24日の日曜は新大阪のメルパルクホールで開催された
朝鮮戦争反対「吹田事件」60周年記念集会に参加してきました。
「吹田事件」とは、朝鮮戦争当時、大阪から夜な夜な運ばれる軍需物資を積む
列車を1時間でも止めることで、日本で製造される兵器による被害者を少しでも
減らすことができると、輸送阻止に挑んだデモ隊が警官隊と衝突した事件とのこと。
私も今回の集会に触れるまで知りませんでした。
第一部は、内灘闘争(石川県金沢市近郊)、砂川闘争(立川市)の記録映像。
当時の農民、漁民たち、そしてそれを支援する労働者の団体や学生達の
気迫と力強い闘争の様子が生々しく映し出されていました。
50年代は朝鮮戦争に伴い、日本中にあった米軍施設で基地拡張の動きと
それに反対する各地住民の反対運動が激しく行われていた中の一つでした。
私も昔たまたま金沢に旅行に行った際に、博物館で内灘闘争のことを知り、
目からうろこの衝撃を受けたことを思い出します。
それはそうですよね。日本中に駐留軍基地があって、それがその後
無くなっていくわけですから、その頃のことを残した資料があるはずです。
当時のことを記憶している人ももうかなり高齢になるとは思いますが
まだ記憶されている方も全国におられるはず。
「人間の証明」という映画もありましたね。
私自身も含め、今の若い人たちはその時代のことを殆ど知りません。
当時を覚えている方々に、是非子ども世代、孫世代にその頃の話を
聞かせて戴きたいと思いました。
会場は1000人のホールが2階まで一杯。
2部では「吹田事件」に加わった詩人・金時鐘(キム・シジョン)さんの講演。
生活の苦しい在日コリアの人々が町工場で作る釘などが、日本の作る親子爆弾
(今のクラスター爆弾の元にあたる兵器)となって大勢の同胞を殺傷していた
という、理不尽な社会状況に苦しめられた日々を語って下さいました。
胸が痛みます。
3部では、突然の自衛隊配備騒動に揺れる与那国島から、配備反対の町民の方から
報告がありました。
過疎化を止めるためと、誘致派議員と町長が進めた話を阻止する
ため、賛否を問う住民投票を行う運動を進めているそうです。
那覇よりも台湾がはるかに近い平和の島。「護るものが拳銃2丁しかない」と
言われるけれども、その2丁でさえ、使われたことが無い(十分事足りる)
とのこと。
むしろ交流を通してその自然豊かな島の平和を護りたいという町民の闘いを
応援したいですね。
最後は代表のしっとりした歌と、大池中学校PTAおやじバンドの歌で
さわやかに幕を閉じました。
当日の資料は130ページに及ぶ力作。
内灘、砂川、北富士の闘争に関する詳しい資料と、関西の数々の米軍施設に
関する闘争経緯などをまとめたものです。
会場ではたくさんの署名を戴き、グッズもたくさん売れました。
フラッグを描いてくださった方も!
会場の皆さん、スタッフの皆さん、一日本当にありがとうございました。
無数の米軍基地を追い出してきた日本の歴史を見詰め直し、日本中で声をあげて
普天間基地を追い出す日が一日も早く来てほしいものです。
カメ吉
追記
沖縄では、本土復帰後の1973年1997年までの24年間、県道104号越え実弾砲撃訓練が
キャンプハンセンで行われました。参考 24年間、山撃ち砕いた4万4千発
それを止めようとした、喜瀬武原闘争の様子が流されました。
そして、海勢頭豊代表の歌う「喜瀬武原」。
頭の中にさっきの映像がオーバーラップしてじ~んとしました。
続いて「トラジの花」。最後の「月桃」はみんなで歌いました
ZAN