だいぶ寒くなってきたなあ、などとのんびりしたことを言っていたら外の植木が凍ってしまった。あわてて朝の薄暗がりでいたずらに右往左往した。鉢を動かそうと手をかけてもすっと動かない、敷石に凍り付いている。鉢をゆすったり、蹴飛ばしたりして床から剥がし、壁際に寄せてみたが、後は植物の生命力に頼るしかないだろう。。。などと呑気なことも言っている。
空鉢に溜まった水がすっかり凍って盛り上がりなかなかの迫力だし綺麗だ。かじかみながら氷の表面を眺めたりなでたりしているうちにすっかり冷えてしまったので、暖かい部屋に飛び込むと途端、じわじわと身体がほどけてゆく。熱い紅茶の入ったカップで指先を暖めながら、外を眺めると私の”とりあえず”の作業に意味があるかどうか、はなはだ疑問に思えてきた。
先の土曜日の事。
砂糖大根シロップを作る手伝いをしてきた。
いや、実を言うと手伝いをしたとは言えぬほどまもなく逃げ出した私である。
砂糖大根は良く洗い、細かく切り、煮て、潰し、プレス機にかけて集めた汁を8時間ほど煮詰めるのだそうだ、8時間煮詰めるのはなかなか大変な仕事だ。なぜならば鍋と火が勝手に具合よろしくやってくれるなら良いが、焦げ付きやすいものであるから四六時中傍で鍋守りしていなければならないからだ。
私は砂糖大根を切り刻む作業を始めてみたが、まもなく私の軟弱な利き手の人差し指の付け根に大きな水ぶくれが現れ、絆創膏をはってしばらく任務遂行したが、細かい色々な作業をこれから山ほどしなければならない私の手である、ここで無理をして手を傷めて仕事が出来なくなっては何をしているのかわからない。。。と内心ひとりごちながら、ナイフを投げ、這う這うの体で逃げた。切れないナイフだったのもいけなかった。
砂糖大根の絞り汁はどういうものだか灰色をしていた。アクだろうか?
今頃ちゃんとおいしいシロップが出来上がっているだろうか? というのも、砂糖大根シロップを作った経験者は一人も居らず、試行錯誤のいわば実験だったのだ。
砂糖大根の一切れを齧ってみるとさすがに甘い。18から20 %の糖分を含んでいる。しかし灰汁のせいだろう、まもなく喉がイガイガとし始めて夜まで調子が戻らなかった。
逃げ出す算段をしている時、
『木瓜のリキュールがもう減ってしまってさびしいと言っていたけれど、これで作ったらどう?』と友人が小さなバケツにいっぱいの木瓜を持たせてくれた。本当のところそのためには夏の、色づいて黄色に内から輝くような実が良いのではないかと思うのだが、霜焼けで痘痕面の実たちだってまだ香りも良い。霜の降りた後だからひょっとして甘みが出るかも知れないと早速漬け込んでみた。
しかしこれはあくまでも喉の薬である。 おいしくてつい飲んでしまうのは良薬なのか、そうではないのか。。。
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二月末の個展日程を急遽変更して他の日程と交換することになった。
最近こういうことがどういうわけか続くが、実のところほっとしている。
昨日インスタレーションに使うガラスの容器を試作した。ガラスで出来た家のような形の容器で手垢や汚れがつくと妙に存在感が出てくる。