現JR・関西本線の加茂-奈良間に明治時代にあった、「大仏鉄道」跡に行ってみた。
当時は私鉄・関西鉄道が名古屋-亀山-柘植-草津まで開通。 柘植から奈良・大阪方面へ分岐・延伸した際、加茂駅から奈良駅へ直通した路線。
旧関西鉄道の加茂駅-大仏駅間の通称が「大仏鉄道」である。 大仏駅はその名の通り、名古屋方面から東大寺への参詣のために設けられた駅。
一年後に大仏駅-奈良駅間が開通したが、25‰の急勾配を緩和するために加茂-木津-平城山-奈良間に平坦線を敷設して、加茂-奈良間は廃止された由。
JR奈良駅から北上して辿ることにする。 油阪交差点を右折してすぐの北行一方通行へ左折、石畳の古い船橋商店街を進むと、
「大佛鐵道記念公園」。 公園と言うよりも狭い緑地であるが、かつての関西鉄道大仏駅跡。
蒸気機関車の動輪のモニュメント。 土台がレールの断面の形状をしているところが凝っている。
当記事の見出し画像は、この碑の説明書きであります。
ちなみに、大仏駅跡から東大寺大仏殿前まで、徒歩で1.9km。 JR奈良駅からだと2.3kmで、そんなに変わらん。
近鉄奈良駅(通称「きんなら」)からは1.3km。
県道44号に出て、1961年に開園、2006年に閉園した奈良ドリームランド前。 ディズニーランドのパクリ遊園地だった。
この付近からの県道44号は、大仏鉄道の路線跡である。
しばしば通る県道754号との梅谷口交差点近くにある鹿川隧道。 農業用水路である。 左上が県道44号。
幅1.2m位の狭い水路だが、綺麗な石組みのアーチ。
梅美台西交差点北側に、関西鉄道社章のレプリカ。
階段を下りたら、松谷川隧道跡。 隧道の上が路線跡の県道44号。
壁は花崗岩、上部は煉瓦のアーチがきれいに残っている。
隧道の先は田畑の緑一色。
振り返ると、隧道の先にYBR号がシルエット状態。 露出の偶然で撮れたショットw 合成じゃないよ。
鹿背山橋台。 これもきれいな石積み。
観音寺小橋台は隣にJR関西本線が走ってるので、フェンスで閉鎖。
画面奥は併走するJR関西本線。 JRの方が橋台の高さが低い。 下画像は反対側からのショット。
JR加茂駅。 221系と、当駅以東は亀山駅まで非電化区間のキハ120系。
この駅にあるランプ小屋の撮影を忘れた。 またそのうち近くを走るのだろうから、撮影できたら追記することにする。
⇒追記。 6月4日に通ったので撮影してきた。 駅の隅にポツンとあるだけで、説明看板等は何も無い。
明治30年、加茂駅開業当時の建物だそうだが、鉄道記念物ではないらしく、ぞんざいな扱いである。
加茂駅手前にC57 56号機が静態保存。 道が狭くて引きが取れないんで、無理なアングル。
柵の隙間から。
パシフィック機(2C1の車軸配置機)は姿形がきれいで、しかも保存状態は良好。 ワルシャート式弁装置の美w
C57を擬人化した説明書きもしゃれている。 C57 56号機さん、ゆっくりお休みくさだい。
C57が眠る傍らを221系電車が加茂駅を出発していった。
帰宅前にYSPに寄り、オイル交換。 店に見覚えのある京都新聞記事があった。
36年前の昭和56年7月。
帰宅後にアルバムを探したら、同じ記事のスクラップを見つけた。 記事中の個人名は画像処理してある。
実はこの記事の写真、事前に京都新聞社から生フィルムを預かり、おっさんが撮影したもの。 カメラは亡父の形見のPENTAX ME。
走行中の写真は、あらかじめおっさんだけ先回りして撮影した記憶がある。 この時おっさんが乗ってたのは、確かHONDA CB250RS。
こんな記事も保存してあった。 「リビング京都」。 京都市の地域情報誌で、現在も発行中。
白抜きの所が、おっさんの実名である。 当時所有してたのは、 確かYAMAHA XT250/RZ250/HONDA CB250RS/XE50/YAMAHA TOWNY50。
それぞれ林道徘徊用/峠道ワインディング用/長距離ツーリング用/バイク仲間と近所に遊び用/街中チョイ乗り用。
懐かしい36年前の話である。 29歳で結婚後にYAMAHA SEROW225に約10年乗ってたが、現在の居住マンションで盗難に遭う。
約15年のブランクを経て、今の愛車がYBR号である。