2月26日、いわき市で、高野病院の高野英男前院長をしのぶお別れ会が開催された。
式典は、どなたでもご参加いただけるという形式で、用意した席の三倍以上の500名近い方々が参列、また700名近い方々が、前院長がお好きだったカーネーションを献花してくださった。
呼びかけ人の一人として、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2016年12月に火事で亡くなった高野前院長は、原発事故後も避難することなく、双葉郡の地域医療を支えてきた方である。
高野院長の活動は、昨年秋にNHKの番組でも紹介され、全国の注目を集めた。
これからこの国の「地域医療」を考えるときの、一つの雛形になるはずだ。
私は二年ちょっと前、福島生業訴訟弁護団の馬奈木厳太郎氏の紹介で高野病院を知ることになった。高野病院の選択、そして理事長の高野己保さんの人柄に感じるところ大であった。
司会は呼びかけ人の大和田新さん。喋りのプロだけあってさすがにうまい。
最初に広野町長の挨拶。六名の病院スタッフのお別れのメッセージが感動的だった。中山祐次郎新院長のスピーチからは、前院長への尊敬が自然に伝わってきた。
寸前まで「挨拶の内容を考えていない」とうろたえてみせたりしていた高野己保理事長だが、それは主に、お別れのメッセージを担当した病院勤務のスタッフの皆さんの緊張をほぐすためであったのだと思う。「『どんな時でも、自分のできることを粛々とやれ』と、それが院長の残した言葉となりました」とまとめ、人々の心をうった。
私もスピーチをしたが、高野病院のことに触れた戯曲『バートルビーズ』の作品紹介を通じて、病院とのかかわりを話すというお題を与えられていて、しかも「事実上の呼びかけ人の代表としてのあいさつ」と位置づけられていたので、たいへん緊張した。
『バートルビーズ』の原作といえるメルヴィルの小説『バートルビー』の主人公は、「できれば、そうしたくないのですが」と消極的な抵抗を続ける。
前院長、当時事務長だった己保さんは、避難や撤収を呼びかける勢力に対して「できれば、そうしたくないのですが」と、拒否を貫き、動かすことのできない患者たちの命を守った。
病院は、パブリックな存在である。民間経営であってもそうだ。
パブリックであるということは、一番弱い立場の者に寄り添うことだと、私は思う。
高野病院はまさしくそういうところだ。
今も前院長の「イズム」が息づいているのだ。
高野英男前院長は、この病院を創始したオーナー院長であり、病院の隣のログハウスに泊まり込んで医療に当たる身の入れ方は半端ではなかった。
「めんどくさいことが嫌いでめんどくさいことをなくすためにめんどくさいことを買って出る」という人だったという。
会を終えて、呼びかけ人の一人でもある、この病院を支えた一人である小早川義貴医師からうかがった話が、面白かった。病院を船になぞらえて熱く語った小早川さんに前院長が「君が勝手に乗ってきたんじゃないの」と言ったという話は、うまく伝えられないのだけど、ものすごいユーモア感覚なのである。
やはり呼びかけ人である堀潤さんはじめ、これからも前院長のお人柄を伝える方が大勢おられると思う。
いっぱいお話を伺いたかったと後悔している。
高野先生、安らかにお休みください。
式典は、どなたでもご参加いただけるという形式で、用意した席の三倍以上の500名近い方々が参列、また700名近い方々が、前院長がお好きだったカーネーションを献花してくださった。
呼びかけ人の一人として、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2016年12月に火事で亡くなった高野前院長は、原発事故後も避難することなく、双葉郡の地域医療を支えてきた方である。
高野院長の活動は、昨年秋にNHKの番組でも紹介され、全国の注目を集めた。
これからこの国の「地域医療」を考えるときの、一つの雛形になるはずだ。
私は二年ちょっと前、福島生業訴訟弁護団の馬奈木厳太郎氏の紹介で高野病院を知ることになった。高野病院の選択、そして理事長の高野己保さんの人柄に感じるところ大であった。
司会は呼びかけ人の大和田新さん。喋りのプロだけあってさすがにうまい。
最初に広野町長の挨拶。六名の病院スタッフのお別れのメッセージが感動的だった。中山祐次郎新院長のスピーチからは、前院長への尊敬が自然に伝わってきた。
寸前まで「挨拶の内容を考えていない」とうろたえてみせたりしていた高野己保理事長だが、それは主に、お別れのメッセージを担当した病院勤務のスタッフの皆さんの緊張をほぐすためであったのだと思う。「『どんな時でも、自分のできることを粛々とやれ』と、それが院長の残した言葉となりました」とまとめ、人々の心をうった。
私もスピーチをしたが、高野病院のことに触れた戯曲『バートルビーズ』の作品紹介を通じて、病院とのかかわりを話すというお題を与えられていて、しかも「事実上の呼びかけ人の代表としてのあいさつ」と位置づけられていたので、たいへん緊張した。
『バートルビーズ』の原作といえるメルヴィルの小説『バートルビー』の主人公は、「できれば、そうしたくないのですが」と消極的な抵抗を続ける。
前院長、当時事務長だった己保さんは、避難や撤収を呼びかける勢力に対して「できれば、そうしたくないのですが」と、拒否を貫き、動かすことのできない患者たちの命を守った。
病院は、パブリックな存在である。民間経営であってもそうだ。
パブリックであるということは、一番弱い立場の者に寄り添うことだと、私は思う。
高野病院はまさしくそういうところだ。
今も前院長の「イズム」が息づいているのだ。
高野英男前院長は、この病院を創始したオーナー院長であり、病院の隣のログハウスに泊まり込んで医療に当たる身の入れ方は半端ではなかった。
「めんどくさいことが嫌いでめんどくさいことをなくすためにめんどくさいことを買って出る」という人だったという。
会を終えて、呼びかけ人の一人でもある、この病院を支えた一人である小早川義貴医師からうかがった話が、面白かった。病院を船になぞらえて熱く語った小早川さんに前院長が「君が勝手に乗ってきたんじゃないの」と言ったという話は、うまく伝えられないのだけど、ものすごいユーモア感覚なのである。
やはり呼びかけ人である堀潤さんはじめ、これからも前院長のお人柄を伝える方が大勢おられると思う。
いっぱいお話を伺いたかったと後悔している。
高野先生、安らかにお休みください。