これが10mくらいに背丈のある植物で、そんな森の中を歩くところを想像しよう。
視線の位置、見方を変えることで面白い世界を見つける。
毎日使っている言葉。何気なく使っている言葉。
言葉の難しさを痛感する場面に出会う事がある。
例えばメイルは手紙よりもつい気楽に書いて送信してしまうことがあってこれは曲者。
短い言葉で相手に伝えることの難しさ。ましてや沢山の会話を交わした事の無い相手に伝える事は難しい。
誤解の無いほうがおかしいくらいだ。
同じ言語を使っているつもりでも、実際には乗っている情報にズレがある。
返事を読んで初めて先方には私の言いたかった事が伝わっていなかった事がわかって訂正をしようとすればするほどに糸が絡まってしまい
どうにもならない気分で途方に暮れてしまうこともある。
ブログのコメントなどはなおさらで歯がゆいことがあるな。私のつたない文章構築力と無知ゆえ話の筋を理解してもらえない事など度々ある、短いやり取りの中ではなかなか修正は難しい。むきになって話を続けるのも大変難しいし見苦しいので結局そのままそうっと葬ってしまう。
国が違えば言葉のニュアンスが変化して誤解を受ける事だってあるしね。
日本の知人がとてもナイーブな人ですという表現をした事がある。日本では比較的肯定的な表現として使われるけれども
ドイツでの「ナイーブ」は世間知らず、単純、間抜け。。。といったニュアンスだから受け取り方が変わってしまう。
同じ言葉を使う同国人間でもニュアンスが異なる事だってある。時々一体何の話をしているんだっけ?と不安になる。
あがけばあがくほど思いがけない方向に話が流れて、自分が原因の発端だとしても不思議なもつれの中で嘆き、言葉は不自由な物だと気が付くのだ。
そんなことを考えれば考えるほどに書くことが簡単にできなくなってしまうけれど、
そこで話を諦めてやめてしまっては何も生まれず何処にも進めない。
極力言葉に気をつける事と同時に、完全に100%の伝達は不可能である事を頭の隅においておく。
これは肝に銘じておこう。難しいけれどね。