不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「市政上層部・企画管理部門・外部委員の連合体」への監視を

2006-10-14 09:40:30 | 新たな検討課題

それから、この間の「市民の声」をつかった活動と、マスコミの伝える情報などから総合して見えてきたのは、「市政上層部・企画管理部門・外部委員の連合体こそ、今は大阪市の行政権力の中枢に位置していて、このあり方こそ問題だ」ということです。

私がこの1ヶ月半ほど、「市民の声」を使って青少年会館「廃止」方針問題をウォッチングしてきた限りでいえば、大阪市役所及び大阪市教委の職員などは、次のように層が分れているように見えます。

(1)市長・助役・局長級などの市政上層部、経営企画室、総務局、市政改革本部など。以後、これらを「市政上層部と企画管理部門」と呼びます。これに、「市政上層部と企画管理部門」が呼んできた学者や弁護士などの「外部委員」を含めてもいいでしょう。したがって、「市政上層部と企画管理部門と外部委員の連合体」と呼ぶ場合もあります。

(2)市民局、健康福祉局などの市長部局の本庁職員。これは以後「市長部局の本庁職員」と呼びます。

(3)市教委の本庁職員。市長部局と市教委は一応、法令上お互いに独立していますので、分けておきます。また、これはこのまま、「市教委の本庁職員」と呼びます。なお、以下の文中では、(2)(3)をあわせて単に「本庁職員」と呼ぶことがあります。

(4)青少年会館などの現場職員。これはこのまま、「現場職員」と呼びます。また、特に「青少年会館の」という風に、施設を限定する場合もあります。

それで、今、私の見る限り、「市政上層部と企画管理部門」が、職員厚遇問題・飛鳥会事件などへの市民の風当たりを利用しながら、マスコミを使って自らを「改革派」として位置づけ(自称「改革屋」という学者もブレーンにして、ですが)、「市長部局の本庁職員」「市教委の本庁職員」「現場職員」を「抵抗勢力」のように位置づけ、力づくで自らの考える「改革」の中身を、「」施策見なおしというのを入り口にしながら、これら「抵抗勢力」に押し付けようとしているように見えます。

その「改革」の中身は、表面的には<「」施策見なおし>で市民の支持を集めようとしていますが、実質的には「青少年会館の現場職員」とその施設等の「リストラ」でしょう。つまり、「市政上層部と企画管理部門」は、いま、大阪市の社会教育・生涯学習部門の「解体」を狙っているように見えます。

また、「市政上層部と企画管理部門」は、同様に市長部局の持つ現場についても、例えば老人福祉センターなどのように民間委託をすすめたり、加配保育士を廃止したりするなど、いわゆる「現場職員」の「リストラ」を考えているように見えます。

そして、はっきりいえば、市の社会教育・生涯学習部門の「解体」や、各種福祉施設の民間委託、保育部門での人員削減などによって不利益をこうむるのは、単に「」地区の住民だけでなく、実はほかの市民にとってもそうなのですが。なにしろ、これらの施設や行政サービスを利用しているのは、実際には「」地区の住民だけでく、ほかの市民層も含まれているのですから。

そんな状況のなかで、「現場職員」と「市教委の本庁職員」「市長部局の本庁職員」が連携して、市民世論を味方につけて反撃ができるといいのですが。実際、「実際の各施設利用者や市民の利益を考えたら、こんな改革、やりたくなんかない!」と思っている本庁職員は、市教委にも、市長部局にもいることかと思います。

しかし、「市政上層部と企画管理部門」は、自らの打ち出す「改革」方針を有無を言わさず実行するために、「市教委の本庁職員」や「市長部局の本庁職員」に対して、地方公務員法上の「上司の命に従う義務」をふりかざす(=これが「市政上層部と企画管理部門」のいう「コンプライアンス論」の本質でしょう)。そして、「市教委の本庁職員」や「市長部局の本庁職員」に、自らの打ち出す「改革」方針に沿った具体的な施策を検討させ、実際に各現場に下ろすように迫る。

その結果、「市政上層部と企画管理部門」は、自分が直接、利用者や市民からの苦情・不満、あるいは「現場職員」などからの批判に直面することなく、そういう痛い目にあうようなことはすべて「本庁職員」におしつけて、自分たちの意図する「改革」案を実施することが可能になる。

しかも、「市政上層部と企画管理部門」は、いま、例えば「職員厚遇問題」などを通じて「市政を監視する」という意識を持ち始めた一部「市民」の目を別の形で利用したり、あるいは「外部委員によるチェック」を導入して、「本庁職員」の仕事を自分たちの思う方向に誘導しようとしているわけです。

この結果、実際の大阪市政はどんな風に変わるか。簡単に言えば、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、マスメディアと一部の市民の声をバックに、大阪市の行政権力を掌握する構図ができる、ということです。

とすれば、今後の大阪市政の動向を本当に「市民」の立場から「監視」しようとすれば、実は「本庁職員」や「現場職員」の動きをウォッチングしていてはダメなのであって、実は「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」こそ、細かくウォッチングして、「これじゃだめだ」とか「あんたらがおかしい」と声を発していかねばならない、ということになります。

しかも、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」は、ほかの本庁職員・現場職員の仕事のように「現場」を抱え、「予算」を持っているわけではありませんから、例えば「公金の不正支出を細かくチェックする」というような手法で「市民」が「監視」するという手法にはなじみません(むしろ、こういう手法こそ、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、本庁職員・現場職員の「市民」による監視として、最も待ち望んでいることです)。

むしろ、チェックすべきは「言葉」です。すなわち「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、例えば公文書や論文・著作で、マスコミ発表で、市役所などのホームページ・ブログ上などで、どういう言葉を使って、どういう論理で、どんな施策を進めようと考えているのか。そのウラにどんな意図が隠されているのか、などなど。これを「市民」の側から的確に見抜いて、批判のメッセージを発信すること。それが今後の「市民」の立場からの「監視」に必要なことのように思われます。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ここで一旦、中間的総括 | トップ | 今後は市議会にも監視の目を »
最新の画像もっと見る

新たな検討課題」カテゴリの最新記事