう由来の場所とかには、詳しくないのだった。
始まりがあれば、終わりがある。
この日は川沿いに歩いたが、永福町までにしておいた。
ウォーキング中、キツネ型の狛犬の神社を発見。
あれ、考えてみたら「キツネ型の狛犬」は、1989年に書いた『カムアウト』の中にも登場している。
来春、杉並・井の頭沿線在住四十年の私だが、ひょっとしたらここのつもりで書いたのかもしれない。
なんだかこの界隈、稲荷神社は多いのですけれどね。
ここの狛犬は、チビが二匹ひっついているのが特徴。
某所のエレベーター内のボタン。
なぜか「しまる」よりも「ひらく」が大きい。倍くらいの大きさ?
うっかり「ひらく」を押してしまった。そりゃも閉まらないわけだ。
大きければ押すだろう、という理屈はないはずなのだが。
とにかく。
「ひらく」が推奨されている。
「ひらく」がお薦め。
世界は「ひらく」に向かっている。
ということらしい。