2134冊目はこの本。
本橋哲也編『格闘する思想』平凡社新書、2010年。
他の人と本橋氏との対談部分には違和感はさほどなかったのだが、本田由紀氏との対談部分は、冒頭でひっかかった。教育社会学がデータにもとづいて、教育の現状はこうだとものをいい、教育学があるべき教育を規範的に追究したり、有効な教育手法を開発したりすると本田氏はいう。しかし、本田氏のいう「教育学」で有効な教育手法を開発する人びととて、学力テストや授業観察その他の結果にもとづいて、「教育の現状はこうだ」とものをいう。また、教育社会学者とて、データにもとづいて教育の現状はこうだと指摘した上で、「今後、あるべき教育の姿はこうだ」ということもある。そして「あるべき教育を規範的に追究する」教育学も、やはり、教育社会学などが提起した教育の現状分析をふまえてものを語っているところもあれば、過去の教育に関する文献(これもまた事実のひとつであり、データでもある)の検証をふまえてものを語っているところもある。このように考えるならば、本田氏のいうように、「教育学・教育社会学、そんなに両者は明確に分けられるのか?」と私などは思ってしまう。だから、「この人、ほんとうに教育学のこと、よくわかっているの?」と思ってしまった。でも、「教育社会学者」には意外とこの手の発想をする人、多いように思われる。要するに「私ら教育社会学者を、そこらへんの教育学の人たちと同類にしないで」と、彼女らはいいたいだけなのではないか。それってでも、教育学の人々に対する誤解と偏見にもとづいているのではないのかな?