本日は夏至。 太陽黄経が90°となる日である。 前回に続き、しつこく天皇陵シリーズ。
遅咲きの桜で有名な御室仁和寺。 開基は宇多天皇。
仁和寺の裏手の坂道を登っていくと、参道入口がある。
風化した登山道。
10分ほど歩いて少し下ったところに宇多天皇陵がある。
山間にある天皇陵は大抵が坂道を登った先にあるのだが、ここは坂を下ったところにあるのは珍しい? 陵を見下ろす恰好になる。
天皇は昭和20年8月15日太平洋戦争敗戦までは崇拝すべき存在であり、(大日本帝国憲法第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス)
天皇が鉄道に乗車する「御召列車」に関しても、庶民が高台から列車を見下ろすことは禁忌とされた。
御召列車が立体交差で線路をくぐる時も上の線路の列車が通過してはいけないとか、ある事件で男が工場の煙突に登った際、
たまたま工場から見える線路に御召列車が通る時刻間際になり、必死で男を煙突から引きづり降ろしたという話がある。
第59代宇多天皇 大内山陵(うだてんのう おおうちやまのみささぎ)。 陵形は方丘。 父は第58代光孝天皇。
仁和寺の住所は右京区御室大内、山号も「大内山」。
少し東進、石庭で有名な龍安寺の駐車場にYBR号を停め、境内の東側を徒歩で登っていく。
陵地の入口。
後朱雀天皇皇后陵。
西側に陵が三つ並んでいる。 第69・70・71代の連続した天皇陵。
向かって右側が第69代後朱雀天皇 圓乘寺陵(ごすざくてんのう えんじょうじのみささぎ)。
父は第58代光孝天皇。 以下、龍安寺境内の陵は全て円丘。
中央が第70代後冷泉天皇 圓敎寺陵(ごれいぜいてんのう えんきょうじのみささぎ。) 父は第66代一條天皇。
左側に第71代後三條天皇 圓宗寺陵(ごさんじょうてんのう えんそうじのみささぎ。) 父は第69代後朱雀天皇。
たまたま開門されてて、僧侶と宮内庁職員が参拝してる場面に出くわした。
さらに奥へと石段が続いてる。
10分ほど登ると、二人の天皇の合葬陵。
第66代一條天皇 圓融寺北陵(いちじょうてんのう えんゆうじのきたのみささぎ)。 父は第64代圓融天皇・
第73代堀河天皇 後圓敎寺陵(ほりかわてんのう のちのえんきょうじのみささぎ)。 父は第72代白河天皇。
さらに上へ続く石段がある。
第64代圓融天皇 火葬塚。
京都市内が一望できる。
山の中だが、ここまで全域が龍安寺境内。 龍安寺は元々圓融天皇の御願寺で圓融寺と称した。 龍安寺建立は細川勝元。
圓融天皇陵は龍安寺内ではなく、仁和寺の少し西にある。 この記事内の天皇陵は全て平安時代の天皇。
余談であるが、醍醐天皇-後醍醐天皇、朱雀天皇-後朱雀天皇のごとく「後」の付く天皇は28人存在する。
「加後号」というそうで、先代の天皇に続く次の天皇に付けられた名称ではない。
そもそも「○○天皇」の名称は亡くなってから贈られるものであるが、生前に自ら名前を付けてしまった天皇もいたとか。
後醍醐天皇や後白河天皇がその例で、先の天皇をリスペクトして付けたんだそうだ。
ちなみに醍醐天皇は第60代、後醍醐天皇は第96代と代数で36代、即位年で約400年も離れている。