座高円寺の22年度のプログラム説明会に登壇しました。
はい、今年も11月、燐光群は座高円寺で上演します。
〈劇作家協会プログラム〉枠である。
説明会の合間に、佐藤信芸術監督と話し込む。
乗り越えるべき現実、果たせない現状。
座高円寺から送っていただいた写真を見ると、どうやら自分は、最年長五人に入っているのだなあ。
座高円寺の22年度のプログラム説明会に登壇しました。
はい、今年も11月、燐光群は座高円寺で上演します。
〈劇作家協会プログラム〉枠である。
説明会の合間に、佐藤信芸術監督と話し込む。
乗り越えるべき現実、果たせない現状。
座高円寺から送っていただいた写真を見ると、どうやら自分は、最年長五人に入っているのだなあ。
情報化社会にいるという実感を、強く持つようになっている。
情報化というか、まあ。
情報公開の解禁がまだなのでまだ何も言えないのだが、今日はいろいろなことがあった。
ここ数年来、いろいろあったけれども親しくさせてもらった仲間たちが、とてもいい仕事をしたのを、確かめた。
まさかそう簡単に会うはずがないだろうと思っていた人と、なぜかフツーに呑んでいた。
そこも、言えない書けない、笑うしかないことでもあるけれど、いろいろ因縁はあるが、それもいろいろな理由で、言えないのである。
ともあれ、ありがたいことだと思う。
先へ先へと進んでゆくことでしか物事は解決しないと思う、という、私の実感が確かめられた日。
友の喜びを自分のものとしなくて、どうするのだ。
具体的に言えなくて申し訳ないのだが。
写真は、二日前、息子が沖縄の空港で食べたという、沖縄そば。ここは、たぶん私も一度は行ったことがある。
本文とは何の関係もない!
第35回岸田國士戯曲賞受賞作『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』。
燐光群初期代表作が、再々演、ヨーロッパツアー以来、21年ぶりに新バージョンとして、再生。
この公演の一部出演者を募集するオープン・ワークショップ。
参加希望受付を開始いたします。
『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語 NEO』
作・演出◯坂手洋二
7月15 日(金)〜31日(日)
下北沢ザ・スズナリ
この公演の一部の出演者を募集するオープン・ワークショップを、4月以降開催します。
日程などの詳細は 追ってHPで発表します。ご希望の方はお申し込みください。
申込締切:4月11日(月)
<応募方法>
○第一次審査(書類選考)履歴書と作文を A4 サイズで作成し、以下にご郵送下さい。
履歴書 = 要写真貼付。氏名・住所・電話番号・メールアドレス(PC /携帯共)・年齢(生年月日)を明記のこと。
作文 =「『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』あるいは他の燐光群・坂手洋二の作品を観た・読んだ感想」
作文 =「自分について」各800字以内
○送付先 〒154-0022 世田谷区梅丘 1-24-14 フリート梅丘 202 オープン・ワークショップ係
○オープン・ワークショップに先だって、面接を行うことがあります。
オープン・ワークショップではテキストに『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』を使用します。
○電話でのお問い合わせはご遠慮下さい。rinkogun@alles.or.jp または FAX 03-3426-6594 でお受けいたします。
☆『ブレスレス / カムアウト』而立書房刊(1800円+税)
http://rinkogun.com/index.html
文学座3月アトリエの会『 コーヒーと恋愛 』(原作:獅子文六 脚色・演出:五戸真理枝)を観劇して良かったことの一つは、イヨネスコ『犀』を模したであろう劇中に紹介される新劇作品内容が、 「犀」ではなく「カバ」だったことだ !
あらためて素晴らしい空間だと思うこのアトリエで松本祐子演出の『犀』も観たし、じつは燐光群もかなり以前に『犀』を梅ヶ丘BOXで上演している。燐光群版は、大河内直子の初演出作品でもあった。私は日本語版上演台本をまとめた。松井るみ美術は梅ヶ丘の小空間を見違えさせるものにしてくれた。
このパロディー版では、「犀」ではなく「河馬」、だったとは。初演からそうだったみたいで、私はこの場面、大笑いしました。
それにしても、作者・獅子文六氏が「とんでもハップン」「いかれポンチ」といった流行語の産みの親ということは、知らなかった。
ちなみに、イヨネスコ『犀』は、あらゆる「ゾンビ」ものの原点であって、私はしばしば指摘してきた。しかしそう指摘する批評論究に出会ったことがないのが不思議である。
写真は、文学座アトリエ『 コーヒーと恋愛 』上演中のロビーにて。
しばらく東京を離れていたが帰ってきた。
曇った寒空に桜。
満開、花びらが零れて落ちてくるぎりぎりのボーダーのとき。
絶好のロケーションのはずの神田川沿いだが、花見の人影もない。
モノトーンの風情である。
この苦境の時代を、象徴しているかのようだ。
沖縄・美栄橋付近で通りかかった、広島お好み焼きと沖縄料理が合体しているかんじの店。
覗くとカウンターに長い鉄板が。確かに広島的に焼いている様子。
これもハイブリッドというべきか。
沖縄的な何かがお好み焼きに入っているのか。
わからない。
はい。中には入っていません。
考えてみると、中には入っていないが興味深そうな店というのはあって、いつか実際に入ることができる例もあるが、むしろそういうことは少ない気がする。
人は殺されてはならない。
人は殺してはならない。
ただただ、そう思う。
人は殺されてはならない。
国家に殺されてはならない。
国家に人を殺す権利はない。
それが不戦の思想である。
人は殺されてはならない。
だが、それを避けるためだけとは厳密には言えないかもしれない、国家という主体で相手を殺す、そのことの応援をしてほしい、
という演説に、総立ちで拍手することは、やはり違うと思う。
日本は、戦争を放棄しているのだから。
写真は、サンクトペテルブルグの児童図書館。
生まれて初めて、スマホを持参するのを忘れる。
初めてといっても、スマホを入手してまだ十五ヵ月だが。
不便というか、持っていないことに、何度かはっとする。
あっという間に自分の一部になりかけていたのだ。
一部を機械によって埋められた私自身。
ロシア軍がウクライナへの攻撃、市民を犠牲にした攻撃の報に、胸が痛む。
多くの市民である人々が避難していた劇場が砲撃された、というニュースが、さらに、辛い。
それはこちらが演劇人だからという事情もあるのだが。
東日本大震災でも、いわきのアリオスなど、被災者が集まる場所となった。
近隣の戦禍のため難民化した人たちの一時避難場所として、ヨーロッパでは公共劇場が開放された例がある。
戦争の場合も然りなのだ。
市民が巻き込まれている、劇場という場所が攻撃目標になっている、そうしたことは、ロシアの国内では報道されていないのだろうか。
私はかつて『上演されなかった三人姉妹』という劇を作った。ロシアらしき場所の劇場を舞台にして、だ。
現実に劇場が攻撃されるというのは、ほんとうにつらい。
写真は、サンクトペテルブルグの劇場。三年前。
ロシアのウクライナ侵攻には、それまでの米欧西側社会のやってきたことにも責任があるという議論がありますが、とにかく、いま、明瞭に戦争を仕掛けた者と仕掛けられた者がいるという一点で、「国際ペン 公開書簡― 世界の作家のウクライナに関する声明 ―」への署名に、私も賛同しました。
国際ペン(本部:ロンドン)より「国際ペン 公開書簡― 世界の作家のウクライナに関する声明 ―」が2月27日発表され、これに対して1000名を超える、世界の作家の賛同署名が集まっています。
日本ペンクラブからも310名の会員が署名しました。
「国際ペン 公開書簡 ― 世界の作家のウクライナに関する声明 ―」
私たちは団結して、平和を求め、暴力を煽るプロパガンダをやめるよう求めます。
私たち世界の作家は、ロシア軍がウクライナに対して行っている暴力に驚愕し、流血の終結を緊急に求めます。
私たちは、ウクライナの人々がモスクワの干渉を受けずに自国の忠誠と歴史を議論する権利を認めようともせず、プーチン大統領が無意味な戦争を行ったことを非難するために団結します。
私たちは、作家、ジャーナリスト、アーティスト、そして最も暗い時間を生きているウクライナのすべての人々を支援するために団結します。私たちはあなた方の側に立ち、あなた方の痛みを感じています。
すべての個人は、平和、表現の自由、集会の自由の権利を持っています。プーチンの戦争は、ウクライナだけでなく、世界の民主主義と自由に対する攻撃です。
自由で独立したウクライナなくして、自由で安全なヨーロッパはありえません。
平和が勝利しなければなりません。
https://japanpen.or.jp/openletterukraine/
先週久しぶりに神保町へ行った。
なつかしい街の空気である。やはり独特なのだ。
出版社の多い街。紙媒体受難の時代のあおりを受けているはずだが、街じたいはあまり変わったようには見えない。
岩波ホール閉館の報もせつないのだが。
某社で打ち合わせをしただけで店などには入らなかったのだが、通り道に「クレオール」という名の居酒屋を発見して驚いた。
ここしばらく、クレオールのことを考える機会が何度かあったからでもあるのだが、そもそも和風のふつうの居酒屋のような店が「クレオール」と名乗ることが不思議であった。はいっていないので内実はわからないのだが。
いつか入ってみよう。
16日深夜の地震。
私はたまたま吉祥寺にいた。
停電の駅前の写真。ぶれているが。
十一年前の3月11日も、吉祥寺の稽古場にいた。通し稽古をしていた。中断した。大きな余震で、また中断した。表に出ると、また余震。あらゆるものが、揺れていた。電信柱と電線はもちろんだが、建物も。
たまたま同じ吉祥寺。
心を渇かして、対応している自分がいた気がする。
衝撃を軽減させようとしているのだろう、無意識に。
福島の、震源地に近い人たちの、ご無事を祈る。
翌々日となった今、次の何かが来るのではないかという不安は拭えない。
「核に守られた安心は、結局、一触即発の緊張状態でしかないことがわかりました」
原爆被害と核問題を考える映画『にんげんをかえせ』を観た高校生の感想です。(いちだまり『ポケットのなかの平和』より)
「核」だけではありません。あらゆる武力が、そうです。
戦争が奪うもの、平和の大切さを伝えていくことは、本当に大事です。
この間のウクライナで起きていることは、武力が武力を抑えるという考え方が間違っているという事実を証明しています。確実に、人の命が奪われているのです。市民も、兵士も、です。
日本の愚かな政治家らによる核武装や憲法改悪の論議は、じつに子供じみていて、高校生たちから見えている現実さえ、見通せていないのです。
写真は、三年前、ロシアで。