ご町内どうしの木場勝己さんと駅でばったり、久しぶりにお話する。蜷川演出の村上春樹原作劇がもうすぐ幕開き。「冬眠まんざい」が共通の知り合いばかりなのでその話にもなる。……早い時間から稽古。下北沢での稽古は不思議だ。夜の予定が変動。まあしかたがない。土曜日であり、世間はゴールデンウィークに入っているのだが、どうにも違和感。
前夜からメールの嵐。当然すべき、今のところ自分しかできない事務処理。……必要があって朝っぱらから映画『ザ・コーブ』DVDをやっと観る。ああなるほど、リベラルなはずの内外の友人も確実にこの映画の影響を受けていたわけか。日本人の「ごまかし体質」は、確かにあるが、この映画の偏見を正当化するものではない。動物保護団体が「現地の人達にされた」ということに負けないことを彼らが現地の人達にしている事実もある。この恣意的な組み立てはドキュメンタリーだろうか。イルカの「鳴き声」に感情移入するのはいい。だがそこに勝手なストーリーを読み取ることは違う。……来日中のニューヨーク・ラ・ママ劇場のFさんと、七月に私が講師を務めるローマ郊外合宿でのエデュケーション・プログラム打合せ等、諸々の相談。……そして、『冬眠まんざい』稽古初日。四十年ぶりにこの劇で顔を合わせる、坂本長利・五大路子コンビ。中山マリもト書き読みで参加。これまでリーディングの演出に積極的ではなかった私だが、今回は成功させたい。稽古初日、緊張に対して充実が勝る幸福。……帰宅して、一息ついたら「朝まで生テレビin沖縄」始まる。なぜみんなケビン・メアに訊く? そりゃそうだ。実行力があるのは彼(=アメリカ)だけだと思われている。そして彼は「日本政府や国民の判断」を持ち出せば、会話の内容以前で勝てると思っている。誰もメアの「とんでもありませんよ」を潰せない。「過去の中途半端な対応」のせいにされてしまうと何も言えないのが日本メンタリティー。手垢のついた詭弁に対して、民意による新たな判断を言い出せない勇気のなさ。「日本国内で沖縄だけがひどい目に遭っている不公平」という矮小化された論理以外は通用させてもらえない。「対中戦略」「日本が独自の防衛論を考えていない」でまとめようとする理不尽。自分のマッチョぶりに酔う傲慢小池元防相に「改憲」まで言わせてしまった。これに関わった人達はとんでもない反動番組に手を貸したことになるぞと思ったら、社大党・糸数慶子さんがしっかり反論。やがて前泊氏、太田元知事も当たり前のことをちゃんと言ったが、田原総一朗の横暴司会でその流れは絶たれる。東恩納さんたちの反論も届かず。これはあんまりだと思ったらしい渡辺アナの泣きそうな言い訳で番組は終わる。
在日米軍再編見直しに関する共同声明騒ぎのどさくさに出された、オスプレイ沖縄前倒し七月配備計画は、どうやら本気らしい。モロッコで墜落事故を起こした直後なのに米海兵隊は調査結果を待たず配備する。検討していた本州の米軍基地での先行駐機を「受け入れ態勢などに問題がある」から断念し、普天間飛行場に直接配備だと。どんな理屈だ? 普天間が「世界で一番軍事飛行場を受け入れ難い場所」だという現実を、まったく無視している! 今回もまた、日本はアメリカの属国であると。あらためて世界に知らしめている。外務省松田副所長曰く「老朽化したCH46ヘリコプターとの機種変更。むしろCH46の方が危ない」。子供でもそんなはずあるわけないとわかる詭弁。思い浮かぶのは、沖縄の人たちの悔しさと怒りの顔々。なんともつらい。……「小沢無罪」で大騒ぎしている人たちがいる。高裁でひっくり返る可能性もある、すれすれ判決なのに。検察審査会を悪者にしようとする風潮もおかしい。「出所不明の四億円持っているやつが怪しいなら、たまたま四万円持っているやつだって逮捕されかねない」というのは言い過ぎだろうが、論理的に展開できないくせに「小沢=悪」を決めつけるマスコミも確かに問題。だが検察審査会がマスコミに盲従したと決めつけるのはおかしい。どうやらこの国は「民の正義」を信じたくないのである。もちろん、検察審査会が部分的にせよ強制力を持ったための齟齬はあるが、それがメリットよりも少ないといえるか? 法制改革の中途半端さを指摘するなら、裁判員が量刑判断をすることの困難さをこそ思うべき。……それにしても溜まっていた仕事は、溜まっていただけの理由があるのであって、とても手強い。幾層にも相手があるということもある。自分自身のことや劇団のことがついつい後回しになってしまう。なのに舞い込んでくる人々の悩みや、些細な諸々。私はあんたのおとーさんでも相談室でもないんだぞ。……私がこの「150字ブログ」(字数制限は守られていないが)を始めるさい参考にさせていただいた「120字日記」(当時は違う題名だったか?)のS氏が、FBに登場。タイムラインと相性がいいらしい。早速書き込んでいるその一瞬を追いかけて、連絡。時間制限のある貴重な情報をいただく。ツイッターをやらない身には珍しい公開情報の速度の利便性を、初めて感じる。
ペルー北岸で今年2月から4月中旬までに約880のイルカの死体が漂着していたという。「2月初旬から2カ月間、ペルー北部沖で実施された石油の試掘作業で生じた振動が原因ではないか」という環境保護団体もあるらしいが、もしそうなら震災の前後にクジラの座礁が多発したことと通じるのかもしれない。ペルー当局は「ウイルス感染の可能性が高い」と話しているというが、それはどんなウイルスなのかぜひ提示していただきたい。……日本原燃の六ケ所再処理工場に保管中の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理計画を中止し、燃料を発生元である原発に返した場合、大半の原発で燃料の収容力を超え、運転ができなくなるとの試算を、原子力委員会がまとめた。やっと正直になってきた? 原発は止まる。しかし日本じゅうが「中間貯蔵施設だらけ」になる。この状態はもう動かせない。「対策」をあれこれ言う前に、「核燃料サイクル」は成立しえないことを、国全体が認めなければならない。……目の前に台本締切を抱えていない時の私はそんなに忙しくもないに違いないと、ごく近い人間なのに勘違いされている場合があって、呆れる。溜まった事務仕事を少しずつ消化し、もちろん次作準備にもかかっている。そもそもこの一年余、台本関連のこと以外の諸々のインプットに時間を費やせなかったことじたいが、決定的にロスになっている。雑務の負担軽減に協力してもらわねばならない。……真夜中、書類とエッセイをパリへ送る。あと半月ちょっとで開幕だ。「劇場」という雰囲気を払拭する、極端なしつらえのテントで行われる上演。フランス語版の戯曲集も同時に出版される。
「真夏日」で暖かいとか言って喜んでいる愚か者たちよ。今は何月何日で、いつまで雪が降っていたんだ、この国は。地球が狂っていくのがそんなに嬉しいか。……必要があって『スマグラー』DVD観て、びっくり。私の来月パリでオープンする新作とちょっとしたシンクロニシティ。中国人の殺し屋の役名が「背骨」と「内蔵」。私の書いた二人芝居の人物名は「骨」と「肉」なのである。あー、驚いた。……パソコントラブルにこれ以上雑務をやる気も失せて、夜は劇団員の出ている某芝居初日に。うーん。まず台本段階の問題が大きすぎる。才能ある演出家のラディカルな優しさが、裏目に出てしまう。多くの俳優が、自分の役を説明しようとしているだけで、互いに関わっていないからだ。……で、どうでもいいけど、アメリカ十年目の松井、頑張れ。
そんなにたいしたことではなくても思いがけないことがどんどん起きて、いろいろ進まない。まあ仕方がないのである。天候も不安定である。……最近ようやくマスコミも核廃棄物についての言及が増えている。「大きな地震が起きない限り」というのは通用しない。ほんとうに、日本中が危険なのである。こんな状態で日常業務をこなしていることじたいが不条理だと考えるのは、正しい。だが人間はそれにも慣れてしまう、というか、そう錯覚する。
じわじわと仕事を続け、夕方にようやく終える。休みの日に家で仕事をしている人がいるのは、家族にとって負担だろうということを、あらためて思う。夜は劇作家協会O部門の打合せ。休みの日に夜に出かけられるのは、家族にとって「やれやれ」なんだろうということも、頷かざるを得ない。真面目な打合せを終えて、少し飲もうということになって、なんと全員が行く。土田英生・鈴木聡両氏のおもしろ対話ショーを谷賢一君がUストに流す。こうした新流行の仕組みに対する先行世代の違和感を誤魔化すかのように、両者とも弾けようとするのであるが、撮影されていない方がリラックスして面白く話せるのも当然のことである。その後、鈴木聡さんの手品学講座とか、いつになくリラックスして楽しい会話。劇作家大会を定期的にやれていた頃は自然にできていた交流をこの濃縮した時間内に果たそうとしているのか。ともあれ、短いひとときの楽しさを受け止めつつ。このたびの協会での大胆な人事路線変更が、功を奏していると言えるのかどうか!
昼過ぎに、ふとテレビをつけて暗澹。C.W.ニコル氏を何者か知らないらしい輩が、アースディのイベント宣伝を買ってでた氏に対する、失礼振り。日本語をしゃべる外国人に「日本語お上手ですね」の醜悪さ、増して「日本のことにお詳しいですね」だと。チャンネルを変えると、若い進行役が草笛光子さんを「昔有名だったけどみんなは知らないちょっと個性の面白いおばあさん」として扱おうとする手つきにうんざり。別なチャンネルでは離陸時のジェット機のエンジンに鳥が飛び込む「バードストライク」があったことを紹介。同様のケースが私たちが上演した『CVR』にも出てくる。……テレビを早々に切る。テレビを切ると平和だ。それでいい。……一区切り着いたらやろうと思ったことが、こんなにも。やることが多いのだとあらためて思った一日。
夜、これまた今日までの上映だというので『ヴェルクマイスター・ハーモニー』へ。ハンガリー映画で、「世界一巨大なクジラ」が出るということしか予備知識がなかったが、クジラといえば坂手、と称される身でもあり、そうと知った以上は行かざるを得ない。長回しのワンシーンワンカットなのである意味演劇的なのだが、最初のうちは「これはこのままの不条理の調子だとずいぶん長くかんじるだろうな……」と思った。途中から何か既視感があり、人の動きや配置にViewpoints的なものも出てきた。そして主人公が傾倒する天文学とクジラと言えば、ここ数年私のこだわる「惑星思考」ではないか。途中でこれはカフカ的・カミュ的というより別役実『象』の変奏のようだと気づき(もちろん作り手たちは別役戯曲を知らないだろうし私がかってにそう思っただけである)、やがて作り手のやり方がわかってくると唖然とする面白さになり、ワンシーンワンカットの蓄積効果は圧巻の暴動シーンに至って爆発する。ラストにいたって、前半は物語性を度外視して抽象的に投げ出されたように見えたこの映画が、周到なプロットで出来上がっていることが明白になる。そしてやはり『象』の姉妹編のような結末でもあった。ヴェルクマイスターは、今日も使われている、1オクターブを12の半音で等分した責任者だということだが、つまりシステム、世界の構造化からこぼれ落ちるものについて描いているということなのだろう。人々の面構えや風景がいい。撮影がどこなのかは知らないが、『神々の国の首都』ツアーでハンガリーに行ったのはもう十六年も前のことになるのだった。ハンガリー人たちは自分たちをアジア系だと思っているフシもある。「フン族」の末裔ということだ。観客を選ぶであろう、こんな地味な白黒映画のわりにお客が入っている(『戦火の馬』より埋まっている!)のが不思議だったが、見終わってから気づいたのだが、これは未見だが最近『ニーチェの馬』が評判を取ったタル・ベーラという監督の映画なのだった。……この日は午前中、日韓演劇交流センター会議。午後、未来社西谷社長、担当長谷部さんと『普天間』出版に向け、おそらく最後の打合せ。最終校正を残すのみ。そのまま町中で事務仕事。日中いろいろ動いて夜は映画という日が二日続いた。芝居も観なければ。
たまっていたメール関係、朝まで。起きても。そして数日かかった長文をようやく仕上げる。連絡のみならず、なんだかやることが多く時間がいたずらに過ぎる気がするが、夜は、もう上映が終わってしまうので、『戦火の馬』を観る。スピルバーグはあいかわらす巧みだけれども大味、という点はいつも通りだが、憎めない。タランティーノとこの人は映画マニア出身の監督という面もあり、映画的記憶の琴線に触れるのか。戦争物でも『プライベート・ライアン』の生々しさとは方向を変えている。欧州を舞台にしたアメリカ映画がどの言語も全部英語ということを英語も満足にしゃべれない者が突っ込むつもりはないが、それぞれの国の「ステレオタイプ」については、こうして再生産されていくのだなと思う。台本書きを志す人は見た方がいい教科書的な構成の定石ぶりもあるが、このプロットの根本はある意味、じつは私の『屋根裏』と同じグループに属するのである。夜に新宿にいるのも最近珍しいので、ものすごく久しぶりにゴールデン街・ガルガンチュアに顔を出す。
仕事が進まない。事務連絡も多々。それでもなんとか前へ前へ。二日連続蒲団で寝ていない。それだけはやめてと言ってくれる人がいるが、こればかりは仕方がない。……夜は劇団でテスト的な読み合わせとミーティング。
石原慎太郎東京都知事が都で尖閣諸島を購入する案を打ち出す。見当違いも甚だしい。そもそも尖閣諸島を自国の国土だと確信しているなら、どーんと構えていればいいだけではないか。こんなこれみよがしの目立ちたいだけの方策に都税を無駄に使わせてならない。これから都議会はしっかり追及してくれないと困る。……関電大飯原発再稼働を判断する関係閣僚会合の、事務方が退席した後の野田首相ら政治家のみによる協議について「自由討議であり、記録を残すような話し合いではない」と述べ、議事録を作成していないという。原発再稼働を「政治判断する」と明言したその意思決定の場で、核心の議論を記録に残さないというのか。こんな重要な話をブラックボックスの中でしてしまっていいはずがない。国民の意思を反映しないどころか、やりたい放題を容認しろと言わんばかりではないか。……五月末から上演される朗読劇『冬眠まんざい』スタッフ打合せ。美術の大野泰さん、舞台監督の小川静夫さんら先輩諸氏とご一緒できるのは嬉しい。……五月にフランスで初演される私の最新戯曲は、マルヌ県の数年来続いている水に関するフェスティバルの一環で、アウアル氏発案のLes petites com馘ies de l'eau「小さな水のコメディー」の企画。長年続いていて、今までは普通に「小さな水のコメディー」だったのが、今年は「無秩序な小さな水のコメディー」となっている。私とハイチの劇作家の作品が上演される。無秩序な水の害に晒された二つの国から、ということだろう。フランスで活躍している浅井宏美さんが翻訳・出演。水をテーマにしたフェスティバルを川べりで毎年やっているというのは素敵なことだ。考えてみるとこういうまさに今現在の私たちにとって切実であるはずのテーマのイベントを、なぜ日本が、都が、公共劇場や団体たちが、やろうとしないのだろう。
http://festival-oh.cg94.fr/node/1033
http://festival-oh.cg94.fr/node/1033
民主党の仙谷由人政調会長代行は16日、名古屋市の講演で、原発再稼働問題に関し「止めた場合、経済と生活がどうなるかを考えておかなければ、日本がある意味で集団自殺をするようなことになってしまうのではないか」と述べた。福島原発事故の現実を見て、これこそが「集団自殺」の過程と感じないのか。仙谷氏は「リアリスト」とも呼ばれていたらしいが、それは「多数派の決定することこそリアルである」という「保守」の反映でしかない。既に終わってしまった価値観と知るべきだ。目の前に奪われつつある命を見ながら、想像上の「集団自殺」を言い立て国民を脅迫する仙谷政調会長代行の論理は、結局民主党も「多数派保守」の自己撞着から抜け出せなかったということを示している。以前に野田首相は海外プレスに対して、原発メルトダウンについて「政府も、事業者も、あるいは学問の世界においても、安全神話に浸りすぎていたということは総括として言えるだろうと思う。誰の責任というよりも、誰もがその痛みは、責任は共有しなければいけないんだろうと思う」。これも「多数派」が存在するかのように見せつけ、「一億総無責任」の再現を意図するものだが、「多数派」は既に「成立」していないのだ。……夕刻より、座高円寺の今年度のラインナップ発表会。顔ぶれは賑やかで、昨年に続いて空気はいい。後半のシンポジウムは低調。今年からAICTが進行を担当してくれることになったのだが、司会者自身が説得力のある意見を持っていてそれを反映させられないと、こういう進行は難しい。……終了後、ひさしぶりに桑谷館長と落ちついて話す。
午後、自転車を京王線S駅の駐輪場に置いて新宿へ、『普天間』原稿を未来社のHさんに渡す。5月中には発売される見込み。……今度はS駅から稽古場へ。時々こういう移動の仕方をする。……夜、劇団ミーティング。話すことは山積。
雨の日なので一皿95円に割引という吉祥寺の回転寿司で昼飯。そのうちサカナが食べられなくなるのではないかと思いつつ。夕方、できたてほやほやだという記録映画『♡沖縄 @辺野古 @高江』を国分寺の公民館の上映会で観る。題名はもうちょっと考えてほしい。木訥な作り方だが順を追って事実を伝えている。もともとわかっていることだが国家の理不尽さにあらためて怒りがこみ上げる。高江の映像、もっとも白熱した去年2月10日の攻防の様子も映される。あの日そこにいたのだが私は写っていなかったようだ。国分寺の駅前でT君がバイト先のカラオケ店のチラシ撒きをしていたというが出会わなかった。