散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

イーガンとクノップフ

2006-11-06 13:03:29 | 美術関係
クノップフの愛撫-スフィンクス-。
不思議な気分にさせられる絵だ。
目を閉じて恍惚顔のスフィンクスに頬を摺り寄せられている若者(ヘルメス?)の表情は凍り付いている。心が二分されて迷っているようだ。彼らの背景は荒涼として門は異界へと導いている。
心騒がす"何か”が透けて見えて来るようではないか?

なぜ急にクノップフかといえば、グレッグ・イーガンの小説を読んでいたからだ。なぜイーガンとクノップフがつながるのかといえば『幸せの理由』短編集を読んでいたからで、その短編集の中に『愛撫』という作品がある。

古典的絵画を完璧に現実化することに執念を燃やしている大富豪のマッド・アーティストが、彼の望む”絵画”を見るために誘拐も、殺人も厭わない。主人公は彼に目をつけられて、事に巻きこまれる話なのだけれど、その主人公が巻き込まれたのは題名が示すとおり、クノップフの"『愛撫』の中へ”なのである。

クノップフの作品のモデルは大半が彼の妹マルグリットであることは有名な話なわけだけれど、この絵のスフィンクスも恋人もよく見れば妹の面影がある。
実際のところ、それは彼自身でもあったのかもしれない。妹のなかに自分自身の面影を見ていたのかもしれない。

”アイディンティティー”"人間性”とは何か?という哲学的な主題がグレッグ・イーガンの作品のポイントだ。そういうわけでなのだろうか話の結末は開かれたままである事が多いように思う。主人公たちは求めている。
この絵『愛撫』に登場する若者のように。

古典的絵画の中にこのようなキメラを見つけようと思えば有名どころだけでも色々あるが、その中でクノップフの『愛撫』を選んだというところが面白い、そして私の好みである。