寺坂小学校の裏山の峠

2010年03月10日 | ふるさとの話
(豊岡市立寺坂小学校)


昨日、寺坂小学校へ用事で訪問いたします。
豊岡市立寺坂小学校は出石町寺坂にある学校、南面の地勢が日に良く照らされることから照ら坂の地名となり、そこから寺坂に転化したと云われる地区、もうちょっと走れば但東に至る出石の東の端に位置します。
学校と向かい合って消防署の建物、その間を立派な国道が走っています。
その昔はこんな立派な道はなかったでしょう。但馬は出石の城下から丹波路を経由して京に至る京街道、出石の城下を出てすぐの峠が「鯵山峠」、曲がりくねった細い道がこの学校の裏手のずっと奥を通っていました。

実はこの鯵山峠にも幕末の志士・桂小五郎のお話が残っています。
元治元年、京を逃れて久畑の関所を何とか通り過ごした桂小五郎、京街道を西に進み、但東から出石城下の入り口に当たる鯵山峠に差し掛かかり、ふもとの寺坂村に入ります。
旅人の往来も多くあった鯵山峠、日暮れを待つ間寺坂地内の茶屋で休息をしたのがその人桂小五郎と云われています。
その後、出石城下に潜伏し荒物屋に身を変え、城崎温泉の旅館「つたや」にも身を寄せたりして9カ月、愛人幾松が但馬に迎えにくるまでの但馬での潜伏生活です。
桂小五郎にとって峠に差し掛かる寺坂の茶屋で日暮れを待ったその時が、明治の大業へのスタート地点となったわけですね。