ジュゴン掲示板

ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)は日本では沖縄にのみ生息しているジュゴンを守るために活動をしています。

おきなわ辺野古旅~3日目① 辺野古座り込みテント&海へ

2016年04月02日 | 基地と沖縄
3日目は辺野古の座り込みテント村へ

テント村の入り口
『勝つ方法はあきらめないこと』
この言葉をいつも思い出します

2004年から座り込みは続いています

テントの中です

浜のフェンス、ノーベースギャラリーです



屈しないの手づくりバナーが素敵
私たちもバナーを届けました



美しい海です


テント村横の辺野古漁港です

突堤の先に祠があり、龍宮神が祀られています
じゅごんは宝の海の象徴ですね~



昔からこの海では漁が営まれ暮らしていました。
辺野古の海は豊穣の海と漁師さんが言っていたのを聞いたことがあります
今は、漁はされていません、、、
また、漁が営まれ豊かな暮らしが戻ってきますように

運よくグラズボートに乗せてもらうことができました


陽が射して、サンゴの海をみることができました
その美しさに見惚れてしまいました

この美しい海を埋め立てるなんて
そんなことできません




おきなわ辺野古旅~2日目 辺野古へ

2016年04月02日 | 基地と沖縄
2日目(3月25日)辺野古へ

予定が変更になって、乗りたいと思っていた島ぐるみバスに乗れました
那覇からは毎日運行しています。すごいです。

出発場所の県庁前にいくと
なんと、京都の歌姫さんがいるではないですか
一緒にアピールしました



この日は20数名がバスに乗り辺野古ゲート前へ


バスの中では自己紹介をしたり、レクチャーがあったり
なんと後ろの席には大阪市から来た人が
(私も大阪なので嬉しくなりました
東京から親子で、夫婦で、友人と一緒にという方々が
国会前の行動に参加して、映画を観てなど参加の思いを話されていました

豊見城の方が、基地の実態ということでお話してくださいました
米軍基地が返還されても、その跡地から枯葉剤が見つかって
利用できないままだったり、環境汚染したまま返還されても困りますと
ここにも日米地位協定の壁があります
借りていたものはきれいにして返してほしい

返還されて商業施設となったところは
雇用も100倍になったと話されていました
基地は経済の阻害要因であるのです

バスに乗っている間に、資料が回ってきたりします
毎日ガイドをされている大城さん
ていねいに説明して下さって
頭が下がります
毎日なんですよ

ゲート前に着くと、各地から人が集まっていました


歌を披露したり、スピーチしたり賑やかです

なんとなんと、島袋文子おばぁ座っているではないですか


じゅごんをプレゼントして、一緒に座り込みました

おばぁが15歳の時に沖縄戦がはじまり、その中を生き抜いてこられました。
二度と戦争はごめん。基地を1つでもなくさないと死ねない
その思いで86歳の今、辺野古のゲート前に座り込んでられます
1冊の冊子を下さいました。
ここに私の言いたいことが書いてあるから
しっかり読んで、伝えてちょうだい
そう言われました
とても強く優しいなざしでした

また1つ貴重な体験でした

昨日のひめゆりの島袋淑子さん、ゲート前の島袋文子おばぁ
お二人のお話を聴くことができたのはほんとうに貴重なことです
まだまだがんばりなさいと力を頂いたと感じています

ゲート前です



全国から届いたゲートを封鎖するためのブロック


大阪の今岡さんたちが届けたジュゴンのパネルが飾ってありました




バナーを届けてきました
座り込んでいるおばぁたち、(若い方々も)
大阪から来たというと、ありがとう、ありがとうと言われる
そして、シュプレヒコールの時には、怒りの声をあげる
沖縄の置かれている状況に対しての怒りの声は大きく
私は、その怒りの大きさ、そして平和への思いの深さを感じていました


和解協議中なのに、ゲートを監視する警備員
和解する気なんてないんだね、、、


おきなわ辺野古旅~1日目那覇

2016年04月02日 | 基地と沖縄
3/24~27に沖縄、辺野古へ行ってきました
3泊4日の“おきなわ辺野古旅”
いろんな方々との出会い、見て聴いて感じたこと、訪れた場所
日記風に綴ってみます

1日目は関空からピーチに乗って那覇へ
夏の『じゅごんの里ツアー』の下見もかねての春の沖縄旅は恒例になりました

那覇についてまず訪れたのは不屈館です
戦後、日米政府に屈しないで闘い続けた瀬長亀次郎さんの資料館です
今、屈しないというその強さに触れたいと思いながら



当時の新聞記事や手紙など貴重な資料が展示・保存されています
また、今の辺野古のたたかいの資料もあります
見応え十分、那覇へ行かれたらぜひ訪れてみて下さい

そして、この日は「交響詩ひめゆりバレエ公演」&海勢頭豊コンサート

那覇市民会館大ホールの会場でブースを出させて頂きました

海勢頭豊さんと


ブースでじゅごんメッセージを集めました~

バレエは好きなので、楽しみにしていましたが
豊さんの曲&バレエのコラボはとても興味深く良かったです
歌詞に合わせての振り付けで
歌詞の意味が一層心に響いてきました

交響詩ひめゆりのバレエは胸に迫ってくるものがありました
舞台挨拶に、元ひめゆり学徒隊でひめゆり祈念資料館の館長の島袋淑子さんがたたれました。
3月24日はひめゆり学徒隊が看護要員として動員された日です。
そのことお思い起こされての
「こんなことになるとは、、、
 ほんのちょっと看護婦さんのお手伝いにいくつもりで
 10日ほど手伝って戻ってこれると思っていたのに
 どんどんあの悲惨な戦争に巻き込まれ、たくさんの同級生が命を奪われた、、、」
という旨のお話をされ、戦争は人がい人でなくなる、そういうもの
絶対に戦争はだめとお話しされました。
この言葉をずっしりと感じています
知らないままだと、だまっていたら、NOと言わないと、戦争に巻き込まれてしまう
どこまでできるかわからないけど
多くの人、若い人たちに伝えたい

多くの命が奪われて、自分だけ生きていていいのか、、、そう思っていたけれど
あなたが生きていてくれたから、この資料館ができたのよと言われ
証言をするようになった、生きていていいのだと思えるようになってと
そのお話しも深く深く受け取りました

お話を聴けたこと、とても貴重なことだと思っています。

そして、その後は牧志市場の近くの沖縄料理のお店に連れて行ってもらい
美味しいお料理と泡盛を堪能しました
そして夜は更けていきました