京都市の今朝の最低気温は氷点下1.2℃。 未明に何度も目が覚める。
寝坊して10時前にやっと布団から出て、眠気ざましにちょっとだけ走り出す。
向日市の西のはずれの住宅地の中にある、淳和天皇火葬塚。 入口は民家に挟まれて狭く、うっかりすると見過ごしてしまう。
目測で約40m四方の塚である。
淳和天皇は遺言により火葬され、西方の小塩山に散骨された。 天皇陵などは昨年9月24日の当ブログ記事をご参照くだされ。
参道が表門に対して直角であり正面にないので、撮影に引きが取れない。
火葬塚のすぐ近くにある物集女車塚古墳。 「物集女」は「もずめ」と読む。 ついでに向日市には「鶏冠井」という難読地名も。 「かいで」と読む。
淳和天皇の遺骸を乗せた霊柩車を埋めた塚であるという伝えがある。 全長46mの前方後円墳。
少し西に行くと、桓武天皇皇后陵。 天之高藤廣宗照姫之尊 高畠陵。 (見出し画像も) 直径65mの円墳。
「あまのたかふじひろむねてるひめのみこと たかばたけのみささぎ」。 舌を噛みそうになる。
敷地内に大きな顔をしてミニバンが停まっているが、宮内庁書陵部事務所がある。
淳和天皇は桓武天皇の第七皇子。 桓武天皇陵は伏見桃山陵(明治天皇陵)の西隣にある、柏原陵。 (かしわばらのみささぎ)
桓武天皇の生母・高野新笠は、百済国・武寧王の子孫が渡来してきた帰化人の末裔であると【続日本紀】に記されているらしい。
2002年サッカーワールドカップ日韓共同開催の折、今上天皇が前年の天皇誕生日の記者会見において、そのことに言及されておられる。
京都市西京区との境に古墳時代(3-4世紀)の寺戸大塚古墳。 全長98mの前方後円墳。 乙訓地域の首長の墓とされる。
付近は広大な竹林公園となっており、清々しい空気の中をのんびり走る。
寒かったが、1時間30分ほどかけて、乙訓古墳群のほんの一部を巡ってきた。
追記: 一昨日におっさんの会社に日本赤十字社の献血バスが来た。 が、献血した社員は少ない。
献血バスは400mL全血の献血しか出来ない。 全血献血しちゃうと次回の成分献血までまた8週間待たなければならないので、
スタッフに事情を話して今回はパスさせてもらった。 ごめんなさいです。