前回の記事の続きで、淳和天皇の父である桓武天皇陵に行ってみた。 伏見桃山陵の西隣にある。
桓武天皇柏原陵 「かしわばらのみささぎ」。 ← 碑の文字がいささか稚拙である。 気品が無いぞ。
ここの住所は「京都市伏見区桃山永井久太郎」。 人名がそのまま住所になってる。
この地域は秀吉の伏見桃山城の城下町なので、戦国大名や武家屋敷の名前が町名となっている。
曰く、桃山羽柴長吉東町、筒井伊賀西町、井伊掃部東町、長岡越中北町、水野左近東町、長岡越中南町、福島太夫西町、毛利長門西町、
深草柴田屋敷町、出羽屋敷町、越後屋敷町、佐野屋敷町、大島屋敷町、加賀屋敷町、等々。
下町の町名も御駕籠町、紺屋町、風呂屋町、両替町、鍛冶屋町、桝屋町、小豆屋町、問屋町、帯屋町、革屋町、等々職業がわかりやすい。
詳しく知りたい方は、wikipedia の「京都市伏見区の町名」で検索してくだされ。
いつも走る宇治川ラインの天ヶ瀬ダム下流側。
左の煉瓦造りの建物は関西電力の旧志津川発電所跡。 大正13年竣工・昭和39年廃止。
なかなか味のある建物である。
市内を横断して、西京区の桓武天皇生母陵へ向かう。 京都縦貫道沓掛ICの近くにある。
天皇陵ではないが、きれいに整備されてる。
光仁天皇夫人贈太皇太后 天高知日之子姫尊 大枝陵(あまたかしらすひのひめのみこと おおえのみささぎ)。
霊廟の碑には「光仁天皇皇后 高野新笠(たかののにいがさ)大枝陵」。 前回の記事にも書いたが、桓武天皇の生母は百済国の血筋を引いている。
今思い出したが、コミック「美味しんぼ」にも、天皇を崇拝する人の対朝鮮人差別を戒める主旨で描いた巻があった。
帰途に見つけた、西京区樫原(かたぎはら)の旧山陰街道沿いにある町屋を喫茶店にした 「ちゃーみーちゃっと」。
1月7日の記事にも伏見区大手筋にある町屋カフェ 「rumah」 を書いたが、昔ながらの町屋をそのまま保存しようと思うなら、
そこに住んでいなければ出来ないとか。 おっさんはなるほど、と納得したよ。
ただ外観や内部をきれいに保つだけでは、単なる資料館や記念館的なものになってしまう。
住むことによって家の隅々まで目が届くし、何より「生活感」があるのが大事だと思う。 町屋の真の意味での保存の極意であると察する。
カフェの少し東にある、樫原陣屋跡。
江戸時代に諸国大名が参勤交代で泊まった宿舎だが、 跡とは言っても、やはりここにも現に人が住んでる。
表札とポストもあった。
物集女(もづめ)街道との交差点に、郷倉(ごうぐら)がある。 昔の農村の穀物の公共貯蓄倉庫。
現存する数少ない郷倉のひとつであるらしい。
近所をうろうろしてみたが、まだまだ新しい発見があるのは嬉しいことである。