オペラ『神々の国の首都』 初日まであと八日。
写真は、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(髙野うるお)と、彼が教える松江一中の学生で級長の横木富三郎(泉篤史)。撮影・長澤直子。
ハーンと生徒の交流は、楽しい場面である。
3/9(土)、11(月)、14(木)は完売。余裕のある回は、3/13(水)14時の回、17日(日)。
公演情報
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オペラシアターこんにゃく座公演
オペラ『神々の国の首都』 初日まであと八日。
写真は、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(髙野うるお)と、彼が教える松江一中の学生で級長の横木富三郎(泉篤史)。撮影・長澤直子。
ハーンと生徒の交流は、楽しい場面である。
3/9(土)、11(月)、14(木)は完売。余裕のある回は、3/13(水)14時の回、17日(日)。
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三上智恵監督のドキュメンタリー最新作 映画 『戦雲 ーいくさふむー 』は今月頭に観ました。
あらためていろいろと考えさせられ、南西諸島の自衛隊配備については私自身も心穏やかではなかった、この8年を、思った。
三上監督には、「本当に、お疲れ様でした」とお伝えした。
まあ、平常心では見られない。胸がいっぱいになる。 知るべきことを伝える、大切な映画になっていると思う。
離島としては、与那国島、奄美大島、宮古島に続き、陸上自衛隊が配備されてしまった。
石垣駐屯地は、昨年3月、県内最高峰・於茂登岳(525・5メートル)の南側連山ふもとに開設されてしまった。
環境アセスはきちんと行われていないし、有権者の4割が求めた住民投票も、未実施である。
石垣駐屯地は警備、中距離地対空ミサイル(中SAM)、地対艦ミサイル(SSM)などの部隊で構成される。
ハードな日々が続いているが、ある日の移動中、ひょんなことで昼時に登戸で30分くらいの余裕が出て、駅から最短というか、歩いて三十秒のラーメン屋に、寄った。
なんと、メニューに「のどぐろラーメン」がある。
他に「蟹ラーメン」なんかもメニューにあったが、金沢大好きの私としては、「のどぐろ」をいただくしかないと思った。
⋯⋯癒やしの味であった。
チャーシューは大げさに載っていたが、その傍らに、小さな「のどぐろ」が載っていた。
スープがおいしくて、かなり飲んでしまった。
麺も悪くなかったが、替え玉の誘惑には、かろうじて、耐えた。
水等はセルフサービスで、合理化して価格を抑えているのは、良いことだと思った、というのは、どのみちラーメンができるのを待っている間に水を注ぐことなど、何でもないことだからである。
ところで、私がラーメンの写真を載せたりするのは、滅多にラーメンをいただかないために、珍しくて挙げるのであり、私は決してラーメンマンではないのである。
こんにゃく座オペラ『神々の国の首都』初日まで、あと、十日。
公演情報
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https://www.konnyakuza.com/produce/?fbclid=IwAR1GcfZZ3y-lZvWbty4BUWAjznvAgtpbXm2Uox6fM8gCkEg3O2pnPVL77FY
ルネ・ポレシュの訃報に茫然とする。
ドイツで、タールハイマー、マルターラーと並んで、大好きな演出家だ。私と同い年なのだ。死因はまだわからない。
ルネ・ポレシュは、2000年ハンブルク、シャウシュピールハウスのレジデントとなり、現在シャウシュピールハウス専属の原サチコさんとの共働作品も多い。
01年からはベルリン・フォルクスビューネ(直訳すれば「民衆舞台」の国立劇場)の付属施設で別な場所にある「プラーター劇場」(「プラーター」は遊園地だから遊園地の中にあるという意味、当時の栗山民也芸術監督が新国立劇場で「The Pit」の企画を出した際はこの「プラーター」をイメージしていたというのは有名な話だ)の芸術監督を務め、次々に話題作を提供。私もベルリンに行けば必ず彼の作品を観ていた。06年ミュールハイム劇作家賞を受賞した『CAPUCETTO ROSSO』は傑作だった。
06年には来日して、tptで「皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと」を上演。木内みどり、中川安奈、池田有希子、長谷川博己の四人の出演者のうち、木内みどりさん、中川安奈さんのお二人も亡くなられている。そのこともとても寂しい。
写真は一年前にフォルクスビューネで観たルネの作品『Und jetzt ?』 終演後。マルティン・ブトケが大活躍する好舞台で、得意とする小劇場プラータから大劇場を自由に操る方向が成功をおさめた作品だった。
シアトルの伯父さんが亡くなられた。
またおめにかかりたかった。
シアトルのご家族は、大家族である。
お墓もシアトルに、既に作っていた。
アメリカで買った方が安いから、と、突発的にアメリカ製サプリメントを送ってくださったりすることもあった。
ふだんはサプリメント的な物は服用しないでいるのだが、写真のものは、最近、たまたま呑むことにして、呑み始めていた。
私の結婚式に出席してくれた。はるか昔のことである。
館山「くじら弁当」の中身の写真を件の知人からいただく。
これが「くじら弁当」。
生姜焼き、いりタマゴ、クジラそぼろ、ということのようだ。
1200円なのか。
うーむ。
いつか千葉クジラ探訪の旅に出ることにしよう。
ツチクジラが獲れるのは九月からのはずだ。
田渕久美子さんの『ヘルンとセツ』(NHK出版)を借りて読む。こんにゃく座稽古場で皆が回し読みしているのである。読みたい人が多いだろうから早く戻すために一晩で読む。
『神々の国の首都』同様に、松江時代を中心に、ラフカディオ・ハーンと、女中から妻となる小泉セツの二人を主人公にした、小説というか、過去文献をもとにしたルポルタージュのような、作品。プロのシナリオライターの手による、とても読みやすい作品。田渕さんは大河ドラマを二度書いているから、ハーンが大河ドラマの主人公になる日も、いつか来るのかもしれない。
『神々の国の首都』と重なるところは多い。参考文献も重なっているかと思ったら、巻末を見ると五つ六つくらいだ。彼女の方が最近の論考を元にしている。私が書いたのは三〇年以上前なのだ。「最近の論考」も「孫引き」だったりすることが多いのが、当然ながら歴史物にはありがちなこと。過去は変えられない。それでも曾孫の小泉凡さんに最近うかがった話では、新たな史実の発見は今でもあるみたいで、たとえば、最近は、ハーンの片目失明の原因が「ジャインアントストライド」ではなく「クリケット」だという説が浮上していて有力なのだそうだ。
田渕さんは小説も書く人だ。シナリオと小説と、それぞれ、どちらが読みやすいとか読みにくいとか比べて言われるが、それはもう作品次第でしかないのだと思う。
彼女も私も二十歳そこそこの頃にシナリオ作協の講座に通っていた。
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オペラシアターこんにゃく座公演
一年前に、第73回ベルリン映画祭で観た映画の一本が、『Here』。
ベルギーの新鋭バス・ドゥボス監督による。
植物学者の中国系ベルギー人女性とルーマニアからの移民労働者の男性の、ゆったりとした、親密な関係を描いてゆく。
同映画祭の〈エンカウンターズ部門〉で最優秀作品賞&国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)を受賞。たぶん賞を取るだろうと思ったら、見込み通りだった。
淡々としているけれど問題意識は濃い。
やっと日本公開されているのだが、評価は高いようで、嬉しい。
自分の現場が夜が器楽稽古になったので、名取事務所さんの新作を急遽見せていただく。
『509号室』。
韓国演劇の新たなひろがり。
緊密で清潔。俳優間の距離感が適確。この端正さが内容の怖さを引き立てる。
異次元の時間軸が交叉する劇やステージングに関心のある方は、ぜひぜひ御覧ください。
25日まで、下北沢 B1。
森尾舞、鬼頭典子、出ずっぱり。
ちょうど一年前のきょう、ベルリン映画祭開催中のベルリンにいたのだ。
ショーン・ペン監督のウクライナ戦争についてのしょーもないドキュメンタリーも観てしまったのを思い出す。
ドキュメンタリーとしては『ナワリヌイ』の方が千倍、いい。
それにしても、一年経つのが早すぎる。
下北沢へ井の頭通りを通って行き来する際、井の頭通りの代田橋辺りでいつも通るのが、東京都水道局の和田堀給水所わき。
「歩道のないガードレール」がある。
かろうじて自転車が通る場所は確保されている。
しかし、写真を見ていただければわかるように、「ガードレール」の外、和田堀給水所のフェンスとの間は、柱が幾つも立っていたり細くなっていたりして、歩行者が移動することは困難である。「ガードレール」の内側の車道端のほうは、自転車用のレーンで、私は歩行の時はそこを通ることもあるが、もともと車道は狭いので、ご高齢の方や子どもが歩いて通るときは危険かもしれない。
というわけで、なんのための「ガードレール」なのか、いつも謎なのである。
世田谷区の管轄なのか、都の管轄なのか、知らないが。
事故とかがなければいいのだが。まあ、謎なので挙げてみた。それだけである。
映画 『ナワリヌイ』。
昨年アメリカで、部分的に観ていたが、あらためて、全篇を観た。
Amazon Prime で、観られる。
アメリカで、部分的に観たときは、なんだか劇映画みたいだなと思ったが、今回も同じ感想。音楽のことや、作り方全般か。
政策論争とか、意見の相違をどう考えるかとかではなくて、誰かが誰かを潰そうとする、その現実だけがある。しかもその潰す側が、圧倒的な権力である。潰される側は、その権力も含めた「自分たちの世界」を信じている。だから受けて立とうとして、逆にそこをつけ込まれて、潰される。あまりにも理不尽である。その現実が迫ってくる。これは誰にでも起こり得ることである。
ナワリヌイ氏の死に衝撃を受ける。
不正義が行われていることは明白なのに、何もできないことに、苛立つ。
ナワリヌイ氏は帰国せずロシアを離れてたたかう方法もあったはずだが、あえて自分の国に戻った。その勇気と決断に対して、このような結果が訪れたことは、理不尽である。
写真は5年前、ロシアに行ったとき。