今日は激しい黄砂やら、春の荒れた雨雲やらが混ざり合って、西の空は真っ暗でした。
今日の春分の日、晴れていたならば、夕日の沈む蘇武岳は、西の浄土に沈む夕日で真っ赤な空と、彼岸の浄土をくっきり稜線で分けててくれたことでしょう。
昨日、山東町に住む同級生のM君が、「同級の消息を綴った“同窓会便り”、第2号が出来たよ」とご来店、そこでビックリ、M君の一つ上の吹田市にお住いと云うお姉さんも一緒です。
『うひゃ~、お姉さんですか?、50年ぶりですね、印象がえらい変わって分かりませんでした』。
M君は、昔々記者の仕事をしていたもので、記事のまとめと編集・発行はお手の物です、上手いです。
もう50年以上にもなる府中小学校の同級生のために、「同窓会便り」を自費で作ってくれているのです。
「近所の10人分足らず、配ってよ」、そう云って置いていった封筒に、出来立て第2号が入っています。
今号は、「惜別」と題して同級生の仲間で先に逝った者への想いの記事が出ています。
東大阪市で60歳で逝ったT君、京都で46歳で逝ったO君と、同じく59歳のO君は双子の兄弟、日高町で見送ったY君は61歳、大阪で逝ったK君は43歳と出ています。
さっそく頼まれた分を、近所の同級生に届けながら便りの記事に目を通し、幼かった昔日の事を想います。
今日は奇しくも春彼岸、西方浄土に先に逝った友の消息伝える便り、皆に届けていい日となりました。
M君の編集後記に、「・・・・同じ教室を巣立った仲間。それぞれの後をたどりながら、時代の流れを読み取り、バトンリレーよろしく次の世代へと引き継いでいく、そんな思いで・・・・」、
実にいい便りを作ってくれたこと、届けただれもが目を輝かせて読んでいたこと、とてもいい春彼岸の一日となりました。
《ありがたき 65の電気屋 春彼岸》