今朝、おきてテラスを見ると雨がやんで間もない様子を呈していた。
折角咲いているりんごや桜の花びらが水滴を担って重そうにしている。
我が家に庭は無いが40平米弱のテラスがあって、其処には今雪柳も、りんごも、桜や、ボケも咲いていたり、その上ライラックや4メートルの白樺2本まで植わっている。この白樺一昨年は6メートルくらいだったものを、危ないからといわれて半分近くに切り詰めたのだ。
見栄えはなんともよくない木になったけれど、元気に育ち今、萌黄色の細かい葉がなんとも美しい。
ここ数年は相棒が盆栽もどきに手塩をかけていて、それは増殖し始める気配があるし、ハーブや、その他をじっくり数えて見たら、軽く100は越える植物が存在していて、そう思うとなんだかたいしたもんだな。どういう意味にしろたいしたもんだ。
―ちなみに我が家は2階―
冬の間、全く廃墟化していたテラス。凍ってヒビが入った鉢が転がっていたり、大晦日にどこかから飛んできた花火のかすなぞが、長い間雪雨風にさらされて風化していたりしていたのだけど、春になるといっせいに、そして刻々と種や根も木の芽も活動をはじめる。大きな見えない手が見えない大きな螺子をギリギリギリッと巻き上げて、精巧な仕掛けが今動き出したかの様だ。
春になって、すかんぽが青々してくると、私は春のスープを作る。
すかんぽ入りクリームスープはほのかに酸味を含んで美味しい。タンポポのほろ苦い若葉を摘んで、にんにくといため、コリアンダーの実をつぶしたものなどで味付けして、レモンを振りそれを、ギリシャのヤギチーズに添えて食べたりもする。サルベイの葉を沢山摘み、熱くした油の中に放り込んで、ぱりっと焼きあげたものを、ベイクドポテトの上にどっさりかけて食べるのも実に美味しい。
新緑の元気を体に取り込む感じがまた良い。
春になって、自然のサイクルを実感するきっかけの一つは猫達の挙動だ。
我が家の左隣には一人住まいの婦人が3匹の猫を飼っている。逆方面の並びにも沢山猫がすんでいるらしい。
猫たち、それぞれの縄張の境界線は不幸にも我が家のテラスにある。
取っ組み合いの喧嘩をして、毛玉があちこちに巻き散らかっているのはまだしも、大切にしていた鉢なんかを時には喧嘩の弾みでこわしてくれるしね。
左隣の猫は、なんと言う種類だか知らないが、北欧のほうから来たという、毛がふさふさした、ふてぶてしい面の猫だ。名前をボビィという。
私は猫嫌いなわけではないのだけど、この猫だけはどうしても好きになれない。
夏、テラス側のドアを開けておくと、彼らは知らない間に我が家に入ってきて、我が物顔に振舞う。
一人で静かにしているときに、フッと目の端に猫が通り過ぎたりするのはドキッとするものです。
それはもう絶対、一人でいると思っているときにそれをやられると、本当に驚く。
かわいい猫ならそれもゆるすんだけど。こいつはね。
でも猫が近所に増えてから、野鼠は息を潜めた。野鼠は実にかわいいチビだけど、何しろBBCの細にいり、念の入った特集番組のねずみ害の話など見てしまった時には、彼らがまき散らかす、ばい菌や排泄物の映像が頭よぎるし、仕事場はかなり物が多くて入り込まれたら、大変な事だ。
どういうわけか、ここ2年続きで真夏になると1度は野鼠が部屋に迷い込んでくる。
それは通路側のドアをあけておく時に起こる。
外がむっと暑いときに、おいでくださいとばかりに開かれたドアを見て、それじゃあとその気になるのものかね? いや野鼠の体長からするに玄関のドアをドアと認知しないんだろうなあ、なんてことに思いを馳せている場合にあらず、何しろ敵はすばやいのでこちらもすばやく反応しないと追い出す事が出来ない。行く手をなるべく急いで塞ぐべく、しかるべきポジションに、手元にある何枚もの板切れを配置して行くのだ。
そして囲みを徐々に狭く、玄関にむけて移動してゆくのだけれど、これが案外テクニックを要するわけですね。
彼らのパニック振りもかなりだけど、キョロキョロしながら板振り回しているこちらの挙動もかなりおかしいだろう。。。ねずみにとっては恐怖そのものだろうなあ。。。
とにかく、そろそろ猫たちの戦いが始まる季節。
折角咲いているりんごや桜の花びらが水滴を担って重そうにしている。
我が家に庭は無いが40平米弱のテラスがあって、其処には今雪柳も、りんごも、桜や、ボケも咲いていたり、その上ライラックや4メートルの白樺2本まで植わっている。この白樺一昨年は6メートルくらいだったものを、危ないからといわれて半分近くに切り詰めたのだ。
見栄えはなんともよくない木になったけれど、元気に育ち今、萌黄色の細かい葉がなんとも美しい。
ここ数年は相棒が盆栽もどきに手塩をかけていて、それは増殖し始める気配があるし、ハーブや、その他をじっくり数えて見たら、軽く100は越える植物が存在していて、そう思うとなんだかたいしたもんだな。どういう意味にしろたいしたもんだ。
―ちなみに我が家は2階―
冬の間、全く廃墟化していたテラス。凍ってヒビが入った鉢が転がっていたり、大晦日にどこかから飛んできた花火のかすなぞが、長い間雪雨風にさらされて風化していたりしていたのだけど、春になるといっせいに、そして刻々と種や根も木の芽も活動をはじめる。大きな見えない手が見えない大きな螺子をギリギリギリッと巻き上げて、精巧な仕掛けが今動き出したかの様だ。
春になって、すかんぽが青々してくると、私は春のスープを作る。
すかんぽ入りクリームスープはほのかに酸味を含んで美味しい。タンポポのほろ苦い若葉を摘んで、にんにくといため、コリアンダーの実をつぶしたものなどで味付けして、レモンを振りそれを、ギリシャのヤギチーズに添えて食べたりもする。サルベイの葉を沢山摘み、熱くした油の中に放り込んで、ぱりっと焼きあげたものを、ベイクドポテトの上にどっさりかけて食べるのも実に美味しい。
新緑の元気を体に取り込む感じがまた良い。
春になって、自然のサイクルを実感するきっかけの一つは猫達の挙動だ。
我が家の左隣には一人住まいの婦人が3匹の猫を飼っている。逆方面の並びにも沢山猫がすんでいるらしい。
猫たち、それぞれの縄張の境界線は不幸にも我が家のテラスにある。
取っ組み合いの喧嘩をして、毛玉があちこちに巻き散らかっているのはまだしも、大切にしていた鉢なんかを時には喧嘩の弾みでこわしてくれるしね。
左隣の猫は、なんと言う種類だか知らないが、北欧のほうから来たという、毛がふさふさした、ふてぶてしい面の猫だ。名前をボビィという。
私は猫嫌いなわけではないのだけど、この猫だけはどうしても好きになれない。
夏、テラス側のドアを開けておくと、彼らは知らない間に我が家に入ってきて、我が物顔に振舞う。
一人で静かにしているときに、フッと目の端に猫が通り過ぎたりするのはドキッとするものです。
それはもう絶対、一人でいると思っているときにそれをやられると、本当に驚く。
かわいい猫ならそれもゆるすんだけど。こいつはね。
でも猫が近所に増えてから、野鼠は息を潜めた。野鼠は実にかわいいチビだけど、何しろBBCの細にいり、念の入った特集番組のねずみ害の話など見てしまった時には、彼らがまき散らかす、ばい菌や排泄物の映像が頭よぎるし、仕事場はかなり物が多くて入り込まれたら、大変な事だ。
どういうわけか、ここ2年続きで真夏になると1度は野鼠が部屋に迷い込んでくる。
それは通路側のドアをあけておく時に起こる。
外がむっと暑いときに、おいでくださいとばかりに開かれたドアを見て、それじゃあとその気になるのものかね? いや野鼠の体長からするに玄関のドアをドアと認知しないんだろうなあ、なんてことに思いを馳せている場合にあらず、何しろ敵はすばやいのでこちらもすばやく反応しないと追い出す事が出来ない。行く手をなるべく急いで塞ぐべく、しかるべきポジションに、手元にある何枚もの板切れを配置して行くのだ。
そして囲みを徐々に狭く、玄関にむけて移動してゆくのだけれど、これが案外テクニックを要するわけですね。
彼らのパニック振りもかなりだけど、キョロキョロしながら板振り回しているこちらの挙動もかなりおかしいだろう。。。ねずみにとっては恐怖そのものだろうなあ。。。
とにかく、そろそろ猫たちの戦いが始まる季節。