Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

混ぜない理由

2025-01-31 | Weblog
先日書き込んだ、牛丼+カレーが盛られている場合についてですが、
混ぜない理由は簡単で、
混ぜたら全体が「カレー」になってしまうからである。
甘い牛肉の入ったカレー。混ぜれば甘かった記憶も消える。
決して「カレー味の牛丼」にはならない。取り返しのつかないことになる。
はい。
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森友公文書改ざん「文書不開示」訴訟で、大阪高裁が「不開示」とした国の決定を取り消す、逆転判決

2025-01-30 | Weblog
森友学園をめぐる決裁文書の改ざんを命じられたことを苦に自ら命を絶った、財務省近畿財務局職員だった、赤木俊夫さん。
妻の赤木雅子さんが2021年に財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などを開示するよう求めたが、財務省側は文書が存在するかどうかも明らかにせず「文書不開示」とした。
国の決定に対し、捜査の関連資料を開示するよう求めた裁判で、本日、大阪高裁は、不開示とした国の決定に対して、あらためて「取り消し命令」を出したのだ。
雅子さんが控訴し、高裁にあがっての、逆転判決である。
法廷内で拍手が巻き起こったという。

これで赤木俊夫さんが、どのような指示系統で改ざんを強いられたかが明らかにされる。
これ以上無駄に時間を費やすべきではない。国は上告せず判決に従うべきである。

一昨年9月、大阪地裁は「将来の刑事事件の捜査に支障が及ぶ恐れがある」として訴えを退けていた。
国が「見せない」「出さない」と決めることが、誰の利益になるのか。
再発を防ぐことこそ、国民の利益であり、弱者である、労働する現場人を守ることになる。
公文書の開示のあり方じたいが見直されていく契機ともなる、記念すべき判決として、評価すべきである。

財務省の調査報告書では、安倍元総理の「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣も国会議員も辞めるということをはっきりと申し上げておきたい」という国会答弁の後、当時の佐川宣寿理財局長が近畿財務局に決裁文書の改ざんを指示したとされている。
間に立つ官僚たちも「歯車」だから責任をとれないというのは、おかしい。
何よりも、真実を明らかにするのを遮ることが、正当化されてはならない。
財務省や近畿財務局が検察に任意で提出した文書などが開示されれば、そうしたメカニズムが白日の下にさらされれば、再発を防ぐことに繋がる。
俊夫さんの無念を晴らすためにも、きちんと裁かれねばならない。

写真は、『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』、2020年上演。
左より、円城寺あや、杉山英之。
撮影・姫田蘭。

同作は、半分は、岡山出身の作家・棟田博の代表作『拝啓天皇陛下様』に基づいている。かつて渥美清主演・野村芳太郎監督で映画化され、「国民的喜劇」として成功を収めた。棟田博氏は私の遠い姻戚である。『拝啓天皇陛下様』を劇化することが、私の永年の夢であった。

『拝啓天皇陛下様』の愛読者である、現代を生きる官僚が、「玲和」を迎える世の「生きにくさ」「宮仕えの辛さ」を、かつての時代に思いを馳せながら耐えていく物語であった。
そう。その官僚のモデルが、赤木さんだったのだ。

二日前のフジテレビのロングラン会見についても毀誉褒貶があるだろうが、少なくとも「真実を知る」ことを求めることが正当であることは、確かめられたと思う。

「真実が味方してくれる」と信じれば、死を選ばずにすんだはずの人たちが、いるのだ。

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講義の終了と、未回答の質問への回答

2025-01-30 | Weblog
レポートの採点を終了。
コロナ禍が終わって、大学に対面式が本格的に戻って、二年。
自分が旅公演中の一回だけ、Zoom講義だった。
学生たちに出した課題は自由度の高いものだったので、それぞれが自分自身の関心に基づいて書いてくる。
当然ながら、将来演劇に携わる学生ばかりではないので、その興味の拡がり方が面白い。今年も熱心な学生がいた。内容はほぼ同じなのに、二年連続で受講してくれる者もいた。

※   ※   ※   ※   ※

さて、講義の中で、答案用紙に私への質問を記入するように言っておきながら、それ以降の講義で答えられていない幾つかのバラバラな質問があって、終了後ではあるが、学生たちへのメッセージ機能で、それらの質問について、回答を記し、送った。(最近の大学はネット環境の機能を駆使するのです。ときどき追いつけませんが)

といっても、答えようのない質問も多かったので、答えられそうなものだけです。
もはや講座終了後なので、こちらにも紹介します。
そのときどきの質問なので、とりとめもないものです。

Q:「コメディーの演劇」と「コント」は何を基準にして区分けされていますか?

区分けする必要のある人が、そうしているだけ。

Q:何がきっかけで演劇の魅力に気づいたか。

具体的に、個々の作品にめざましい表現のあるものが著しく多い時期に演劇に出会ってしまったからです。1980年頃。

Q:キスシーンを、キスをしているように見せて、本当は舌を入れていないという話にびっくりしました。本当に入れてしていると思っていました。していないのにしているように見せるコツやポイントがあったら教えてほしいです。

接触はしています。単純に舌を入れていないだけです。

Q:講義内に紹介された「スライディングステージ」などの機構の導入を決めるのは誰なのでしょうか。

美術家と舞台監督と演出家と制作者。設備のある劇場なら、自然と決まります。他に適切な合理的方法がないときにその判断を共有できるのが専門家チームです。
日本の劇場にはほとんどその設備がありません。設備がなくて架設しなくてはならない場合は、導入を決定できるのは、財布を握っている人です。

Q:俳優が演出を兼ねているステージでは「演出家」はいるのか?
Q:俳優は演出にどこまで口を出していいのか。仕事の領分の分け方はどうなっていますか。

「演出家」が存在する演劇は、百何十年か前にうまれたばかりです。じつは昔から、「演出家」がいなくても演劇をやっていたのです。
逆に、誰かが言葉として指示らしい指示を出しているように見えなくても見事に劇が出来上がってゆく場合もあります。

Q:感情移入と客観のバランスとは?

たぶん「バランス」を考え始めた段階で、その演技プランは破綻しています。

Q:何かを伝えようとしたら、かえって不自然にならないでしょうか。

演者が何かを伝えるとしたら、何かを伝えようとするのではなく、何かを伝えなければならない現実を生きるだけです。


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小沼純一さんの新著「ことば よりそう」

2025-01-30 | Weblog
小沼さんが他者の作品に寄せた言葉群。ライナーノートや解説やカタログや批評記事、等々。
どうしても本人以外に寄せた言葉だからお行儀が良いかと思うと、ときどき楽しく遊んでいる、というところから跳ねて、やりたい放題のものもある。対象の個性に合わせ、寄り添って、いる。で、新造語も出てくる。油断すると、やられる。「竹中労」には、笑った。対象は幅広い。トランプ大統領の八年前、最初の就任式。そして、横文字で語られる、ねこ。

一番遊んでいるかもしれないのは、燐光群の公演に寄せた「地図は、どこ」。
どう遊んでいるかは、内緒。
でもちょっとばらすと、それぞれの人への言葉が、たんに語呂合わせなどではなく、けっこう批評として当たっている、ということだ。

ときどき散文調に転じて、また戻る。しっかり解説になるときもある。その行き来で思いだすのは、彼の戯曲である。自在さと、枠組みへの取り組み。

小沼さんに戯曲を書いてもらったのは、燐光群「Speak low, No tail (tale).」。もう三年前になる。
さて、次の戯曲は、いつになるのかな。

小沼純一さんの新著「ことば よりそう」(論創社)
装幀も素敵だ。
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「公正で開かれた記者会見」

2025-01-29 | Weblog
フジテレビによる「中居正広問題」についての、「やり直し」会見。
「公正で開かれた記者会見」の実施を求める署名に賛同したこともあって、最初の二時間余りは、テレビ放送を観た。
日本弁護士連合会のガイドラインに基づいた第三者委員会も設置されるようで、賛同してよかったとは、思っている。
会場には、ネットメディアや海外メディアを含め、191媒体、437人が参加。1月27日午後4時に開始し、日付をまたいだ1月28日午前2時24分頃終了したという。
フジテレビ側が被害女性との意志の疏通ができていないことが浮き彫りになったようだ。「第三者委員会」による調査が終わらなければ答えられない、という事項ばかりの中で、十時間を越える会見は、尋常ではないとも言える。私の近しいメディアには、12時過ぎたら「お開き」にしたグルーブも、あったようだ。
下手に出ているようでしたたかに質問をかわすフジテレビ役員たちが有利だったという見方もあるだろう。実際、彼らはタフだ。
ネット上では、質問する一部の記者を揶揄するトーン・ポリシング的な言及も多く見られた。頓珍漢な質問者もいたのだと思うが、十把一絡げにはしないでほしいと思う。
いろいろな記事を見ると、遠藤龍之介フジテレビ副会長が、「接待」に同席する女性のリスクについて、「最初からその女性を1人で会合に差し出すというケースは少のうございまして」と言ったというのには驚いた。「差し出す」と、自分で言ってしまっている。「男性社員もしくは年寄りの女性社員が同伴していくケースが多いのではないかと思います」というのもあんまりだと思う。「年寄りの女性社員」って……。そもそも「接待」なんて、させてはならないのだ。
「プライバシーの観点からの配慮」「個人を特定する質問は避ける」は、正しいことではある。ジャーナリズムは、「裁く」ことよりも、その制約の中であっても、公正に「事実」を追及することによって、出来事の本質を明らかにしてゆくべきだと思う。
長時間の会見ではあったが、少しでも事実を浮かび上がらせてゆくことに貢献したのは間違いないのだから、意義は認めるべきだ。
そして、ネット中心の、伝聞だけで誰かを叩くという風潮への懐疑に繋がった部分もあったなら、そこに意味があると思う。片方側だけからの伝聞情報で性急に結論を出すことへの批判が生まれるなら、それも正しいはずだ。
「公正で開かれた記者会見」は、難しい。それでも、この情況下でできる限りのことをやる、という意味で、この会見は、実施するしかなかった。そう思う。
そして、もっとも尊重されるべきなのは、いま現在、深く傷つき、夢を絶たれ、仕事を奪われてしまった、被害者であることは、忘れてはならない。
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手書きメニューが好き

2025-01-29 | Weblog
手書きメニューの店が好きである。
写真は昨年夏、打ち合わせ先で連れて行かれた店である。

タブレットやスマホで注文させる店は苦手である。

「店員が働かなくてすむように客が奉仕させられるのはおかしい」という言い方はしたくない。
そのぶん安くなっているなら、の話ではあるが。

手書きメニューの店なら、タブレットやスマホで注文させることはあり得ない。
気楽である。

もちろん、芸術的なまでに細かい字で黒板にメニューを書き込む店もあり、そういうところは、無茶苦茶こだわりが強くて高い場合もあるので油断できないのだが。


さいきん居酒屋に行っていないので、なんとなく記してみた。


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混ぜない

2025-01-28 | Weblog
カレーと一緒になった牛丼をいただくとき、私は混ぜない。
皆さんは混ぜるのだろうか。
吉野家が出したなんだか有名らしい銘柄のスパイスカレーと牛丼のコラボ。
せっかくスパイスカレーだと思い、混ぜずにいただく。
牛丼は牛丼の味付けがしてあるのだからと、、混ぜずにいただく。
同じ器に入っている意味もあまりなく、匙も箸も両方使ったのである。
ほとんど別物として、それぞれをいただいてしまった。
ありがたくおいしくいただいたので不満はない。
松屋が「カレギュウ」を出したときは感心したが、最近のチェーン店の凝り方もここまでになってくると、また、別な概念になってきている。
混ぜるのが基本の韓国料理やチャンプルー精神やらは、また、別なときに発揮されるのであろう。
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三田の学生会館

2025-01-28 | Weblog
三田の学生会館に、ものすごく久しぶりに立ち入る。
こんな白い壁は、なかった。
二階の回廊式の廊下沿いに部室が並び、吹き抜けだったのである。
なぜこうしたのか、わからない。
そして、なぜこんなに白い?
謎である。

自分が長い時間ここにいたのは、四十年以上前である。
不思議である。


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植垣康博氏、亡くなる

2025-01-27 | Weblog
植垣康博氏が、亡くなった。
連合赤軍の一員で、幹部ではなく「兵士」と位置づけていた。

著書『兵士たちの連合赤軍』は、連合赤軍関係の様々な書物の中で、もっとも共感を呼んだものだと思う
今も彩流社から新装補訂版が出ているようだ。

植垣氏は出所後、静岡で、スナック・バロンを経営していた。
いつか寄ります、とお伝えしていたが、ついに行くことができなかった。

一つの時代の終焉を感じる。
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久しぶりに名古屋できしめんを食べました

2025-01-27 | Weblog
久しぶりに名古屋できしめんをいただきました。
アナゴ天載せ。

きしめんは、四半世紀前の夏にワークショップで名古屋に一週間滞在したさいにいただいいた「ざるきしめん」が絶品だった。
しかしあの時の店が思い出せず、それ以降に「ざるきしめん」をいただいてがっかりしたことがあるので、もう選ばない。
きしめんは歯ごたえがないので、半ば讃岐うどん文化圏の出身者としては、ちょっとガッカリする。
ツユもしょっぱさが強いことが多く、油断ならないのだが、この店はセーフ。

薄い衣のアナゴ天は、とてもよかった。やはりこの地ではアナゴは、ウナギと対決せねばならないから、気を抜けないのだろう。
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名古屋の地下鉄ホームは斜めに並ぶ

2025-01-27 | Weblog
前からそうだったが、あらためて感心する。
名古屋の地下鉄ホームは、乗車待ちのさい、斜めに並ばされる。
なぜそうなのか。
はたしてその方が合理的なのかどうか。
よくわからないが名古屋はそうである。
ひょっとしたら他の都市でも「斜め並び待ち」のところがあるのかもしれないが。

しかし「斜め並び待ち」であることを知っていたのに、それがこの街の特色と意識したのは初めてだ。
これだけ何度も名古屋に来ていたのに!
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東アジア反日武装戦線の50年を考える連続講座

2025-01-26 | Weblog
「東アジア反日武装戦線の50年を考える連続講座」でお話することになりました。
連続講座じたいは、既に始まっています。

世間は「桐島聡発見とその死」を大々的に報じ、その題材で映画も二本作られています。
私が「東アジア反日武装戦線」のことを伝えることじたいに適任であるとは思えませんが、「この五十年」について、考えてゆきたいと思っています。


詳細は、以下の通りです。

東アジア反日武装戦線の50年を考える連続講座
ー昔々の話なのか、これからのことなのかー

2024年
5月18日(土)
小田原のどか「彫刻とは何か:爆破された≪風雪の群像≫を手掛かりに」
6月22日(土)
鄭栄桓「在日朝鮮人による植民地主義批判と『反日』」
7月20日(土)
友常勉「60~70年代の武装闘争をとらえ返す」
9月21日(土)
上野千鶴子「国家権力・対抗暴力とジェンダー」
10月19日(土)
小杉亭子「1968と否定的な集合的記憶の政治学」
11月16日(土)
白井聡「『幻の本土決戦』と戦後日本」

2025年
1月18日(土)
大谷恭子「同時代者の証言をした者として」
2月15日(土)
坂手洋二「『反日』をいかに表現するか」
3月15日(土)
太田昌国「『反日』とインタ―ナショナリズム」
4月19日(土)
平野良子「反日支援の50年」
5月・・全体集会

会場:日本キリスト教会館4F
参加費¥1000
13:30 開場 14:00 開始
主催:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議
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ラム肉をカツにするなんて

2025-01-25 | Weblog
四半世紀前、札幌に仕事で十日くらいいて、けっこう夜遅くまで働いていた。朝も早いのですぐ寝ればいいものを、元気を付けるべきだと、仲間たちと、深夜までやっている店でジンギスカンをいただいて、英気を養うというか、エネルギーを補填したものである。確かに、元気になった。という気がした。
ジンギスカンの話は拡がりすぎるのでこのくらいにしておきたいが、以来、「ラム肉はエライ」という思いを持つようになった。

で、牛丼の松屋が、トンカツ業界に乗り出し、「松のや」という店舗の名前で展開し始めたことも知っている。松屋はどうやら三鷹が根拠地らしく、最初は三鷹で入ったはずである。
で、その「松のや」が、高円寺に進出してきて、幟がはためいている。
そして、「ラムかつ」を発売している、というのである。

「ラム肉はエライ」派にひそかに参加してしまっていた私は、松のや」に入り、「ラムかつ」を注文した。
ラム肉は生後一年未満の子羊肉で、臭みがなく食べやすいと言われている。

で、ネットの記事には、
「ラムの旨味の引き立たせる「紅塩」と西洋わさびが香る「レフォールソース」付き」
と。ある。

それはそうだ。せっかくの「ラムかつ」なのだ。いつもと同じトンカツソースではないものをかけて、いただきたいと思ってもいいはずだ。

ところが、「アンデスの紅塩」は、ついていたが、私が興味津々だった、「西洋わさびが香る「レフォールソース」」が、ついていない。

宣伝文句には、
「お肉の美味しさを引き立て主役級のインパクトを残す名脇役の"レフォールソース"は、西洋わさびにマヨネーズやりんご酢を加えた爽やかな辛味が特徴。
酸味・塩気・辛味のバランスが良く、味の幅を広げ、ラムかつをさっぱりとした味わいでお召し上がりいただけます。」
と、ある。

で、お店の人に、この「レフォールソース」というモノがついていませんよ、とお伝えすると、ポカンとされた。
店中の人が、「レフォールソース」というモノが存在することじたいを、知らなかったのだ。
そんなばかな。公式サイトにあるのに。
なんだか昔のB級SF映画の、「ほぼ同じに見えるのに、いつの間にか世界が入れ代わっていた」シリーズの中にいる気分だった。

でも、私がいるのはただの現実世界である。
ないならないでいいや、と思った。カツに塩をかけても仕方がないと思ったので、ソースと辛子をかけて、いただくことにした。

と、お店の方が寄って来て、「レフォールソース」がついていたのは、一昨年の「ラムかつ」初登場時であり、今回は、好評につき期間限定特別再販売ということで、今回は「レフォールソース」はつけないという方針に変わった、しかしネットの記事は、一昨年の「レフォールソース」についても記している記事をそのまま再掲してしまった、と伝えられた。
そういうことなら仕方がない、と思うしかないのだが、いま現在でもネットでは、公式HPでも、「レフォールソース」についても記している記事が出てくる。
それを見た人たちの何割かは、私と同じように質問し、同じように返答されているのではないかと心配する。
謎である。

で、「ラムかつ」じたいは、柔らかく、おいしかった。
ただ、基本的には、カツよりは焼いて食べたい、と思う。

チェーン店が珍しいものを売っていたら注文してしまうということへの反省でもないし、何かの教訓があるわけでもない話、でした。

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天野天街をしのぶ会

2025-01-25 | Weblog
天野天街をしのぶ会
開催中です

夜9時まで
七ツ寺共同スタジオ
出入り自由な感じでカジュアルにやっています
なんとか顔を出せました

というか、天野がいないという実感が、ぜんぜんないのだ
どうしたものか
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「しむら」の八宝菜

2025-01-25 | Weblog
最近ご紹介している街中華「しむら」で、八宝菜を頼んだ。

八宝菜と「五目あんかけ」の違いがわからないという意見もあるが、八宝菜は「八つの宝物のような素材のおかずが入っている」と受けとる人も多いだろう。
しかしこの「八」というのは、「いっぱい」という意味で、素材が八つということではないのだ、と、どこかで聞いた。

私のイメージする八宝菜は、白菜がいっぱい入っている、というイメージで、「八宝」よりも「菜」という言葉が強いのではないかと思っていた。白菜メインで、その場にあるあり合わせの素材が入るのだと。
というのは、亡父が、なぜか唯一作る料理が「八宝菜」だったのだ。理由はわからない。
「八宝菜」と、京都の学生時代によく食べたらしい「油揚げを焼いて醤油を掛けたもの」だけが、自分の料理だと言っていたのだが、油揚げを焼いて醤油を掛けたものを、父が作ったことはなかったと思う。

たいていの八宝菜は、とろみをつけるものだと思っていた。そこがちょっと凝った印象になる。作っていて嬉しい、ということもあるのだろう。
片栗粉を溶いて入れ、とろみをつけるだけで、一挙に「中華」の印象になるのは、面白い。
ラーメン店で、冷めにくくするためにとろみを付ける物を出す店もあった。

「しむら」の八宝菜は、とろみは薄めで、白菜もすこしで、見事に素材のおいしさが際立つ料理だった。
というか、みごとに紹興酒に合うのだった。


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